「劣等感と優越感」を超える働き | 非二元|無から生まれる未来の真新しさ

非二元|無から生まれる未来の真新しさ

宇宙的自己に目覚める記事を配信。
「迷悟」「苦楽」「生死」の相対を超えた「身体・宇宙」一如の絶対的あり様とは?
迷い、悩み、苦しみのない、日々、生き活きとした生活の実践。

今朝、九州の女性と、Zoomで非二元(ノンデュアリティ)のセッションをやった。




彼女は、悩み苦しんでいる「私」がいて、その私がいなくなれば、悩み苦しみも消えるものだと思いこんでいた。


そこで、その方向にいったら、彼女が望んでいる「苦しみからの解放」がおこらなくなる理由を先に告げてから、他人でもなければ、私でもない、働きがあることを自覚してもらい、その働きのままで日々を過ごせば、「私がこれをやっている」という誤解が薄れ、どんどん安らげるようになることを伝えた。


そして、セッションの終わりがけに、「劣等感」についての質問がでた。


これについても、私が「劣等感」を感じるにも、「優越感」を感じるにも、私と他人とが別々にあることを認め、比較によって「優/劣」を計っている「自我意識」にもとづく感情であることに違いはないこと。


だから、たとえ、優越感を感じられる瞬間がきても、他人を見下したり、マウントをとるような言葉が出たりするので、自他が分離しているように思える世界観はそのまま維持され、安らぎを感じられるようにならないことを伝えた。


そして、セッションを終わってから、ヤクルト・スワローズの村上宗隆選手が、スイングした直後に驚きの表情を見せたシーンを思い出し、これも伝えておけばよかったなと思ったので記しておきます。


村上選手は、今シーズンの最終打席で56号のホームランを打った時にも「自分でも驚いた」と発言していましたが、それよりもかなり前の試合で(何号のホームランだったかは忘れてしまったのだが)、スイングした直後に、「今のはなんだったんだ!」と驚いたような体の動きと表情を浮かべながら、スタンドに飛んでいく打球を眺めていた時があった。


そして、試合後のインタビューで、「あの表情は、なんだったんですか?」と聞かれた村上選手は、「自分でもびっくりしたから…」と答えていた。


一流のスポーツ選手は、他人でもなければ、私でもないこの働きに、しばしば驚愕させられている。


それゆえ、たとえ「村神様」と崇められようが、村上選手は天狗になることもなく、優越感に酔いしれ浮かれることもなく、今シーズン、歴史に残る数々の記録を打ち立て、私たち野球ファンを大いに驚かせてくれました。

そして、ちょうど今日で、今年の野球も見納めとなりました。


今日は、朝のzoomでのセッションで、カープとホークスの話をして、夜はテレビで26年ぶりのバファローズの胴上げを見て、今日の締めくくりはこうして村上選手のことをブログに書き、どういうわけか、野球尽くめの一日となりました。


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