私はほぼ毎日、カフェや喫茶店で、本を読んで過ごしています。
このような読書ライフはもう何十年も続いていて、読書法の講師をしていたときにも、受講生の皆さんに、リアル書店でのハズさない本の選び方から、本の要点のつかみ方(読解力と記憶力の関係)、読書に最適な環境の選び方などをお伝えしていました。
私は自分の職業を「読書家」だと思っているのですが、思い返せば、高校生の頃に、学校に通うのが嫌で嫌で中退し、住み込みで新聞配達をしながら、独学で高校卒業の資格をとった時から、「読書家」としての生活が始まったような気がしています。
学校の先生は選べないけど、自分が学びたい分野の著者(先生)の本であれば、自分で選べる。
それも、時代や国境を超えて、はるか数千年前に生きていた先生とも出会え、教えてもらえる。
ここにこそ、読書の最大な魅力があるのではないかと私は感じています。
そして、去年の夏、30年暮らした東京を離れ、京都で暮らしだしてから気がついたのですが、インド哲学や仏教書を専門に扱う本屋さんが家の近くに2軒あり、何冊かの本を読むうちに、ルパート・スパイラが書いていたメアリーとジェーンのたとえよりも、さらに詳細に「自己と自我意識と世界」の関係性を区分できるようになり、私はもしかしたら、インド哲学の本を徹底的に読みこむために京都にやってきたのかも…と思いはじめるようになりました。
幸い、京都には喫茶店やカフェがたくさんあり、本を読むための環境もばっちり整っています。
そして、心強いことに、ヴェーダにも仏教にも詳しくサンスクリット語も読める親戚が、今、龍谷大学で教授をしているので、わからないことがあれば、聞きに行くこともできます。
また、昨日は、東本願寺の近くの本屋さんまで自転車を走らせ、インド哲学の本を一冊買い求めてから、その帰りにカエル・カフェというお店を発見し、カウンター席で本を読みました。
自分の本性に「帰る」ための本を買った「帰り」に、「カエル」の人形が飾られたカフェ見つけて、そこで本を読んだ。