「許せい相手」と、その許せない相手を「許そうとしている私」。
つまり、「相手」と「私」が二つに分かれて別々に存在している。
という二元対立の考えを保ったまま、なんとか解決策を図ろとする内容の投稿でした。
許せない相手を許せるようになれば、もっとラクに軽やかに生きられるようになる。
おそらく、このような意図があっての投稿なのでしょうが、そもそも「許せない」と思える心(感情)も、「許そう」としている心(思い)も、同じ意識(自身の心)の中で起きていること。
この相反する矛盾に気づけないまま、どれだけ解決を試みようとしても、「許せない→許そう→許せない→許そう…」の葛藤が堂々巡りするだけの循環にハマったままとなります。
ところが、自他一如の心(本来の自己)のあり様に目覚めれば、「許せない相手」も「許そうとしている私」も、元より実在しておらず、二元相対の心がつくり出した夢(幻影)を見て、長年うなされていただけだったと気づけるようになります。
ちなみに、夜、眠っている間に見る夢は、朝、目覚めれば、自動的に消えます。
しかし、私たちが現実だと思い込んでいる朝、目覚めてから、夜、眠るまでの間に見ている夢(人が現実だと思い込んでいる二元葛藤の世界)は、自他を分けて物事を認識する心のフィルターを通して意識に投影された幻影(マーヤー)であり、この幻影(夢)から目覚めるには、自他のない本来の心のあり様を説く非二元の教え(大乗仏教や不二一元論)に触れ、解脱に直結する方向性に沿って坐禅や瞑想を実践しない限り、自動的に消えることは、まずあり得ません。
後悔や心配事、漠然とした不安など、心の問題で、長年モヤモヤした状態が続き、苦しみが続いておられる方は、心のどのような働きが苦しみを生む根源になっているかをお伝えしますので、ぜひ一度、ノンデュアリティ(非二元)のプライベートセッションか、矢沢大輔の講話会にご参加ください。
追記
今日の写真は、お経の声を聞いても、太鼓の音が鳴り響いても、心の動揺も葛藤もなく、ひたすら眠り続ける平等寺(因幡堂)の猫、チョビです。
