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に続き、今日も、サン=テグジュペリ「星の王子さま」からの引用。
「たいせつなことは、目では見えない……」
「そうだね……」
「花のことと似てるな。どこかの星に咲いてる一輪の花を愛していたら、夜空を見あげるのは、心のなごむことだよ。星という星ぜんぶに、花が咲いてるように見える」
「そうだね……」
「水のこととも似てる。きみがぼくに飲ませてくれた水は、音楽みたいだった。滑車が歌って、綱がきしんで……ほら、思い出すでしょ……心にもおいしい水だった」
「そうだね……」
※写真の生け花(池坊)は、毎日、本を読んでいるスターバックス京都烏丸六角店で撮影
ここで語られているたいせつなこととは?
ここで語られている「心」とは、私たちが通常「自分の心」と思っている浮き沈みする「感情」や「気分」、「考え」や「思い」、「願望」や「好み」といった表層的な心の動きのことではありません。
それは、自分の考え(物事を分別する心)を用いてわかろうとしても、絶対に知り得ない自他(主客)が分かれていない心のことです。
私たちは、このような話を聞くまで、物や人や世界を見ている「私(主体)」と、見えている「物や人や世界(客体)」は、それぞれ別々に(バラバラに)存在していると認識しています。
でも、私たちの「本来の心」は、そうなっていません。
そこで、星の王子さまは、自他がわかれていない「心」を一輪の花にたとえ、一つの心と見えている一切の事象(世界)との密接な関係を、こんなふうに伝えてくれています。
ちなみに日本では、弘法大師・空海も、「なぜ、私たちが生きている世界は、四苦八苦が絶えないのか」と問われ、「如実に自らの心(本来の心)を知らないからだ」と応えています。
9月の講話会では、見えない心と見える世界の関係について、また、自他をわける二元相対の心に基づき、なされた発言や行動が、なぜ、業(カルマ)となり、自業自得(禍いをもたらすこと)となるかについても話す予定をしています。