自己肯定感の低さが問題の本質? | 非二元|自分を見失わず幸福に生きる「技と知」

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より多くのお金を求めて働く貨幣経済の中で、自分らしく輝きながら、他者と共に幸福に生きる「技と知」を、ライフコーチの矢沢大輔が提案。

昨夜、テレビを見ていたら、日本人の自己肯定感について、このような因果関係が示されていた。

日本人の多くは自己肯定感が低い→積極的に行動を起こせない→成功体験が乏しく実績もできない→自信を持って行動できない→いつまでも自己肯定感が高まらない

ざっくりまとめると、このような論法だった。

他国の人(大抵の場合、欧米人)と比較して、日本人はここが劣っている。

だから、私たちも、欧米の人たちと同じように、自己肯定感を高めれば、もっと積極的に行動を起こせるようになって、成功体験も行動の数にともない、それなりに増えて、自信を持てるようになり、この循環により、ますます積極的に行動できるようになる。

一見、もっともらしく思える論法なので、誰もが「なるほど!」と納得しやすくて、自己肯定感が低いと感じている人たちも、「それじゃあ、自己肯定感を高めるために、私もいっちょ頑張ってみるか」と思わせるような筋書きになっていた。

こうやって人は、観念によってつくりこまれた自己(自我)を自分だと自ら認め、その自己(自我)を立派なものにしよう(自己肯定感を高めよう)と試みようとする。

しかし、今、自己肯定感が低いと感じていようが、自己肯定感が高いと感じていようが、どちらにせよ相対的(二元的)な観念によるつくり事なのだから、高い、低いにとらわれる必要はない。


観念にとらわれ、その中でいくら小細工を重ね、立派そうな自己(自我)をつくりあげても、観念を超える本物の自己の大きさ、自由さには到底及ばない。

茶碗(観念)の内側にいつづけ、その中で立派なものになろうとする私(自我)は、茶碗の底さえ永遠に見ることができず、茶碗の中で地団駄を踏むばかり。

本物の自己は、はじめから茶碗の内側になんて留まっちゃいない。


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