日本人の多くは自己肯定感が低い→積極的に行動を起こせない→成功体験が乏しく実績もできない→自信を持って行動できない→いつまでも自己肯定感が高まらない
ざっくりまとめると、このような論法だった。
他国の人(大抵の場合、欧米人)と比較して、日本人はここが劣っている。
だから、私たちも、欧米の人たちと同じように、自己肯定感を高めれば、もっと積極的に行動を起こせるようになって、成功体験も行動の数にともない、それなりに増えて、自信を持てるようになり、この循環により、ますます積極的に行動できるようになる。
一見、もっともらしく思える論法なので、誰もが「なるほど!」と納得しやすくて、自己肯定感が低いと感じている人たちも、「それじゃあ、自己肯定感を高めるために、私もいっちょ頑張ってみるか」と思わせるような筋書きになっていた。
こうやって人は、観念によってつくりこまれた自己(自我)を自分だと自ら認め、その自己(自我)を立派なものにしよう(自己肯定感を高めよう)と試みようとする。
しかし、今、自己肯定感が低いと感じていようが、自己肯定感が高いと感じていようが、どちらにせよ相対的(二元的)な観念によるつくり事なのだから、高い、低いにとらわれる必要はない。
観念にとらわれ、その中でいくら小細工を重ね、立派そうな自己(自我)をつくりあげても、観念を超える本物の自己の大きさ、自由さには到底及ばない。
茶碗(観念)の内側にいつづけ、その中で立派なものになろうとする私(自我)は、茶碗の底さえ永遠に見ることができず、茶碗の中で地団駄を踏むばかり。
本物の自己は、はじめから茶碗の内側になんて留まっちゃいない。