良寛さんへ | 非二元|自分を見失わず幸福に生きる「技と知」

非二元|自分を見失わず幸福に生きる「技と知」

より多くのお金を求めて働く貨幣経済の中で、自分らしく輝きながら、他者と共に幸福に生きる「技と知」を、ライフコーチの矢沢大輔が提案。

京都に来てから、私はどこかのお店でお茶やコーヒーをいただきながら、良寛さんがお書きになった歌集や詩集を読むことが日課となりました。


とりわけ私が心惹かれたのは、手まりつく長歌のこの下りです。


霞立つ 永き春日に 

飯(いい)乞ふ(う)と

里にい行けば 里子ども 

いまは春べと うち群れて 

み寺の門に 手まりつく 

飯(いい)は乞は(わ)ずて 

そが中に うちもまじりぬ 

その中に 一二三四五六七 

汝は歌ひ(い) 我はつき 

我は歌ひ(い) 汝はつき 

つきて歌ひて 

霞立つ 永き春日を 暮らしつるかも 

この里に 手まりつきつつ 子どもらと 

遊ぶ春日は 暮れずともよし


永くなった春の一日、

托鉢に回ろうと村里に出かけてみると、

子供たちが、春の到来を喜び、

寺の門前で手まりをついて遊んでいる。


私は托鉢をやめ、子供たちに仲間入りし、

子供が歌い、私がまりをつき、

続いて私が歌い、子供がまりをつく。


こうして子供たちと戯れる永き春の一日は、

いつまでも暮れなくていいのになぁ。


良寛さんは、この長歌のとおり、その時々においてこの身が触れたもの(手まり遊びをしていた子供たち)と一つになり、お過ごしになられました。


しかし、残念なことに、今の世においては、公園で遊ぶ子供たちに見ず知らずの大人が声をかけようものなら、怪しい人物と思われ、警察に通報されかねない、ある意味、不自由な世の中となりました。


それでも、私は良寛さんのこの歌から、子供が数え歌を歌って良寛さんがまりをつき、良寛さんが歌を歌って子供らがまりをつく。


聞こえる子供の声も、まりをつく手の動きも、跳ね上がるまりの動きも、バラバラにあるのではなく、一如となって活動している。


この一如の動きのあり様を歌にして表現される以前に、良寛さんご自身、托鉢に出てきたこともお忘れになり、子供らとともに一如の活動そのものをお楽しみになっていたこと。


たとえ良寛さんと異なる時代を我々が生きていようとも、この身体と宇宙(環境)とは、今も変わらず、一如となって働き、一糸乱れず調和し、日常生活となって現成していふことに有り難さを感じております。


また、昨夜、良寛さんの歌集を読んでから寝床についたのですが、しばらくすると、どこからともなくリコーダーの音色が聞こえてきました。


曲名は「あの夏へ」「粉雪(レミオロメン)」「前前前世」「A whole new world」などで、どなたが奏でているのかはわかりませんが、それはそれは見事な演奏でした。

ちなみに、昨日、京都では青空の中、粉雪が舞いました。


良寛さんが村里に出られた時、思いもかけず、手まり歌に出会われ、一緒にお遊びになったように、私にも昨夜、思いがけず、リコーダーの音色が聞こえてきて、自分の思いを超えた、この一如の活動に興じておりますと、リコーダーの演奏も手まり遊び同様、永遠には続かず、その終演とともに一如の活動も静まり始め、いつの間にやら眠りに落ちておりました。


そして、今日の昼も、寺町通りにあるコロンボというお店で、美しい盛りつけのたらこスパゲティ定食を食べた後、瓶入りのかわいらしいティラミスとアイスコーヒーをいただきながら、良寛さんの歌集を読んでのんびり過ごしました。




このお店には、子供のための絵本がたくさん置いてあり、その中には、私が二児の父親になった20数年前に買いもとめた「はらぺこあおむし」などもあり、懐かしく思いつつ、良寛さんがここにいらしたなら、どんなふうに子供たちに絵本を読み聞かせ、一緒にお楽しみになったのだろう?


そんなことを思いながら、まだ寒く、短い冬の一日を過ごした次第です。


そして、今夜は、zoomというシステムを使って、東京の方とお話しをします。


良寛さんが生きた時代には、その場所へ赴かねば、お話ができませんでしたので、たいへんなご苦労があったことと想像しますが、今は世界中の誰とでも家にいながらお話しできる便利な時代となりました。


良寛さんがご自分の足を運んで地道にお伝えになり、引き継がれてきた仏法、仏道のあり様を、私はこの時代の機器を使い、この時代の言葉を使って、お伝えしてまいる所存です。


どうかこれからも、歌となり、詩となって現れ、お供ください。


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