体調の不安に関する非二元セッションを終えて | 非二元|目覚めを生きる

非二元|目覚めを生きる

宇宙的自己に目覚める記事を配信。
「迷悟」「苦楽」「生死」の相対を超えた「身体・宇宙」一如の絶対的あり様とは?
迷い、悩み、苦しみのない、日々、生き活きとした生活の実践。

今日の午前中、zoomで九州の女性と非二元(ノンデュアリティ )のセッションを行いました。


彼女の悩みは、頭痛を感じだしてから大きな病院で検査を受けるようになり、それ以来、身体に関する不安を感じながら、日々を過ごすようになったこと。

また、知人に相談した時に、「ザ・マネーゲームから脱出する法」を薦められ、本を読んでみたものの、相変わらず不安を感じながら日々を過ごしていたこと。

以上のような経緯から私のことを知り、今回、セッションを受けてくれました、

セッションで彼女の望みを聞くと、「不安を感じずに日々、過ごせるようになりたい」ということでした。

そこで、彼女に約2分間、椅子に座ったまま、あることをしてもらいました。

そして2分後、「今こうして過ごしている間に、不安はありましたか?」と聞くと、「ありません」という答えが返ってきました。

この2分間の体験を通じ、彼女は、自分が望んでいたこと、どうすれば不安から解放されるのかを自分で知ることができ、その逆に何が起き始めると不安にさいなまれるようになるのかも自覚できるようになったわけです。

このように一度、体験してしまえば、とてもシンプルな話しなのですが、欧米の人たちにとっては、これがなかなか難しいようで、そう簡単にはいきません。

なぜなら、1960年代頃から、日本の禅師がアメリカやヨーロッパに渡り、本来の自己の真相に触れる道(仏道)をお示しになる中、欧米の人たちは、「自分」のことを「身体」、もしくは「マインド(思考)」と思い込んでいるので、相手と自分が分離しているその思考を使って、どれだけ自己の真相(仏法)に触れようとしても触れられず、逆に頭でわかろうとするほど思考が止まらなくなり、迷い、苦しみが増すこと(道元のお示し)を自覚され、ご指導されていたからです。

そして、私自身も、欧米の人たちと同じように、自他が分かれた思考を用いて、非二元(仏のあり様)に触れよう、わかろう、近づこうとするほど、逆に迷路に落ち込んでしまう悪夢の中にいました。

自己をはこびて万法を修証するを迷とす
万法すすみて自己を修証するは悟りなり

道元のこのお示しがなければ、私は自分で自分を救うどころか、仏教でいう六道輪廻のサイクルに自ら陥り、「この四苦八苦の人生からどうすれば脱出できるのか」「どこにその出口があるのか」と、今なお思考のつくり事(妄想)を事実だと錯覚したまま、迷走し悪戦苦闘の日々を送っていたことでしょう。

これが「法灯明」から離れた「無明」のあり様だとも気づけぬまま。

お知らせ
六道輪廻の迷界をさまよう人について行ったら、どこに連れて行かれるかわからない。
12月の講話会では、「生と死」「悟と迷」「相手と私」のニ極の間で迷う間的存在のあり様について話をしたいと思います。
また、緊急事態宣言の解除に伴い、京都、四条烏丸での対面セッションを再開しました。
遠方の方は、オンラインでのセッションをご活用ください。