思い通りに結果を操ろうとする我欲の窮屈さ | 非二元|自分を見失わず幸福に生きる「技と知」

非二元|自分を見失わず幸福に生きる「技と知」

より多くのお金を求めて働く貨幣経済の中で、自分らしく輝きながら、他者と共に幸福に生きる「技と知」を、ライフコーチの矢沢大輔が提案。

「自分の思い通りに結果をコントロールしようとする我欲の愚かさ」について、今日、Facebookに投稿した内容を、加筆修正してこのブログにも記しておきます。


京都の喫茶店「マドラグ」といえば、分厚い厚焼き玉子が入ったサンドイッチが有名だが、チーズカレートーストというユニークなメニューもある。

食パンをくり抜いた部分にカレーが注がれているのだが、どうやって食べれば、カレーをこぼさずに食べ切れるのか、しばし考えさせられる。

私が試みた方法は、パンの防波堤(カレーの水面より高い部分)を水平にナイフで切り取りながら、その切り取った部分をカレーに浸し、カレーとパンをスプーンですくって食べる方法。

こうすると、最初はシャバシャバ状のカレーも後半に近づくにつれ、カレーの量が減ってくるので、普通のカレーパンのように手で千切って食べてもカレーが皿にこぼれず、綺麗に食べ切ることができる。

そして、食べ終えてから気づいたこと。

たとえカレーがこぼれたって、テーブルにこぼしたわけでもなく皿の上なのだから、パンで拭い取って食べれば、何の問題もなかったじゃないか。

皿の上にこぼれたら、こぼれたで、それに応じた食べ方をすればいいだけの話。

なのに、人間は、「こぼさないように食べ切らなければ」と、結果をコントロールしたがる。

だから、食べている最中、「こぼすか、こぼさないか」という考えにとらわれ(執着して)、自ら窮屈になり、肝心かなめの料理の味そのものを存分に楽しめなくなる。

これでは結果にとらわれた自分の考えによって自らの首を絞め、苦しんでいるようなもの。

誠にもって愚かなことだ。

お知らせ
本文でも書いた通り、人は、自分の考えで自分を苦しめているだけです。

でも、実際にはそうは思えず、自分を苦しめる相手がいて、その人が自分を苦しめているんだ、と錯覚してしまっています。

この錯覚が続いている限り、人は苦しみ続けます。
なぜなら、常に、自分以外の「相手」というものがいて、その人が自分を苦しめているんだと錯覚したままだからです。

「物事はこうあるべきだ」という自分のとらわれ、こだわり(我欲)によって、自分を窮屈にしているだけ。
自分の考えで自分の首を絞めて、苦しんでいただけ。

この事実に気づければ、錯覚(貪瞋痴)は消え、自分の考えで理想を求めなくても、初めから完璧さしかなかったこと=本来の自己を自覚できるようになります。

このような話を10月3日(日)の講話会(オンライン開催)で詳しく話しますので、興味のある方はご参加ください。