存在を問うこの質問に、思考を通して答えることはできない。
なぜなら、あなたは、思考(言葉)によって定義できるような「概念」ではないからだ。
算数の問題の答え(概念)なら、思考を使えば導きだせる。
でも、あなたという「存在」は、概念なんかではない。
それゆえ、「本当の自分とは何か」を、思考(言葉)を使って延々と考え続けても、答えが見つかるはずがない。
(哲学者は、この不毛な努力を延々に繰り返し続けているけれど…)
もし、思考を通って、自分が何であるかがわかったとしたなら、あなたは思考(言葉)によってつくり出された概念となってしまう。
これこそ、偽の自己(エゴ)の正体だ。
あなたは、思考によって(思考された後に)構成されるような偽の自己(エゴ)ではなく、なんらかの考え(概念)が浮かぶ前から存在している「存在」そのものだ。
今、この文章を見ているのも、存在であって思考ではない。
思考は思考であって、思考に「何かを見る」能力などない。
この文章を見ている存在。
この存在に気づいているのは、存在そのものであり、思考ではない。
つまり、あなたは、思考が現れる前に存在している存在そのものであり、「この文章を目撃しているこれは何なのか?」と考えはじめる以前に、これは存在している。
追伸
先日、ノンデュアリティ のプライベートセッションを何度も受けてくれている常連さんから、「矢沢さんのようなセッションを私もやれるようになりたい」という要望をお聞きしました。
どのようにセッションを進めれば、思考によって定義された「分離した自分がいない」ことに気づけるようになるかは解っているので、その手順を詳しくお伝えする機会を、夏くらいに一度、設けようと思っています。
非二元のセッションは、アメリカではドラッグやアルコール依存(中毒)からの解放にも役立っているので、今後は、医療関係者と連携してセッションができるようなファシリテーターが日本にも増えていけばいいかなと考えています。