彼女の要望は、これまでにわかっちゃった人(悟った人?)の話を何度聞きに行っても、自分にはわかる日が訪れず、疑問が増えるばかりで、考えが止まらなくなる悪循環にハマっているので、今日こそラクになりたい、というものだった。
彼女は、自分も「わかっちゃった人」になれたら、すべての疑問がなくなり、毎日、スッキリした気分で生きられるようになる、と疑うことなく信じていた。
信じていたからこそ、わかっちゃた人の話を聞きに行く探究がとめどなく起こり続けていた。
そして、いつまでたってもわかる(悟る)日は訪れず、ますます「わからない人」というアイデンティティを強め、苦しんでいた。
私は「わからない人」で、ある人は「わかっちゃった人」。
彼女は、この考えを通して、この世界には、「私(わからない人)」と、「私とは別の人(わかっちゃた人)」とが別々に存在している、という分離感を疑うことなく信じ、そして苦しんでいた。
そこで、セッションでは、現実に見えているものや聞こえている音を一つ一つ確認していきながら、分離して別々に存在している肉体や物質が本当に存在しているかどうかを本人に確かめてもらった。
別々に存在しているものなど、どこを見渡しても見つからず、「非二元性」に気づくのに努力も探究もまったく必要ないこと。
「わかってない人」と「わかっちゃった人」の二つが別々に存在しているというのは、思考がつくりだした「二元的な物語」であり、それは「非二元」ではないことに気づけたところで、セッションを終えた。
お知らせ
非二元性に気づくのに、あらたに何かの知識を得る必要はありません。
「二つの物や人が別々に存在している」というのが、思考によってつくりだされたフィクションだと見抜けたなら、完全性を求めて動きまわる探究の苦しみは自然にゆるみだします。
苦しみから解放されたい、という探究が続いている方は、一度、ノンデュアリティのプライベート・セッションをお受けください。
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