争いを生み続けるマインドの二元性 | 非二元|自分を見失わず幸福に生きる「技と知」

非二元|自分を見失わず幸福に生きる「技と知」

より多くのお金を求めて働く貨幣経済の中で、自分らしく輝きながら、他者と共に幸福に生きる「技と知」を、ライフコーチの矢沢大輔が提案。

今日は私が暮らしている商店街のお祭りの日だ。

商店街を歩いていると、金魚すくいの準備をしている人たちがいて、大騒ぎになっていた。
 
金魚すくいの水槽のなかの金魚の約3分の2が、お祭りが始まる前に、死んでしまっていて、底に沈んでしまった大量の金魚を水槽から取り出す作業に、みんな大慌てになっていたのだ。
 
「この暑さのせいだろうか?」「酸素が足りないんだろうか?」「いや、ここに運搬されている最中に、もう弱っていたんだよ。悪いのは業者だよ」
こうして、話は犯人探しの方向に進んでいった。
 
マインドは、こんなふうに、思い通りに物事が運ばなかった時に、自分の外側に、悪者を探しだそうとする。
マインドは「正しい」と「誤り」の2点があるなら、正しい側に自分を位置づけ、「私は間違ってはいない」と主張したがる。
 
そして、自分の正しさを主張するには、誤った側に自分以外の誰かがいなければ、そう主張できないので、敵を探そうとする。
 
これが二元論に陥ったマインドの動きで、「正しいのは私の方」という主張が始まった瞬間から、敵が生み出されることになり、対立、争いがはじまる。
 
しかし、「正しい私」と「誤った誰か」がいるというこの分離から始まる争いから、平和や愛がもたらされることはない。
 
マインドは、「正しい」と「誤り」の2点のうちの片側に自分を位置づけ、他者と争いたがるけれど、これはマインドがつくりだしている分離の物語に過ぎない。
 
本当のあなたは、正しさも、誤りも主張しない非二元の気づきであり、平和であり続けている。
 
お知らせ
マインドは、平和、愛を探し求めていますが、平和、愛は、知識を使って理解できるような概念ではありません。
それは、存在そのものの特性であり、それに気づけるのは、非二元(ノンデュアリティ)の気づきだけです。
気づきの存在をダイレクトに体験してみたい方はノンデュアリティのプライベート・セッションをお受けください。