2ヶ月ほど前から五十肩になり、右腕が肩の高さまでしか上がらなくなった。
体に痛みを感じると、普通なら、早く治療して痛みを取り除きたくなるものだが、五十肩の場合、そうもいかないらしい。
どうすれば治るのかを医師に聞くと、「何もしなくても、三ヶ月ほどすれば元に戻るので、安静にしていてください」と言われた。
ありがたいことに、医師のこの一言で、「早く治したい」という思い(現状に対する抵抗)は消え、今起きていることをあるがままに受け入れられるようになった。
もちろん、五十肩になって、不自由を感じていることもある。
毎日、Tシャツを着脱する際、腕が上がらず、さらに汗によってTシャツが背中に張りついてしまい、なかなか脱ぐのに苦労している。
これに加えて、肩の湿布をはがさないように着脱するには、いろんな技を駆使する必要がある。
しかし、その一方で、五十肩になってから、とてつもなく安らげるようにもなった。
かつての私なら、痛みを感じたなら「自分が痛んでいる」と思い込み、痛みを早く取り除こうと、今、起きていること(痛み」に抵抗していた。
「自分」と「痛み」が対立関係にあり、「痛み」を戦うべき敵だと見なしていた。
ところが、今は、「痛み」をありのままに受容しているスペースこそが「自分」だとわかっているので、痛みを感じるたびにその包容力の大さに気づけ、より安らげるようになった。
こうなると、「痛み」は、もはや自分を脅かすものではなく、本当の自分とは何なのかを思い出させてくれる教師のようにも思えてくる。
五十肩の痛みが消えるのは、いつになるかは私にはわからない。
でも、この痛みがあるうちは、わが家に訪れたゲストをもてなすように、ここにいたいだけ痛みを歓迎しようと思う。
痛みが指し示してくれている安らぎの中で、痛みがくつろげるまで。
追伸
肩が上がらなくなったので、パソコンを打てる時間も少なくなり、なかなかブログを更新できなくなってきました。
しかし、自然に起きていることを起こるがままに眺めていると、強烈な痛みさえ、安らぎの中で起きていることがわかり、痛みも恩寵であることがわかるようになりました。
もし、あなたが今、肉体的であれ、精神的であれ、痛みを感じでいるなら、非二元のプライベートセッションをお受けください。