覚醒を求めて活気づくマインドのせわしなさ | 非二元|自分を見失わず幸福に生きる「技と知」

非二元|自分を見失わず幸福に生きる「技と知」

より多くのお金を求めて働く貨幣経済の中で、自分らしく輝きながら、他者と共に幸福に生きる「技と知」を、ライフコーチの矢沢大輔が提案。

非二元(ノンデュアリティ)のセッションをやっていて、一番多く出る質問は、「どうすれば、覚醒できますか?」というものだ。

 
「できることは何もない」と答えると、質問しているマインドはがっかりする。
 
マインドは、覚醒を求めて、そこに至りつくための手掛かりを知りだがる。
 
それがわかって、それを実践しさえすれば、自分も覚醒できると夢みて。
 
もし、私が「毎日、欠かさず瞑想すれば、覚醒できますよ」と言おうものなら、マインドは活気づき、喜び勇んで瞑想に取り組み始めるだろう。
 
でも、どれだけ熱心に瞑想に取り組み続けたところで、覚醒は起こらない。
 
すると、マインドから、またこんな質問が飛び出す。
「毎日、言われた通りに瞑想をやっているにもかかわらず、いまだに覚醒が起きません。何がいけないんでしょうか?」。

そこで、私が「それはまだまだ瞑想が足りないからです。エゴが消えるまで、さらに精進しなさい」などと言おうものなら、マインドはさらに活気づき、エゴとの格闘を始めるだろう。
 
何が言いたいかというと、覚醒を目指して、あなたが何かに取り組もうとするほど、覚醒は遠のく。

なぜなら、覚醒とは、個人の私に起こることではなく、「個人の私が存在している」という幻想から目覚めることだからだ。

目覚めは、どこかに至りつこうとする努力が消えたなら、自然に起こる。
 
また、これを聞いて、「じゃあ、何もしないようにすればいいんだ」と思ったなら、そのように行動を制御できる「私がいる」という感覚が強化され、これまた覚醒が起こりにくくなる。

いずれにせよ、覚醒を起こすために、個人として努力できることは何もない。

覚醒はひとりでに起き、それが起きたなら、何かをできるような私も、何かをやめられるような私も初めからいなかったことが明らかになる。

目覚めるのは私ではなく、目覚めた意識しかないことが明らかになる。

だからと言って、「覚醒」は、目指すべき目標ではない。
 
覚醒を求めるマインドの動きも、それが起きているなら、既に目覚めている意識の中で起こっていることだからだ。
 
今、何が起きていたとしても、既に意識は目覚めている。
 
既に目覚めた意識の中で、起こることが起こるがままに起きているだけ。

目覚めが起きていようがいまいが、あるがままで、既に完璧。
 
お知らせ
これまでに、非二元のプライベート・セッション、ノンデュアリティ・エクスペリエンスに参加された方へ。
 次回のノンデュアリティ・フォローアップ講座は、9月3日(日)に開催します。
早期割引は、7月28日(金)までです。