「集合意識」という概念の分離感 | 非二元|自分を見失わず幸福に生きる「技と知」

非二元|自分を見失わず幸福に生きる「技と知」

より多くのお金を求めて働く貨幣経済の中で、自分らしく輝きながら、他者と共に幸福に生きる「技と知」を、ライフコーチの矢沢大輔が提案。

昨日のノンデュアリティ・エクスペリエンスは満席で、参加者の大半が東京以外の方だった。

 
遠方からいらしていて、講座が終わってからも、非二元について質問したい方がいらしたので、しばらく会話を楽しんだ。
 
その時に「集合意識って何なんですか?」という質問が出たので、それについて話した内容を、ブログでも紹介しておこうと思う。
 
まず、「集合意識」とは何かというと、一人一人の意識の中にある「恐れ」が集って「集合意識」が形成され、それが現実の悲惨な出来事を引き起こす「原因」となっているもの、というような考え。
だから、真の平和を願うなら、集合意識をつくりあげている一人一人の意識から「恐れ」が消える必要がある。
そのためにも、個々の意識レベル、次元を上げていく必要がある、と考えられている。
 
で、私はどう答えたかというと、「それはマインドが創作したとても魅力的なストーリーではあるけれど、意識はそもそもいくつも存在していないし、誰かの意識レベルは高くて、誰かの意識レベルは低いという分離もない」と即答した。
 
というのも、昨日の講座の冒頭で、「存在しているのは一なる意識だけ」で、それが「非二元」という言葉が指し示しているものだと指摘していたからだ。
 
意識というものは、人間や生物の数だけ存在しているものだと、まだまだ多くの人は信じているけれど、現実に存在しているのは、一なる意識だけ。
これを、「コンシャスネス」といったり、「ワンネス」といったりするけれど、要するに2つ以上の意識があるなら、「非二元」と言ったりしないことを話していた。
 
さらに、現実に存在しているのは「一なる意識」と、その意識の中に現れている「ひとつながりの映像」だけで、単独で(分離して)存在しているものなど何もないことを、ワークを通して確認してもらってもいた。
 
リアルに存在しているのは、分離のないこの非二元性なのだが、とはいえ、マインドはいろいろと複雑な概念(ストーリー)を創り出す。
 
その概念の一つが、この「集合意識」であり、この概念には、人や生物ごとに、意識というものがバラバラに宿っているものだという前提が含まれている。
そもそも「バラバラに存在している」という前提がなければ、「集合」という概念そのものが成り立たなくなるからだ。
 
また、「集合意識」には、今ある現実は「不完全」だけど、「未来」のどこかで平和が達成される、という時間の概念=ストーリー性も組み込まれている。
 
つまり、「集合意識」とは、分離があるという概念を前提にして組み立てられた(創作された)、より複雑な概念、ストーリーに過ぎないのだ。
 
そして、マインドは、このように複雑な概念、ストーリーを好む。
 
存在しているのは、一つの意識だけ。
という、シンプル過ぎるほどシンプルな非二元のメッセージを受け入れようものなら、マインドの出る幕はなくなる。
 
だから、マインドは「二元性」を信じ、複雑なストーリーを生みだし続ける。
 
でも、現実に存在してるのは、一なる意識。
ワンネス。
 
このシンプルさを知っているのは、マインドではなく、一なる意識。
 
そして、この一なる意識の中に、「一人一人に意識がある」というデタラメな概念さえ、思考の一つとして現れ出ることが許されている。
 
でも、どこにも分離はない。
その「分離の思考」さえ、一なる意識の中に現れる思考の一つなのだから。
 
存在しているのは、この一なる意識だけ。
 
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