「生きている感覚をあまり感じられない」という理由で、福島から東京までセッションを受けにきてくれた。
ちょうどコーヒーを飲みながらのセッションだったので、このコーヒーの味も生の現れそのものであることを確認してもらった。
「私が生きていた」のではなく、生きていたのは「生そのもの」だった。
この気づきが起きた瞬間、彼が感じていた苦しみは、あっけなく消滅してしまった。
彼は、ここにくるまで、スピリチュアルの先生から「瞑想をしなさい」「ハイアーセルフとつながりなさい」と指導されていたにもかかわらず、それができずに苦しんでいた。
できない自分を責めていた。
スピリチュアルのティーチャーは、まるで
「瞑想するか、しないかを決められる個人がいる」という前提で、こんなことを言う。
でも、瞑想できようができまいが、それはやっているのは自分だと思い込んでいる限り、人は牢獄(相対の法則)のなかにつなぎとめられる。
そこからの解放、悟りを求めながらも、逆説的に「自分がいる」という夢を見続けることになる。
非二元であれ、瞑想であれ、ヨガであれ、ここにない何かを得よう、どこかに辿りつこうと、奮闘努力している私がいる限り、「生きているのは私」という白昼夢は続く。
でも、生きているのは、生そのもの。
この生から分離して存在しているものなど何もない。
これが非二元(ノンデュアリティ)。
お知らせ
スピリチュアルや自己啓発、心理学を探求し続けても、生きづらさが続いている方は、非二元のプライベートセッションをお受けください。