エセ非二元(スードゥ・アドヴァイタ) | 非二元|自分を見失わず幸福に生きる「技と知」

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より多くのお金を求めて働く貨幣経済の中で、自分らしく輝きながら、他者と共に幸福に生きる「技と知」を、ライフコーチの矢沢大輔が提案。

非二元(ノンデュアリティ)の翻訳本が増えるにつれ、「伝統的アドヴァイタ」と「ネオアドヴァイタ」の違いは、なんなのか?という質問が増えてきた。

 

「アドヴァイタ」とは、非二元のことで、「伝統的アドヴァイタ」も「ネオアドヴァイタ」も、リバレーション(解放)があるだけで、これとは別に「個人の私」が存在していないことを指摘している。

 

ただ、両者の違いは、個人の私がいなくなるのに、なんらかのアプローチ方法が、あり得るかどうかの点で異なる。

 

でも、今日、私が指摘しておきたいのは、この両者の違いではなく、この両者と「スードゥ・アドヴァイタ」と呼ばれるエセ非二元との違いについてだ。

 

エセ非二元とは、非二元の本で「私がいない」というメッセージを読み、マインドが理解した「非二元論」のことだ。

 

内容的には、非二元っぽいことを語っているものの、それはマインドの理解によるものなので、全体と一つになろうとしている「私がいる」ことが、言葉の隅々に出てきてしまっている。

 

「私がいないこと」を私はわかっている。

 

マインドはそう言いながら、私がいないことをわかっている「私」を存続させている。

 

これが、マインドの巧妙さだ。

 

エセ非二元を語っているのは、マインドであり、その言葉はマインドを活気づけることはあっても、リバレーションは起きない。

 

そして、今、ネットで「非二元」「ノンデュアリティ」を検索すれば、マインドの理解によって非二元をわかった気にさせる、日本語によるスードゥ・アドヴァイタのメッセージがたくさん見つかる。

 
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