「非二元(ノンデュアリティ)」と「スイミング」の共通点。
それは、本を読んでわかるものでも、考えてマスターできるものでもないということ。
泳げるようになりたければ、実際に水につかって練習するしかない。
水泳に関する本を熟読して、手のかき方、息継ぎの方法を知り、それを誰よりも詳しく理論的に説明できるようになったところで泳げるようにはならない。
非二元もこれと同じで、非二元の本を何冊読んでも、非二元の話を何度聞きに行っても、それは言葉による理解度を高めているだけで、生とは切り離されてしまっている。
非二元は、哲学でも、理論でもない。
それは、存在であり、生そのものだ。
それは水泳と違って、マスターできるようなスキルでもない。
人は、「生きているのは個人の私」という夢の中で、苦しみから抜け出そうと光を探し求めている。
自分のしっぽをつかまえようと、くるくる同じところを回り続ける犬のように、思考の渦の中に巻き込まれ、出口を探している。
泳げるようになりたければ、本を置いて水につかり、スイミングスクールの先生の指導に従って泳いでみればいい。
そうすれば、水と自分が別々でないことがわかる。
これと同じように、ぐるぐると回り続ける思考のループから抜け出したいなら、非二元の本を置いて、生の感覚の中にダイブしてみればいい。
スイミングスクールの先生が、誰よりも先にプールに飛び込み、「さあ、慣れ親しんだ地上から離れて水の中に入ってきてごらん」と誘うように、非二元のティーチャーたちも、あなたを誘っている。
何かを知ろうともがき続けるその思考の世界から足を離して、ここに飛び込んでごらんよと。
飛び込めばわかることだけど、ここには底がない。
つかめるプールサイドもない。
「底を打ったら上昇が始まる」という概念上のU理論も存在していない。
生に、行き止まるような底はない。
頭打ちするような天井もない。
あるのは永遠のフリーフォール。
底もなく、つかめるものもない、この自由落下の気持ち良さは、理解を手放し、ダイブしてみなければ経験できない。
お知らせ
生の気持ち良さを直接感じてみたい方は、非二元のプライベートセッションか、ノンデュアリティ・エクスペリエンスにご参加ください。