マインドフルネスと非二元の違い | 非二元|縁起的現象としての「私」

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「マインドフルネスというのがあることを知ったのですが、非二元と何が違うんですか?」と質問されたので、今日はそれについてお応えします。


マインドフルネスと非二元は、なんの関係もないです。

マインドフルネスは、観照者、観察者の視点から、心の動きなどを見ています。
非二元は、その名の通り、観ているものと観られる対象が分かれていません。

何かを観ている主体が存在しません。


瞑想を例にとると、非二元では、瞑想する人=主体が存在しません。

瞑想がただ起こっているだけです。
(見かけ上は、瞑想している人がいるように見えますが)

でも、これは、言葉のトンチではありません。

さあ、これから瞑想しようと思って、瞑想をはじめたなら、そこには瞑想しようとしている主体、行為者がいます。

それは主体である自分がいることを前提に、その自分が瞑想をしていることになります。


でも、非二元では、その行為者、主体はいません。

瞑想という行為が起こったなら、それが自然に起こっただけで、瞑想しているもの=行為者はどこにもいません。
そこには誰もいません。
ただ、瞑想が起こっているだけ。


それが、今、生命の動きとして、起こっている。

生命があるだけで、ここにはそれ以外の何も存在していない。

これが非二元です。


見かけ上は、やってることは同じように見えたとしても、マインドフルネスと、非二元とは何の関係もありません。


矢沢大輔


追伸
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