落ちてたお金を拾わないと、どうなる? | 非二元|縁起的現象としての「私」

非二元|縁起的現象としての「私」

宇宙的自己に目覚める記事を配信。
「迷悟」「苦楽」「生死」の相対を超えた「身体・宇宙」一如の絶対的あり様とは?
迷い、悩み、苦しみのない、日々、生き活きとした生活の実践。

今日もまた、道にお金が落ちていた。


近所のカフェで、般若心経とお金に関する本を読みおえ、家に戻ろうとしたら、目の前に50円玉が落ちているのを発見。


でも、今日は、拾わずに通り過ぎることにした。


数週間前に、道で千円札を拾った時も、昨年の秋に、二万二千円を拾った時も、なぜ、お金が落ちているのに、誰も拾わないのかが疑問だったので、今日はそれを確かめたくて、拾わずに通り過ぎてみた。


そして、20、30メートル先まで歩いてから元の場所に引き返してみた。

私が通り過ぎる間に、50円玉が落ちている地点を通り過ぎたのは、6人。


さすがに誰かが拾っただろうなと思いつつ、元の場所に戻ってみると、50円玉はそのままだった。


私が今、不思議に思うのは、なぜ、お金のことを考えていると、お金を拾いやすくなるのか?

ということ以上に、なぜ、私以外の人は、お金が落ちていても拾おうとしないのか?ということ。


気づいていないだけ?

それとも、気づいているのに、誰も拾おうとしないだけ?


今回、落ちていたのは50円玉だったけど、これが、千円札や一万円札だったら、どうなっていたんだろう?

次回は、それをぜひ試してみたい。


でも、千円札が落ちていたら、私が真っ先に拾ってしまう気もする。


矢沢大輔


追伸
「お金の拾い方」ではなく、「お金のつくり方」を知りたい方は、こちら をご覧ください。


追伸2
矢沢大輔が発行する2つのメルマガには、既に登録されましたか?
仕事と人生の悩みが消える「心と脳の話」
受験・資格取得の学習が加速する「記憶できる勉強法」