今日もまた、道にお金が落ちていた。
近所のカフェで、般若心経とお金に関する本を読みおえ、家に戻ろうとしたら、目の前に50円玉が落ちているのを発見。
でも、今日は、拾わずに通り過ぎることにした。
数週間前に、道で千円札を拾った時も、昨年の秋に、二万二千円を拾った時も、なぜ、お金が落ちているのに、誰も拾わないのかが疑問だったので、今日はそれを確かめたくて、拾わずに通り過ぎてみた。
そして、20、30メートル先まで歩いてから元の場所に引き返してみた。
私が通り過ぎる間に、50円玉が落ちている地点を通り過ぎたのは、6人。
さすがに誰かが拾っただろうなと思いつつ、元の場所に戻ってみると、50円玉はそのままだった。
私が今、不思議に思うのは、なぜ、お金のことを考えていると、お金を拾いやすくなるのか?
ということ以上に、なぜ、私以外の人は、お金が落ちていても拾おうとしないのか?ということ。
気づいていないだけ?
それとも、気づいているのに、誰も拾おうとしないだけ?
今回、落ちていたのは50円玉だったけど、これが、千円札や一万円札だったら、どうなっていたんだろう?
次回は、それをぜひ試してみたい。
でも、千円札が落ちていたら、私が真っ先に拾ってしまう気もする。
矢沢大輔
追伸
「お金の拾い方」ではなく、「お金のつくり方」を知りたい方は、こちら
をご覧ください。
追伸2
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