こんにちは。
ブログに来てくださりありがとうございます。
今日のイラストはリアルファブリックに登録している生地デザインの鉛筆柄です。
新学期が始まりました。
娘が高校に入学し、お弁当生活が始まりました。
お弁当生活は7年ぶりくらいなので、慣れるまでしばらく落ち着かない日々が続きそうです。
作れない日は、購買を利用すればいいんですけどね。
こういう時に、無意識に染みついた自分の完璧主義に気付きます。
今週末は時間ができたので、本を何冊か読みました。
古屋星斗さん著「なぜ「若手を育てる」のは今、こんなに難しいのか」日経BP 日本経済新聞出版
竹端寛さん著「ケアしケアされ、生きていく」ちくまプリマー新書
何冊か同時並行で読むと、内容がシンクロしていたり、情報が混ざって新しい気づきがあったりして面白いです。
「ケアしケアされ、生きていく」の中で、「他者の他者性」という言葉が出てきました。
「他者には、自分には理解し得ない他者性がある」という意味ですが、
子育てでは、この「他者の他者性」に向き合う機会が否応なく激増します。
親自身が子どもの時は我慢していたことを、子どもたちは平気でやってのけます。
親はその度にイラッとする。
でもここで、対立するのではなく、他者性を理解しようと全身で聞き耳を立てる。
これによって、相手との信頼関係が生まれ、コミュニケーションを豊かに交わすことができるようになっていくんじゃないか、とそのようなことが書かれていました。
これまで子育てする中で、家族との関係や、自分自身のキャリアで悩む場面があったのですが、相手の思いを聞き、自分の思いを伝え、妥協点を探り、試行錯誤してきたことこそが、私の人生を豊かにしているのだと思うと、何かを達成しなくても既に人生に意味はあるんだなあと思えます。
思い返すと、最近はそうやって自分を丸ごとを受け止められるようになってきたせいか、渇望感や表現欲求が落ち着いてきた気がします。
おかげで自主制作に対する熱意も下がっているので、ある程度の承認欲求は必要だなあと思うこの頃です。