●多くのものが心の止滅(ニローダ)を失い、こころは一点集中(エーカーグラ・チッタ)するようになった。
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第二段階 神秘主義
第二段階のはじめには、失われた幸福を求め自分自身に問いかけるため、多くの人々が社会に背を向けて森に入った。
多くのものが心の止滅(ニローダ)を失い、こころは一点集中(エーカーグラ・チッタ)するようになった。
止滅のこころに比べて一点集中の心が不利なのは、常に何かを考えているという点である。
しかし、一点集中の心は今日の支配的なこころと異なり、明快な解決に到達するまでは1つの事柄について考えることができるという多大な利点を持つ。
この時期には、瞑想を通して自由を得た聖仙(リシ)(賢者)と呼ばれる師(マスター)が多く存在し、師の周りには多くの弟子たちが集まった。
実際、『ラーマーヤナ』や『マハーバーラータ』にある言葉を信じるなら、当時は都市と同様に人々の集まっている森があったという事だ。
この段階では、まだ多くの人々は瞑想によって心を静めることができた。
師の話を聞くだけで、人々は目覚めることができたのである。
この時期の師たちは、ニーロダつまり心を止滅して教えを説いた。
現実の本来の姿に対して、自発的な洞察力を指し示した。
こういう師を自然に理解するには、弟子の心が少なくとも1点集中(エーカーグラ)でなくてはならない。
言い換えれば、弟子は「成熟した魂」の持ち主でなくてはならない。
「成熟した魂」とカギカッコに入れて書いたのは、真の自己(魂)は永遠に自由で不変だからだ。
成熟度が増加することも減少することもない。
この時代に変遷された経典は『ウパニシャッド』であり、これは師と弟子の間の神秘的な対話によって成り立つ。
「ウパニシャッド」とは師のそばに座るという意味であり、「神秘主義」とは隠されたもの、言葉で言い表せないものを表現することを意味する。
「隠された」という言葉がつかわれていることで、ヴェーダの時代、自然主義の時代には何も隠されてはいなかったが、神秘主義のころには本来の姿に関する知識をかなり失っていたことがわかる。
次第に、こうした神秘主義の時代は衰退する。
『現代人のためのヨーガスートラ』
グレゴール・メーレ著/伊藤雅之監訳/GAIABOOK版
一点集中から
止滅への
コツをつかむ。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
坂本範子
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