●生きづらさと、非二元
ブログにおこしくださり、ありがとうございます。坂本範子です。
何らかの具体的な、または
空気のようにまとわりつく無自覚の生きづらさを持っていて
非二元に興味をもたれるかたは
とても多いと思います。
そんなとき、
非二元へひきつけられるのは
ごく当然のことだと感じます。
わたしも、そんな一人でしたし^^
ただ残念ながら、
非二元は、
苦しみから逃れるための一発逆転には
ならないことが多いです。
これは、コツコツとした地道な道です。
そんな場合に非二元にこだわりすぎると
逆に、変なワールドにはまったり
逆に、寄り添ってもらえないような気持ちになってさらにつらくなったり
逆に、怒りや苛立ちがこみあげてくることもあるでしょう。
そんな時は、
最初に自我のケアをしてあげる、
という方法もあります。
非二元の教えでは「自我はない」と言います。
それは真実です。
が、そこに自分のリアリティがまったく宿っていないなら
それは一旦、頭の片隅に置いておいて
今目の前の「雲のリアリティ」から取り組むほうが
早いときがあります。
心が苦しくて、いたくて
寄り添ってもらいたい。
そんなどうしようもない衝動があるのなら
そのときは
非二元ではなく
心理ケア/セラピーもいいでしょう。
なぜなら
その渇望を無意識のままにしておくと、それに多大なるエネルギーを消耗しているので、
真実を観察するという、意識的で静かな眼差しを持続するところまで
エネルギーがもたないんですね。
ここで、そんなことに囚われている「わたし」はいないんです、
ということもできるかもしれません。
それも真実です。
ですが、
その究極の教えに、いま、リアリティが宿っているのか?と自問して、
正直に答えを観たとき、
そこにNoの片鱗があるなら
今現在のリアリティのあるところは何かを
明晰に観たほうがいいです。
そのリアリティを無意識に隠そう、ないことにしようとしていることに気づき
それを分けることなく見て行こうとすることに立ち戻るほうがいいです。
遠回りに見えるその一歩が、まさに
何物も分け隔てない、非二元への一歩となります。
非二元を探究するときは
あらゆる「わたし」を置いていきます。
でも、そのプロセスにおいて、その「わたし」が
置いていかれても安心なんだと感じられるような
あったかなケアが必要なタイミングもあります。
この道を歩み始めたときの、
その二つのバランスは
とても重要です。
人それぞれに違う感覚に合わせて
その見極めを間違えないことが
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
坂本範子
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