おやじの百寺巡礼
≪NO63≫
萬福寺(まんぷくじ)《京都市》
令和6年3月7日(木)
京都の寺巡りも4日目
本日が最終日になりました。
十三ヵ寺目は
宇治市の萬福寺、
黄檗宗(おうばくしゅう)の大本山です。
朝9時にホテルを出て
JR嵯峨野線丹波口駅から京都駅へ
そして奈良線で黄檗駅へ
向かいました。
黄檗駅、なかなか読みずらい
駅名です。
この宗派の方々か
宗派に興味がない方々には
きっとなじみのない
漢字だと思います。
JR黄檗駅前の
ロータリーは
工事中でした。
萬福寺へ向かう
道を少し迷いましたが
なんとか
「総門」を見つけました。
総門は
「牌楼(ぱいろう)式」という
中国門の形式で
「漢門」とも言うそうです。
屋根瓦の左右にのる鯱みたいなものは
「摩伽羅(まから)」という
想像上の魚だそうです。
境内にあった万福寺の全景図です。
堂宇が多く、とても広く感じます。
境内に入り
「三門」を見上げます。
法然院にもあった
「不許葷辛酒肉入山門」
(ふきょくんしんしゅにくにゅうざんもん)
と書いてある石柱がありました。
「葷辛」とは
においのきついものらしいです。
つまり、酒や肉、辛く臭うものを食べて
入山してはいけないということです。
上層中央に「黄檗山」
下層正面に「萬福寺」の扁額が
掲げてありました。
ともに隠元禅師(いんげんぜんじ)の書だそうです。
あのインゲン豆を中国から
持ち込んだ偉い禅僧です。
三門をくぐり
「天王殿(てんのうでん)」に向かいます。
内陣には正面に
金色に輝く「布袋様」が鎮座しています。
日本では七福神のひとりとして有名ですが、
「弥勒菩薩(みろくぼさつ)」の化身として
祀られています。
続いてその奥の
「大雄宝殿(だいおうほうでん)」へ進みます。
萬福寺の中心、「本堂」です。
内陣には
「釈迦如来」を祀っています。
左右には「十八羅漢像」が鎮座しています。
様々な表情やしぐさが
とてもユニークで迫力があります。
この羅漢像も中国から
渡ってきた僧が彫ったと書いてありました。
この辺りから
黄檗宗関係者を案内する
当山僧侶のお話を
少しですが
静かに黙って
後ろに付かせていただき
聴くことができました。
「鐘楼(しょうろう)」について
説明しています。
「開ぱん(魚ぱん)」とよばれる
木魚の原型です。(ぱんの字がPCでみつけられませんでした。)
日々の行事や儀式の刻限を知らせます。
至る所に中国のお寺かと
思わせる様式が
取り入れられています。
庭園にも他の寺ではあまり見かけない
何やら丸い石がありました。
「寿蔵(寿塔)」です。
とても異国風です。
廻廊の欄干も中国風です。
こちらの欄干は
逆さ卍と案内では言っていました。
廻廊の上に貼り付けられた
末寺の紹介札に
我が地元の寺の名前を3ヵ寺見つけました。
毎日の散歩で
いつも歩いている道すがらの
お寺の名前を
このような場所で見つけると
なんだかとてもうれしくなります。
最後に寄った庫裏の
売店前に
高崎だるまが置いてあり
またまた
うれしくなりました。
廻廊の途中で出会った
「祖師堂」の
「達磨大師坐像(だるまだいしざぞう)」です。
半眼で結跏趺坐(けっかふざ)をしていた
坐禅姿がとても
凛々しくおもえました。
この姿が
高崎だるまのモデルになったのかもしれないと
勝手に思ってしまいました。
萬福寺を出て
昼食場所を探しているときに
萬福寺塔頭(たっちゅう)の
「宝蔵院」を見つけました。
一切経(いっさいきょう)の版木(6956巻)を
収蔵しているお寺です。
中に入り
その一部と本尊を
拝ませていただきました。
この版木は現在の原稿用紙と同じ形式で
これが元になったのではないかと
話してくれました。
見ることはできませんが
膨大な版木がこの寺の収蔵庫の中に
今でも収納されていることに
驚きを隠せませんでした。
萬福寺は静かな寺でした。
その中を
僧侶の方の説明を
遠くに聞きながら
多くの堂宇を見学させていただきました。
そして
写真撮影もすべて
OKでした。
今回の寺巡りの中で
最も時間をかけて
ゆっくり周れた
お寺でもありました。
帰りの黄檗駅に向かいながら
あの
金色大きなおなかの布袋様(弥勒菩薩)の
満面の笑顔が頭に浮かび
思わず微笑んでしまいました。
(R6.3.25.記)
萬福寺(まんぷくじ)
【宗 派】 黄檗宗大本山
【山 号】 黄檗山(おおばくさん)
【所在地】 京都府宇治市五ヶ庄三番割34
【電 話】 0774-32-3900
【拝観時間】9:00~16:30
【拝観料】 500円
【交 通】 JR、京阪「黄檗駅」
下車徒歩5分