伊達政宗の寺と五大堂 | 乗り鉄親爺の寺巡り

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鉄道大好き親爺が列車や車で、写真を撮ながら、時々計画を立てて、大好きな作家五木寛之さんの「百寺巡礼」のように全国の寺巡りをしています。

令和3年9月27日(月)

おやじの百寺巡礼≪NO7≫ 

瑞巌寺(ずいがんじ)

宮城県宮城郡松島町

 

三ヵ寺(黒石寺・中尊寺・毛越寺)の拝観を終え、

宮城県に向かい、

 

松島に宿を求めた。

 

瑞巌寺から車で5分程度の高台にある海が

一望できる大きなホテルであった。

 

その日は疲れたので早く就寝し 翌日の早朝、

部屋から眺めた朝日に照らされた

松島の島々は、

それはそれは見事だった。

朝の散歩で海岸から赤い橋(渡月橋)で

つながっている「雄島」を訪ねた。

 

昔、

多くの僧侶や修験者が修行に

明け暮れた死者供養の霊場である。

雄島の岸壁には、

修行者たちの遺骨を祀る

岩窟群が無数に彫られていた。

 

普通の観光では、

ほとんど素通りしてしまうこの島を

散歩できたのは

非常にラッキーであった。

 

9時の開門を待つように

瑞巌寺の総門前に立った。

 

巨大な杉が迎えてくれた。

 

非常に手入れの行き届いた境内を歩く。

本堂を拝観するためには右側の庫裏より

入るようにと導線が指示していた。

 

庫裏前の作務をしている寺人から

丁寧な挨拶をされ

 

帰りに宝物殿も見るようにとの案内もいただいた。

寺院内は写真撮影はできないので残念であるが、

きらびやかな襖絵は一見の価値があった。

 

上段の間には伊達政宗の像もあり、

そのさらに一段高い上々段の間は

天皇や皇族のみが上がれる間も

身近にみられた。

 

本堂を出て直進、宝物館(青龍殿)もゆっくり拝観できた。

 

瑞巌寺総門を出て海岸線を左に行くと五大堂である。

五大堂は瑞巌寺のシンボルと呼ばれている。

小島にある五大堂へ行くためには

朱塗りの「透かし橋」を渡る。

「透かし橋」は堂内の秘仏五大明王への参詣に

身を引き締めよとの意味で

橋下の海が見えるようになっている。

 

高所恐怖症の方には少し気の毒かもしれない。

 

五大堂が見えた。

瑞巌寺本堂の壮大さと比べると質素であるが、

造りはしっかりとしている。

 

堂内を拝観できないのが残念であるが、

無料ということを考えると

致し方がない。

 

五大堂の小島から見る松島湾は穏やかな光を浴びて、

それはきれいであった。

 

行きかう観光船の「ボォー!」

という汽笛がこだましている。

 

遠くに福浦島へ行く赤い橋(であいばし)が見えた。

 

瑞巌寺は観光地の中にひっそりと佇んでいる。

 

このたくさんの島々に囲まれた風光明媚なこの地は

松尾芭蕉もあまりにも景色の美しさにすぐには

句が詠めなかったという。

 

(ちなみに「松島や ああ松島や 松島や」と詠んだのは 

田原坊という

江戸後期の狂歌師 だそうである。)

 

きっと、

寺を建立した円仁も、

たくさん小島浮かぶ美しい松島湾に魅せられて

この地を選んだのかもしれない。

                 (2021.10.1 記)

 

瑞巌寺(ずいかんじ)

【宗 派】 臨済宗妙心寺派

【寺 号】 松島青龍山瑞巌円福禅寺

       (しょうとうせいりゅうざん

       ずいがんえんぷくぜんじ)通称 瑞巌寺

【所在地】 宮城県宮城郡松島町松島字町内91

【電 話】 022-354-2023

【拝観時間】 8時~17時

【拝観料】  700円

【交 通】 JR松島海岸駅から徒歩5分

*仙台六十二万石の藩祖 伊達政宗の菩提寺

  豪壮な建築とその内部を飾る襖絵が有名

*9世紀初頭、慈覚大師円仁により開創された

  天台宗延福寺がその前身と伝わる。

  その後鎌倉時代に臨済宗建長寺派への改宗。

  寺名を円福寺とした。

  さらに戦国時代を経て次第に衰退し、

  16世紀末には臨済宗妙心寺派となる。

*平成30年には10年に及ぶ「平成の大修理」が完了し、

  創建当初の姿となる。