前回の日記の続きを明言してしまったためまとめたのですが、内容が濃すぎて大作になってしまいました。
グラフみたいなのが出てきますが、そんなに難しいお話しではありません(笑)。
~~~
さて、自信のある人、色々うまくいっている人は、勝手にやっていくのでいいのですが、すごく劣等感を持っている人、自信がない人、ある限定されたたった一つの評価基準で「自分は低いところにいる」と自覚している人と対話などする時いつも思うのです。
●もともと飛び抜けている
「いえいえあなたは、例えば生物学的に言っても超高性能ですし、ものすごい個性的で潜在的にも独自性と可能性を持っていて、あなたは凄いんですよ」と。
別にカッコつけているわけではなく、だって全ての人は60兆個の細胞が最低でも60兆階乗の繋がりを持ちながら、それらが調和して一つの自律したあなたという生物を作り上げていて、超芸術以外の何者でもない存在なわけです。そこから繰り出されるどんな言動も、この宇宙140億年の進化の歴史を表した奇跡的な芸術性を持っているわけです。
そして、人類に限って言っても、今生きている70億人全員が進化の最先端にいるわけです。何か一つの分野で平均にいると思っても。なので、今あなたがいる、まだ名付けられてもいないその分野の最先端を突っ走ればいいと思っています。(過去日記:どんな存在が生き残るのか)

https://goo.gl/GxLiio
つまり、この左上の動物界の中の先っちょにいる人類(ホモサピエンス)が今70億人いるとして、70億の枝が伸びていて、その先端にあなたがいる、ということです。
●なんでも徹底的にやったら飛び抜ける
また、こんな記事がありました。
「ネット漬けの人が1年間ネットをしなかったら」
https://www.facebook.com/nishimura.keiji.5/posts/982042095168182
ネット漬けの人が1年間ネットをしなかったらどうなったか、というお話しです(笑)。
これでさえも飛び抜けた例になります。何でも良いのだと思います。超中毒になっていることがあったら、それをネタにすればいいですし(パチンコとか)。そしてそれを1年間やめてみて、その状況を公開するだけでも、飛び抜けた良い例になるわけです。なので、例えば何でも中毒的にやってみて、例えばそれをやめてみても面白い独自で貴重なエピソードになってしまいます。
別にどうしても飛び抜けなければならないことはないけれども(笑)。
あるいは逆に、究極にバランスを追求するのでも良いかもしれません。完全に丸い人。究極にバランスを追求する、という点においてとんがった存在(笑)。真円、というとんがった存在。
●飛び抜けることのメリット
”飛び抜けた存在”に対して、多くの人は本能的にワクワクすると思います。なぜでしょう。
武田双雲さんのメルマガで、こんな記述がありました。
「もし
好きなこと、
楽しいことばかりしか
やらない人生を歩んだら
どうなるのか。
やってみなきゃわからない。」
これも一つのとんがった例だと思っています。
僕は今のところ、こういう生き方は逆にそうしたくない性分なので、やらないけれども、ある一つのあり方を追求する人、
= 飛び抜けた人
というのは、この世界の多様性のために存在して欲しいなぁ、と思っています。フロンティアへの挑戦者。価値観を拡げる人。多様性の枠を拡げてくれる人。限界の先を開拓してくれる人。
例えば生物で言えば、多様性とは、生き残る確率を上げてくれる事象です。トライアンドエラーの数の多さ。多様性こそその種の強さの象徴。環境の変化に対して多様性のおかげでどれかが生き残ることで、後の世にその生物の遺伝子を繋ぐ芽を残すことができるわけです。
だから、ある分野を徹底的に追求し、限界を超えた存在というのは、人類全体の枠を拡げ、生き残りの可能性を広げてくれる存在だからこそ、遺伝子レベルの本能で感動したり賞賛したりしたくなるのだと思います。
●今後の人類
そんな中、今人類は単純な物理的な強さの世界から脱却(進化)しつつあります。
昔は身体に障害があったり、脳も含めて身体のどこかが他の人に対して能力が低かったりすると、生きにくい世の中でしたが、今でも差別(バリア)はあれど、どんなに障害が激しくても、少しずつ世の中がそれに対応するようになり(バリアフリー化)、生き延びられるようになってきました。
すると、昔はある一つの分野で劣っていたために生きられなかった存在も、その”短所”を文明により補うことで生き延びられるようになり、人類は、短所によって死ぬのではなく、長所によって生きられる存在になってきました。そしてそれが進化なのだろうと思います。物理的、精神的なバリアフリーという世の中の変化は、進化の道筋に合致しています。
●”正規分布”の世界。
この世界は、マクロで見ると多くの分野がこういうグラフになります。つまり端の方はどんな分野でも必ず存在することになります。

https://goo.gl/WX9Av0
ある分野で飛び抜けた存在。例えば、
徹底的に笑う人。何があっても笑う人。
逆に、徹底的に怒る人。何があっても怒る人。
徹底的に修行に励む人。
徹底的に堕落に流される人。
徹底的に楽に生きる人。
徹底的に苦を背負う人。
徹底的に卑怯に生きる人。
徹底的に誠実に生きる人。
徹底的にアンバランスな人。
徹底的に中庸な人。
この世は相対的なものなので、端の方と、逆の端の方の極小数は必ず存在することになるわけです。
もしそれを避けるとどうなるか。つまり、端の人たちを滅していくとどうなるか。
こうなると思います。
過去日記:「揺れる舟は沈まない」
まるで、0と1の世界で、端と端が無く真ん中にカクンとビルが立っている感じのグラフになるわけです。100%の人が平均のところにいる状態。
すると、どこかにひずみができて、ビルが崩れたり風化する感じになり、やはり正規分布のグラフに近づいていくのだろうと思います。
ということで、
●高くあるものは高く。低くあるものは低く。
”易経”の現在の日本での第一人者:竹村亞希子さんのブログより
http://plaza.rakuten.co.jp/anotamatebako2/diary/201601060000/
~帝王学の書~1月6日の『易経一日一言』(致知出版社)
☆天は尊(たか)く、地は卑(ひく)く☆
天は尊く、地は卑くして乾坤(けんこん)定まる
(繋辞上伝)
易経は宇宙の情態を象(かたど)って作られている。
天は地の上にあって高く、地は天の下に低くあって天の気を受け、万物を養う。
この天地のあり方から乾坤(けんこん)の根本が定まる。
「乾」は「天」、陰陽の「陽」であり、能動的な性質を持つ。
「坤」は「地」、陰陽の「陰」にあたり、受動的な性質を持つ。
この根本に従い、高くあるもの、低くあるものが
それぞれの働きを全うすれば、宇宙のみならず、人間社会も安定してくる。
全ての人は、すごいんだ、というお話しでした。
◆◆◆◆◆
1月:102.1km/84km 1月28日昼
2月:8.9km/84km 2月6日朝
2016年:111.0/1000km
総計:4300.9/10000km(2012年~2021年末まで)
グラフみたいなのが出てきますが、そんなに難しいお話しではありません(笑)。
~~~
さて、自信のある人、色々うまくいっている人は、勝手にやっていくのでいいのですが、すごく劣等感を持っている人、自信がない人、ある限定されたたった一つの評価基準で「自分は低いところにいる」と自覚している人と対話などする時いつも思うのです。
●もともと飛び抜けている
「いえいえあなたは、例えば生物学的に言っても超高性能ですし、ものすごい個性的で潜在的にも独自性と可能性を持っていて、あなたは凄いんですよ」と。
別にカッコつけているわけではなく、だって全ての人は60兆個の細胞が最低でも60兆階乗の繋がりを持ちながら、それらが調和して一つの自律したあなたという生物を作り上げていて、超芸術以外の何者でもない存在なわけです。そこから繰り出されるどんな言動も、この宇宙140億年の進化の歴史を表した奇跡的な芸術性を持っているわけです。
そして、人類に限って言っても、今生きている70億人全員が進化の最先端にいるわけです。何か一つの分野で平均にいると思っても。なので、今あなたがいる、まだ名付けられてもいないその分野の最先端を突っ走ればいいと思っています。(過去日記:どんな存在が生き残るのか)

https://goo.gl/GxLiio
つまり、この左上の動物界の中の先っちょにいる人類(ホモサピエンス)が今70億人いるとして、70億の枝が伸びていて、その先端にあなたがいる、ということです。
●なんでも徹底的にやったら飛び抜ける
また、こんな記事がありました。
「ネット漬けの人が1年間ネットをしなかったら」
https://www.facebook.com/nishimura.keiji.5/posts/982042095168182
ネット漬けの人が1年間ネットをしなかったらどうなったか、というお話しです(笑)。
これでさえも飛び抜けた例になります。何でも良いのだと思います。超中毒になっていることがあったら、それをネタにすればいいですし(パチンコとか)。そしてそれを1年間やめてみて、その状況を公開するだけでも、飛び抜けた良い例になるわけです。なので、例えば何でも中毒的にやってみて、例えばそれをやめてみても面白い独自で貴重なエピソードになってしまいます。
別にどうしても飛び抜けなければならないことはないけれども(笑)。
あるいは逆に、究極にバランスを追求するのでも良いかもしれません。完全に丸い人。究極にバランスを追求する、という点においてとんがった存在(笑)。真円、というとんがった存在。
●飛び抜けることのメリット
”飛び抜けた存在”に対して、多くの人は本能的にワクワクすると思います。なぜでしょう。
武田双雲さんのメルマガで、こんな記述がありました。
「もし
好きなこと、
楽しいことばかりしか
やらない人生を歩んだら
どうなるのか。
やってみなきゃわからない。」
これも一つのとんがった例だと思っています。
僕は今のところ、こういう生き方は逆にそうしたくない性分なので、やらないけれども、ある一つのあり方を追求する人、
= 飛び抜けた人
というのは、この世界の多様性のために存在して欲しいなぁ、と思っています。フロンティアへの挑戦者。価値観を拡げる人。多様性の枠を拡げてくれる人。限界の先を開拓してくれる人。
例えば生物で言えば、多様性とは、生き残る確率を上げてくれる事象です。トライアンドエラーの数の多さ。多様性こそその種の強さの象徴。環境の変化に対して多様性のおかげでどれかが生き残ることで、後の世にその生物の遺伝子を繋ぐ芽を残すことができるわけです。
だから、ある分野を徹底的に追求し、限界を超えた存在というのは、人類全体の枠を拡げ、生き残りの可能性を広げてくれる存在だからこそ、遺伝子レベルの本能で感動したり賞賛したりしたくなるのだと思います。
●今後の人類
そんな中、今人類は単純な物理的な強さの世界から脱却(進化)しつつあります。
昔は身体に障害があったり、脳も含めて身体のどこかが他の人に対して能力が低かったりすると、生きにくい世の中でしたが、今でも差別(バリア)はあれど、どんなに障害が激しくても、少しずつ世の中がそれに対応するようになり(バリアフリー化)、生き延びられるようになってきました。
すると、昔はある一つの分野で劣っていたために生きられなかった存在も、その”短所”を文明により補うことで生き延びられるようになり、人類は、短所によって死ぬのではなく、長所によって生きられる存在になってきました。そしてそれが進化なのだろうと思います。物理的、精神的なバリアフリーという世の中の変化は、進化の道筋に合致しています。
●”正規分布”の世界。
この世界は、マクロで見ると多くの分野がこういうグラフになります。つまり端の方はどんな分野でも必ず存在することになります。

https://goo.gl/WX9Av0
ある分野で飛び抜けた存在。例えば、
徹底的に笑う人。何があっても笑う人。
逆に、徹底的に怒る人。何があっても怒る人。
徹底的に修行に励む人。
徹底的に堕落に流される人。
徹底的に楽に生きる人。
徹底的に苦を背負う人。
徹底的に卑怯に生きる人。
徹底的に誠実に生きる人。
徹底的にアンバランスな人。
徹底的に中庸な人。
この世は相対的なものなので、端の方と、逆の端の方の極小数は必ず存在することになるわけです。
もしそれを避けるとどうなるか。つまり、端の人たちを滅していくとどうなるか。
こうなると思います。
過去日記:「揺れる舟は沈まない」
まるで、0と1の世界で、端と端が無く真ん中にカクンとビルが立っている感じのグラフになるわけです。100%の人が平均のところにいる状態。
すると、どこかにひずみができて、ビルが崩れたり風化する感じになり、やはり正規分布のグラフに近づいていくのだろうと思います。
ということで、
●高くあるものは高く。低くあるものは低く。
”易経”の現在の日本での第一人者:竹村亞希子さんのブログより
http://plaza.rakuten.co.jp/anotamatebako2/diary/201601060000/
~帝王学の書~1月6日の『易経一日一言』(致知出版社)
☆天は尊(たか)く、地は卑(ひく)く☆
天は尊く、地は卑くして乾坤(けんこん)定まる
(繋辞上伝)
易経は宇宙の情態を象(かたど)って作られている。
天は地の上にあって高く、地は天の下に低くあって天の気を受け、万物を養う。
この天地のあり方から乾坤(けんこん)の根本が定まる。
「乾」は「天」、陰陽の「陽」であり、能動的な性質を持つ。
「坤」は「地」、陰陽の「陰」にあたり、受動的な性質を持つ。
この根本に従い、高くあるもの、低くあるものが
それぞれの働きを全うすれば、宇宙のみならず、人間社会も安定してくる。
全ての人は、すごいんだ、というお話しでした。
◆◆◆◆◆
1月:102.1km/84km 1月28日昼
2月:8.9km/84km 2月6日朝
2016年:111.0/1000km
総計:4300.9/10000km(2012年~2021年末まで)







