前回の日記の続きを明言してしまったためまとめたのですが、内容が濃すぎて大作になってしまいました。
グラフみたいなのが出てきますが、そんなに難しいお話しではありません(笑)。

~~~

さて、自信のある人、色々うまくいっている人は、勝手にやっていくのでいいのですが、すごく劣等感を持っている人、自信がない人、ある限定されたたった一つの評価基準で「自分は低いところにいる」と自覚している人と対話などする時いつも思うのです。


●もともと飛び抜けている

「いえいえあなたは、例えば生物学的に言っても超高性能ですし、ものすごい個性的で潜在的にも独自性と可能性を持っていて、あなたは凄いんですよ」と。

別にカッコつけているわけではなく、だって全ての人は60兆個の細胞が最低でも60兆階乗の繋がりを持ちながら、それらが調和して一つの自律したあなたという生物を作り上げていて、超芸術以外の何者でもない存在なわけです。そこから繰り出されるどんな言動も、この宇宙140億年の進化の歴史を表した奇跡的な芸術性を持っているわけです。

そして、人類に限って言っても、今生きている70億人全員が進化の最先端にいるわけです。何か一つの分野で平均にいると思っても。なので、今あなたがいる、まだ名付けられてもいないその分野の最先端を突っ走ればいいと思っています。(過去日記:どんな存在が生き残るのか


生物の進化の系統図
https://goo.gl/GxLiio

つまり、この左上の動物界の中の先っちょにいる人類(ホモサピエンス)が今70億人いるとして、70億の枝が伸びていて、その先端にあなたがいる、ということです。


●なんでも徹底的にやったら飛び抜ける

また、こんな記事がありました。

「ネット漬けの人が1年間ネットをしなかったら」
https://www.facebook.com/nishimura.keiji.5/posts/982042095168182

ネット漬けの人が1年間ネットをしなかったらどうなったか、というお話しです(笑)。

これでさえも飛び抜けた例になります。何でも良いのだと思います。超中毒になっていることがあったら、それをネタにすればいいですし(パチンコとか)。そしてそれを1年間やめてみて、その状況を公開するだけでも、飛び抜けた良い例になるわけです。なので、例えば何でも中毒的にやってみて、例えばそれをやめてみても面白い独自で貴重なエピソードになってしまいます。

別にどうしても飛び抜けなければならないことはないけれども(笑)。

あるいは逆に、究極にバランスを追求するのでも良いかもしれません。完全に丸い人。究極にバランスを追求する、という点においてとんがった存在(笑)。真円、というとんがった存在。


●飛び抜けることのメリット

”飛び抜けた存在”に対して、多くの人は本能的にワクワクすると思います。なぜでしょう。

武田双雲さんのメルマガで、こんな記述がありました。

「もし
好きなこと、
楽しいことばかりしか
やらない人生を歩んだら
どうなるのか。

やってみなきゃわからない。」


これも一つのとんがった例だと思っています。

僕は今のところ、こういう生き方は逆にそうしたくない性分なので、やらないけれども、ある一つのあり方を追求する人、

= 飛び抜けた人

というのは、この世界の多様性のために存在して欲しいなぁ、と思っています。フロンティアへの挑戦者。価値観を拡げる人。多様性の枠を拡げてくれる人。限界の先を開拓してくれる人。

例えば生物で言えば、多様性とは、生き残る確率を上げてくれる事象です。トライアンドエラーの数の多さ。多様性こそその種の強さの象徴。環境の変化に対して多様性のおかげでどれかが生き残ることで、後の世にその生物の遺伝子を繋ぐ芽を残すことができるわけです。

だから、ある分野を徹底的に追求し、限界を超えた存在というのは、人類全体の枠を拡げ、生き残りの可能性を広げてくれる存在だからこそ、遺伝子レベルの本能で感動したり賞賛したりしたくなるのだと思います。


●今後の人類

そんな中、今人類は単純な物理的な強さの世界から脱却(進化)しつつあります。

昔は身体に障害があったり、脳も含めて身体のどこかが他の人に対して能力が低かったりすると、生きにくい世の中でしたが、今でも差別(バリア)はあれど、どんなに障害が激しくても、少しずつ世の中がそれに対応するようになり(バリアフリー化)、生き延びられるようになってきました。

すると、昔はある一つの分野で劣っていたために生きられなかった存在も、その”短所”を文明により補うことで生き延びられるようになり、人類は、短所によって死ぬのではなく、長所によって生きられる存在になってきました。そしてそれが進化なのだろうと思います。物理的、精神的なバリアフリーという世の中の変化は、進化の道筋に合致しています。


●”正規分布”の世界。

この世界は、マクロで見ると多くの分野がこういうグラフになります。つまり端の方はどんな分野でも必ず存在することになります。

正規分布
https://goo.gl/WX9Av0

ある分野で飛び抜けた存在。例えば、

徹底的に笑う人。何があっても笑う人。
逆に、徹底的に怒る人。何があっても怒る人。

徹底的に修行に励む人。
徹底的に堕落に流される人。

徹底的に楽に生きる人。
徹底的に苦を背負う人。

徹底的に卑怯に生きる人。
徹底的に誠実に生きる人。

徹底的にアンバランスな人。
徹底的に中庸な人。

この世は相対的なものなので、端の方と、逆の端の方の極小数は必ず存在することになるわけです。

もしそれを避けるとどうなるか。つまり、端の人たちを滅していくとどうなるか。

こうなると思います。

過去日記:「揺れる舟は沈まない」

まるで、0と1の世界で、端と端が無く真ん中にカクンとビルが立っている感じのグラフになるわけです。100%の人が平均のところにいる状態。
すると、どこかにひずみができて、ビルが崩れたり風化する感じになり、やはり正規分布のグラフに近づいていくのだろうと思います。



ということで、

●高くあるものは高く。低くあるものは低く。

”易経”の現在の日本での第一人者:竹村亞希子さんのブログより
http://plaza.rakuten.co.jp/anotamatebako2/diary/201601060000/

~帝王学の書~1月6日の『易経一日一言』(致知出版社)

  ☆天は尊(たか)く、地は卑(ひく)く☆


天は尊く、地は卑くして乾坤(けんこん)定まる
                    (繋辞上伝)


易経は宇宙の情態を象(かたど)って作られている。
 
天は地の上にあって高く、地は天の下に低くあって天の気を受け、万物を養う。

この天地のあり方から乾坤(けんこん)の根本が定まる。

「乾」は「天」、陰陽の「陽」であり、能動的な性質を持つ。
「坤」は「地」、陰陽の「陰」にあたり、受動的な性質を持つ。

この根本に従い、高くあるもの、低くあるものが
それぞれの働きを全うすれば、宇宙のみならず、人間社会も安定してくる。





全ての人は、すごいんだ、というお話しでした。



◆◆◆◆◆
1月:102.1km/84km 1月28日昼
2月:8.9km/84km 2月6日朝

2016年:111.0/1000km
総計:4300.9/10000km(2012年~2021年末まで)
あけましておめでとうございます。


少し今年の抱負も交えつつ・・・。

私は、前回の日記「なぜ人は変わりたいと思うのか」のように、ガシガシ変わっていきたいタイプなのですが、毎年変化はすれど、まだまだ気持ち的には「改善改良」レベルであり、己のど真ん中にいるこの魂は、

「毎日がイノベーション!」

と言えるくらい変化し成長していきたい、と叫んでいます。

しかしそれは、何かに急き立てられているという感じではなく、生まれたての赤ん坊が、大声で泣きたかったり、何かを訴えようとしたり、ハイハイしようとしたり、立ち上がろうとしたり、何でも口に入れようとしたり、という生物としての湧き上がるエネルギーが外に出たがっている、という感じです。そうしたいけれどまだまだ身体がついていかない。もどかしい!という。

こんな祈りを毎日しているからでしょうか。

●愛しいお墓
http://ameblo.jp/furuta4521/entry-11969814510.html


で、去年始めたワイナリーという使命と、それを経由して思い描く最終的なミッションやビジョンへの到達は、この鎮座まします熱い魂が、「できるよ!」と言っているのですが、それは遙かなる到達点なので、今の自分からしたら何段階もイノベーションを起こしていかないと、到達できないものです。


『人間はみんな
 限界まで
 やることができる。
 限界を超えてからの3回、
 これを繰り返せば、
 世界の一流になれる 』


─三浦雄一郎 ─
(史上最高齢エベレスト登頂者)

 月刊誌『致知』1992年10月号
 特集「挑戦」より
 http://www.chichi.co.jp/



ということで、今年の抱負を最も抽象度の高い一言で表すと、

「イノベーション」

です。今年一年のうちで、まずは一回、”限界”を超えたいです。

『1994年は、思い切りへばるまでやってやろうと思いました。
自分の体力と気力がどれくらいまで持つか試したかった。
技術じゃなくて、一年間130試合戦うと言うことの意味を知りたかった 』


─ イチロ─



さて・・・、ここまでが前置きですが、長くなってしまったので、次の日記で(笑)。



今年もよろしくお願いいたします。



20160101初日の出



◆◆◆◆◆
12月:84.0km/84km 12月31日朝
1月:8.1km/84km 1月1日朝

2015年:1009.0/1000km
2016年:8.1/1000km
総計:4206.0/10000km(2012年~2021年末まで)
どうしたら美味しいワインを作れるのか、と毎日考えて、でも今のところブドウ畑は1枚しかないし実際に試せることは限られているので、栽培に関してはひたすらに晴耕雨読的な活動をしたり、脳内でシミュレーションしたりすることになります。まるで一手を打つために脳内で膨大なダイブをする囲碁将棋のよう。

そんな中で、以前、日記で、

「生存がピンチになったらブドウの樹は子孫を残すべくブドウの実の方にエネルギーを注いで美味しい実ができる」

●毫も不都合はない
http://ameblo.jp/furuta4521/entry-12082743420.html

という記述をしました。今日はその完結版です。




ブドウに限らずあらゆる生物に言えることですが、遺伝子は、快適な環境であれば、その現在の遺伝子が環境に適合しているわけだからその遺伝子を変化させる必要がないと判断し、その遺伝子のまま増殖していくことになります。つまり子作りのエネルギーより自分の増殖を優先する。「今のままでいいよ」ということです。

一方、不快な環境、生き残りに心配のある環境であれば、現在の遺伝子だと増殖に不安が残るので遺伝子を変化させてその環境で生き残る確率を上げるべく、子孫(自分とは違う遺伝子)を作ります。


「変わりたい」とは、今の環境のままだと自分ちょっとやばいぞ(主観)、という状況なわけです。




さて、世間を見ると、人類の中で、「全く不安はありません」という人を聞いたことがありません。ナマコなんて口を開けるだけで食べ物が入ってくるので何百万年も進化せずのほほんと生きている(ようにみえる)にも関わらず。ナマコに比べたらどんどん遺伝子を変化させ、より進化しているはずの人類の方が楽ちんに生きているか?と言ったらそんな感じはしません。なぜなんでしょう。

生物の進化の中で、”脳を持つ”ことにおいて最先端にいる人類。脳とは、環境に素早く的確に適合するために発達した機関。”彼を知り己を知れば百戦殆うからず(孫子)”にするために。

宇宙は一刻も止まることなく、ダイナミックに変化をし続けています。宇宙の中にいる全ての存在は、100%周囲の環境に影響を受けます。今は良くても1秒後はダメかもしれない。1秒後は良くても1分後はダメかもしれない。1日後、一月後、1年後、10年後、1000年後、100万年後・・・。

「生き残る種とは、最も強いものではない。最も知的なものでもない。それは、変化に最もよく適応したものである。」
-ダーウィン


結局人類は、変化が大前提の宇宙の中において、認知できる広さを、空間という軸だけでなく、時間という軸にまで広げていき、より良い生き残りを計ることができるようになってきたのだと思います。危機の予測。脳内シミュレーション。妄想。その妄想の多様性も人類の強さと言えます。能力をフル活用して、未知の不安要素を見つけ潰していくことで、生き残りの確率を上げていくわけです。

脳がなければ、今目の前にある環境に反応だけして気楽に?生きれば良いけれど、そうすると変化への対応もできず全滅するリスクもある。

これから人類がどれだけ進化しようと、脳の性能に合わせて時間と空間の予測の範囲を拡げることで、未知の不安要素を見つけていくのだろうと思います。果ては、宇宙の中で恒久的に変化しない環境を作り出し完全なる安寧の世界を作ったりするんでしょうか。




ということで、不安を感じるところには、「遺伝子を変化させていかなきゃ!」という欲求が湧き上がります。今現在がどんなに快適な環境であろうとも、宇宙が変化し続けているのを知ってしまった人類は、より良く生き残るために常に未知の危険を探しだす。そして脳の性能アップに合わせて時空の認知範囲を拡げながら、人類が全宇宙を完全に把握しコントロールできるようになるまで、「変わりたい!」という欲求を持ち続けていくのだろうと思います。

その変化への欲求がある限り、万年億年の時間の経過とダイナミックな宇宙の変化に合わせて(予測して)、縦横無尽に全方位への変化を繰り返しながら、たくましく人類は生き残っていくのだろうと思うと、安心しますね。





とはいえ、100の妄想に対して現実は1つしかないので、結果取り越し苦労が多くなりますし、あんまり人類の個体としての自分一人で、人類全体の将来の危機のことばかり深掘りし過ぎると疲れるし楽しくないので、その辺は人類という種全体の暗黙知として無意識の中で適度に共有しながら、個体としての自分は変化を積極的に楽しんで生きたいなぁ、と思う次第です。




エアコンくぅちゃん

古田家という限られた時空の中の、さらにエアコンの上という快適な場所を器用に見つけて窮屈にくつろぐ家猫くぅちゃん。



◆◆◆◆◆
12月:46.0km/84km 12月19日昼

2015年:971.0/1000km
総計:4159.9/10000km(2012年~2021年末まで)
なんと30日以上、間が空いてしまいました。
こんなの始めて♡。

先日、間違って消去してしまった日記ネタ予備軍データですが、新しくまた同じメモ帳を作ったら、日々みるみるネタが増えています。空白には何かが流れこむんですね。しかし清書して公開するのに1時間くらいかかってしまうので、「ああ・・・、日記書きたい」と思いながら、どうしても後回しになっていました。

「仕事はスピード。70%の出来でも早い方がいい」と言われますが、50%くらいの出来でもサラッと公開してしまう適当さが、ちょっと完璧主義の私の場合には必要かもしれません。




閑話休題。


今日のネタは、ここ3~4年ずっとネタとしていつか書こうと思っていたものです。

自分の気持ちを盛り上げてくれる出来事や言葉等のネタに、日々生きていれば出会ったり、あるいは思いついたりします。そういう”宝物”を私は大切に逐次保存していますが、そのネタの寿命というのは案外短く、同じネタを復習しても、その時の盛り上がりが徐々に薄れていってしまうものですが、この言葉は、私の中で全く色褪せることなく、それを思うとずーっと気持ちがモリモリっとくる、そんな言葉です。


それが・・・、

「世界は最高難度の相手」



私が好きなマンガで、「ベイビーステップ」というのがあります。
高校でテニスデビューをしたエーちゃんの物語です。

~~~

高校一年の春、あるきっかけでテニスを始めるようになったエーちゃん。
壁打ちをしてみた。

時々、スパーン!と気持ちよイイ打球が飛ぶ。
その、打った瞬間の気持ちよさ。
それがエーちゃんがテニスにハマった最初のキッカケ。

その気持ちよさを再現したいがために、エーちゃんは何時間でも壁打ちをする。
そこから、新たな技を覚え、体が鍛えられ、試合をし、人と出会い、時に勝ち、時に負け、技が磨かれ、様々な感情を体験し・・・、たくさんの喜びをさらに重ねていく。

ナマの人との試合は、壁という単純な相手とは比べるべくもなく、複雑怪奇な返球がある。
ストレート、スライス、スピン、ボレー、スマッシュ、早い、遅い、高い、低い、浅い、深い、右、真ん中、左、駆け引き、予想通り、予想外。etcetc。
球で相手と会話する。しのぎを削る。磨き合う。

相手を知り、自分を知り、状況を活かし、球を如何に返すか。
相手が自分の力を最大限引き出してくれる。
そして自分も相手の力を最大限引き出し、相互に成長していく。
その面白さに、エーちゃんはますますテニスにのめり込んでいく・・・。

~~~


・スポーツやゲームはもちろん、
・人とコミュニケーションする営業も、
・一人で黙々と取り組む開発も、
・チームで何かを創り上げていく事業も、
・己から湧き上がる何かを表現する芸術活動も、
・あるいはひたすらに沈思黙考する学者も、

生きていくということは、対人だけでなく、自分自身を含めて、この世界に存在するあらゆる何かと対峙し時に調和しながら、何かを紡いでいくということだと思います。人もモノもあらゆる事象もこの宇宙の一要素。相手。




例えば私の場合はワイナリー。

自分がどんな生き方をしたいか、どんなワインを作りたいか、どんな環境をどんな目的で作りたいかをひたすらに考え、ビジョンを描き、ミッションを定め、人と繋がり協力し合い議論を重ねながら、自然環境と対話し、ブドウと対話しながら栽培し、酵母と対話し発酵醸造し、世間のニーズを分析し、お金を集め、ワイナリーを建設し、経営し、継続させ・・・、30年後、100年後に思いを馳せながら、色んな美味しいワインを飲む。

考えたいこと、やりたいこと、できることが無限にあります。もう無限に深くて複雑過ぎて、まるで、最後にはラスボスを倒すまでに成長するドラクエの勇者の、レベル1の状態、という感じです。しかしレベル1でも、目の前のスライムを一匹倒すことで、一歩進み、それがラスボスにも繋がっている。




人類は、到達可能ギリギリ(主観で良い)の目標(あり方)を設定しそれに挑戦することに、無上の喜びを感じるらしいですが(「モチベーション3.0」(ダニエル・ピンク氏著)より)、今目の前にある”クエスト”をどう攻略するか。そんな風に今現実に起こっていることを捉えると、どんなことでもワクワクします。




この世に起きている全ての事象は、自分に向かって打たれた球なのだ。それはどんな球なのか。それを打ち返すか返さないか。打ち返すとしたら如何に気持よく打ち返すか。どうやったらもっと気持ちよく打ち返せるようになるか。

「僕は、
 世界がぼくのパートナーだと思って
 仕事をしてきているからね。

 だから、
 世界を相手に作品をぶつけている。 」

-岡本太郎





最高に、絶妙に難しい球を返してくれるこの世界と共に、自分の人生を楽しんでいきたい。




20150922ヴィンヤードで垣根を作る





◆◆◆◆◆
11月:85.3km/84km 11月30日昼
12月:13.0km/84km 11月4日昼

2015年:938.0/1000km
総計:4126.9/10000km(2012年~2021年末まで)
10分前の出来事ですが、PCデータのバックアップをしていて、逆に最近半年間くらいの、日記にしたいな~と思っていた気づきネタのメモを消してしまいました。

以前はmixiの非公開日記で残していましたが、面倒だったので、PCのデスクトップのメモ帳にツラツラ書いていました。
ものすごい数の知的格闘の残滓である、今後の公開日記候補群が一気に消えたので、一瞬「うあっ!!!」と叫んでしまいましたが(笑)、冷静に1分考えて、

「まあ、文字になっていなくても、それを創造した僕は存在しているわけだし、これからまた新しく創造していけば良いし、断捨離にもなるし、何か変化の兆しなんだろう。」

と復活しました(笑)。

ということで、20日以上公開日記にしていないので、さっきいずれ公開しようかなぁ、と思った文章を簡潔に残します。(これを保存しようとして、公開候補メモ帳が消えていたのに気づきました)


~~~

自分が成長(人格の成熟)をする前に社会的成功を(一旦)してしまっているとしたら、もし自分の人格の未成熟な部分で人の恨みなど負の感情を与えてしまったとしても、その成功の影響力(金銭や人の繋がりのメリット)によって、その人はその感情を押さえつけることをしてしまい、それは面従腹背にくすぶり続けると共に、僕の人格は育たない。

そこで僕の成長は止まり、火種は見えないところで拡がり続け、そしてどこかで発火し、築いた成功は足元から崩れ去る。(そこでようやく成長再開)

ということで、成長(人格の成熟)と社会的成功は、比例関係にしていくのが僕の理想です。




◆◆◆◆◆
10月:87.3km/84km 10月31日朝
10月:11.5km/84km 11月3日朝

2015年:851.2/1000km
総計:4040.1/10000km(2012年~2021年末まで)
今朝、ジョギング中。
「白亜紀か!」と思うくらい?でっかい虫がいました。頭からお尻までの体長7,8cm、触覚の長さが右から左までで20cmくらいはありそうな、でっかいカミキリムシみたいな真っ黒い昆虫でした。(写真はありません。”今”を存分に心を込めて生きるならば写真など必要ないのです。ウソです。撮り忘れただけです。)
「なんだこれ!」と思ってマジマジと見ていると、その近くをムカデみたいな奴がのっそりのっそりと秒速5mmくらいの速度で移動しています。

でっかい虫の触覚をツンツンしてみたら、「ババッ!」と動く(があまり遠くには逃げて行きません。気温が一桁台なのでもう土に還る態勢に入っているのかもしれません)。一方、ムカデみたいな奴は、ツンツンやってもほとんど反応せず、「ん~?」 Ω ~ Ω ~ ってな感じでのんびり移動するだけ。

アスファルトの上なのでそのまま移動したら車に潰されてしまいそうな感じでしたが、運が良ければ生き延びるのだろう、生死は天が決めるのだ、とそのままその場を後にしました。




ところで、生命の面白さをいつも考えてしまう癖のある自分的に、この2種類の虫を見てふとこんなことを思いました。

「のっそり動く虫の方は、ものすごい無防備で何かあったらすぐ死ぬ目にあってしまうだろうに、僕や昆虫と同じ空間で同じ時代になぜ生き延びているのだろうか・・・。」


勝海舟がこんなことを言ったそうです。

『人はみな、
 さまざまにその長ずるところ、
 信ずるところを行えばよいのサ。

 社会は大きいから、
 あらゆるものを包容して毫(ごう)も不都合はない。』

 -「氷川清話」より



きっとこの世界は自分が認識できる何億万倍も巨大で、あらゆる環境のスペクトラムが相互に調和しながら存在しているから、どんな存在であろうとも、居場所はどこかにあるのだろう。

○どんな存在が生き残るのか
http://ameblo.jp/furuta4521/entry-11865071757.html

あとは、たぶんたくさん死ぬ目にあったり食べられたりしても大丈夫なくらい、多産なのだろう。


こんなところでしょうか。




これ、ワインにも繋がります。
ブドウは、土がものすごく豊かだと樹ばかりが旺盛に茂り、ブドウの実の方が貧相になります。実を作らなくても(良質な子孫を残さなくても)「これなら自分生き延びれるわ」と安心して自分の枝葉を茂らす方に集中するからです。
なので、美味しいワインを作るためには実の方を豊かにするべく、樹に対して「ヤバい!死ぬかも!?子孫に託そう!」と適度にストレスを与える必要があります。


つまり自分の存在にピンチが多い種ほど、多産(あるいは進化が激しい)なのだろうと思います。

生き残るために、個の能力を進化させていくものもあれば、あくまでも数で勝負していくものもあり、この世界の無限のスペクトラムというのは本当に面白いですね。




ある人のTwitterでのつぶやきより。

「男は命の危険に晒されてるほうが性的魅力が増すんだそうです。神風特別攻撃隊に選ばれた青年達は驚異的な男性フェロモンを発していたと言われます。彼氏に飽きてきたら半殺しにしてみて下さい。」




なるほど。





20150726ヴィンヤードにいたでかい虫

いい写真がありました。
これは夏にブドウ畑にいた虫の写真ですが、こんな感じです。
これより全体的に濃い緑の黒光りした、もっとでっかいやつでした。





◆◆◆◆◆
9月:84.0km/84km 9月30日昼
10月:15.7km/84km 10月10日朝

2015年:768.1/1000km
総計:3957.0/10000km(2012年~2021年末まで)
小学生の時に囲碁や将棋をやっていまして、あれって、如何に隙を作らず最重要ポイント(センターピン)を突き続けつつ論理的に物事を進めていけるか、というゲームなわけです。で、そのおかげか、日常でもしょっちゅうそんな思考回路で生活していたりします。例えばこんなシーンです。

「たくさんの荷物を持って車で外出して家に帰ってきた時、どの順番で車から家に荷物を入れれば少ないリスク(例えばお金が入ったカバンを車に置いていったら、万が一泥棒がいたら取られてしまう)や、部屋に入れる荷物の配置や通り道の邪魔にならずに荷物を入れられるか。」


で、もう一つ・・・。

お風呂から出て服を着る時です。




世の中ではいつなん時、何が起こるかわかりません。
例えば、外出して温泉に入り、そして服を着ている最中に巨大地震が発生してしまったら。
そのリスクを最小限のダメージでクリアするためには。


最初にするべきは、パンツ(下着)を履くことです。
最低限パンツさえ履いていれば、まあ非常事態ですから、もしパンツ一丁で外に逃げていっても、「あの人は風呂に入ってたんだな」で済みます。ほとんどハダカですから恥ずかしいことは恥ずかしいですが、局部が隠れていますので最低限の面目を保つことはできます。

次に身につけるのは・・・、パンツ(ズポン)です。
(なんでズボンをパンツって言うようになったんでしょうか?ズボンって言う言い方は誰がダサいと言い出したんでしょうか?紛らわしいです。)
なぜズボンかというと、男らしいからです。
パンツ(下着)の次にシャツ(下着)、例えばTシャツみたいなのを身につけても良いんですが、それだとちょっと女性っぽいじゃないですか。男は男らしく、上半身ハダカの状態で、ズポンです。その時にやはりカッコ付くのは肉付き(筋肉)の良い身体ですから、筋トレはやはりしておいた方が良いかと思います。着替えるたびに、ちょっとうれしい気持ちを味わえます。

それ以降は、シャツ→靴下→メガネ→上着。そして靴を履いて外に出る。
で良いかと思います。




さて、風呂に入るたびにそんなことばかり考えていて、ある時ふと、最悪手ばかり打つような感じで服を着るとしたら、どういう順番だろう、と思いつきました。





まず最初に、、、

やはり靴下からです。
スッポンポンで、靴下だけしっかりと履きます。

この状態で地震が起きたら、最悪です。
端から見たら、非常事態で人のこと構っている暇がないくらいな大変な状況にもかかわらず、「なんで靴下?」と奇異な目で見られる可能性が高いです。わざわざ局部を出しながら足を隠していることに、論理的な説明ができません。隙があり過ぎです。将棋で言ったら、序盤の角交換の後、自陣にズドン!と王手飛車取りの角を打たれるようなものです。

次に、メガネをかけます。
目が見える状態に改善はしましたが、ファッション的には、なおさらおかしさが増します。

次はやはり、シャツ(下着)が最もおかしいと思います。
三歳児くらいであればトイレでよくある光景ですが、いい大人が外で下半身丸出しでTシャツだけ着ていたらおかしいと思います。女性の場合には・・・。あれ?意外にあり?





そして次に、上着を着ます。隙だらけです。ちょっと理由が説明出来ません。誰も見ていないならばそれでも良いかもしれませんが・・・、でもただ一人それを見ている人がいます。

自分です。
人の目よりもむしろ、自分がそれで良し、と思えるかどうか。それが最も重要です。


あとは、パンツ(下着)→パンツ(ズボン)。
そして靴を履いて外に出る、の一本道ですね。





結果、最後は同じ状態になる可能性が高いですが、どのような過程を経てそこを目指すのか、というのは、やはり生き方の価値観によって大きく変わってくるのだろうと思います。






宇宙が生まれて、何百億年の時が過ぎ、いずれ宇宙も死を向かえて全てが無になる。
そんな宇宙の片隅の一瞬で、自分が生まれて、生きて、死ぬ。




どうせ死ぬのは変わらない。
でもでも・・・。


だからこそ、どう生きるのか。

こだわって生きていきたいなぁ・・・、と思うのです。




7月某日の家猫くぅちゃん
7月某日の家猫くぅちゃん。
暑すぎて伸びていました。
あっという間に夏が終わって秋ですね。



◆◆◆◆◆
9月:62.3km/84km 9月26日朝

2015年:746.4/1000km
総計:3935.3/10000km(2012年~2021年末まで)
20日も公開日記を書かないと、感覚が失われますね。

今日の日記はパッと浮かんだ気付きをババッと勢いで書いたような”神が降りてきたような”?感覚で書いたのではなく、「そろそろ20日も書いてないので、書いておこうか。ちょっと時間もできたし。」と、ネタのストックからずっと書きたいと思っていたものを引っ張りだしてまとめたものなので、久々にちょっと理屈っぽくて勢いがない感じです(笑)。




さて、私は3年ほど前の1月1日に、急に早起きを実践し始め現在も継続しているのですが、当初は座右の書である『7つの習慣』で学び鍛えた意志の強さと習慣付けのための仕組みのおかげかな、と思っていました。しかし、ふと最近、それだけじゃないかも、と思うようになりました。

というのは・・・、父(75)もそうですし、だいたい、年を経ていくと、みんな早起きなわけです。「あれ?もしかして年を重ねたから体質的に早起きしやすい身体に変化していたのかな?」と。

それまで遅起きの習慣に流されて遅く起きていたけれど、実は見えない川底では身体は早起き体質に変化していたのでは、と思いました。

年齢によって起こる変化は色々あります。例えば、昔飼っていたネコ。子猫の時にはとても活発でいつもはしゃいでいる印象でしたが、老猫になるに従って穏やかに変わっていきました。これは人間一般にも当てはまる場合が多い気がします(もちろん個性のバラ付きはあるでしょうけれど。)




さらに、年齢だけじゃなく、同じ自分で朝と夜でも違ったりします。”告白の手紙は夜書いたら、朝読みなおしてから出した方が良い”と言われたりしますが(笑)、日々、精神や身体の状態は変化しています。

ましてや、子どもの時の自分と年をとった時の自分も全く違う生き物と言えるくらい変化しているのだろうと思います。例えば1年も経てば、身体の細胞はほとんど入れ替わる。同じ自分であるという証拠は、遺伝子と、自分の記憶と、他者に残る自分の記憶。年齢の変化で言えば、そもそも体内の細胞や組織の若さ、エネルギー代謝、ホルモン等が、子どもの頃と老人になってからでは全く違うわけです。大きな出来事によって精神状態も大きく変わったりする。

生を発散させる青年時代。
死に向かう老年時代。
何かを成し遂げる前の自分。
何かを成し遂げた後の自分。




という前提を考えてみると、世間でよく言われる「こう生きたらいいのだ」という考え方に、よく違和感を感じるのです。

例えば、何かを成し遂げた大人は若者を見て、「ゆっくり生きればいい」「”今ここ”なんだ」「何もしなくてもあなたに価値はあるんだよ」と言う。しかし若者は細胞レベルでうずく。未来に向かおうともがく。
(私自身は未熟なのかうずくタイプなので(笑)、私視点での書き方ですが、逆の視点ももちろんあります。)




ということで、世に言われる「こう生きたらいい」という考え方は、一つの知恵としてとても貴重だけれども、その考え方を聞いたり言ったりする時に自分自身気をつけたいなぁ、と思うのが、”自分が今どういう状態なのか、そして相手はどういう状態なのか”。

これを慮らずして、本当に自分にとって、相手にとって良い”成功哲学”かどうかを見極めることはできないと感じます。自分は、相手は、若いのか、老いているのか。成し遂げたことがあるのか、ないのか。心身の状態はどうなのか。etcetcetcetc・・・・・・・・・。無限の要素がある。

結局成功哲学は、年齢別をさらに越えて、個人別成功哲学があるのみなのではないか。全ての人に固有の成功哲学が、さらには時系列的にも変化しながら存在しているわけです。諸行無常。





じゃあ一般化できる成功哲学はないの?というと、一つ言えるのは、”成功”している人の周りでは同じ方向性の成功の成就が多いので、自分が理想だなぁとか憧れを持ったりする人とできるだけ時間を共にする(物理的、精神的)、などがありますが、基本的には、あるがままに、その時々の自分の想いに従って生きる。

『follow my heart』

これに尽きるな~、と思ったりしています。


『follow your heart』

間違いない。




201508食べものをくれるのをひたすら待つくぅちゃん

食べ物をくれるのをひたすら待つ家猫くぅちゃん。
か、かわいい・・・。



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8月:84.1km/84km 8月31日朝
9月:16.1km/84km 9月6日朝

2015年:700.2/1000km
総計:3889.1/10000km(2012年~2021年末まで)
人間だけが持つ、他の動物にはない、人間を人間たらしめる4つの能力が、

「自覚」「想像力」「自由意志」「良心」

だそうです。(『7つの習慣』)




最近、具体的に一生かけて取り組むことが決まった(ワイナリー)ので、それに合わせて具体的にやることが激増してきました。ドラクエで、まさに「イベントが新たに発生した!」という状況です(笑)。

一昨年までは”坤為地の牝馬”の如く、ひたすら自分磨きと社会奉仕に専念し(過去日記:坤為地の人生の覚悟)、去年はいよいよ春の到来というタイミングでもぞもぞ動き出し(人と出会い、その人に奉仕することに注力)、そして今年。

ここまで具体的に思惑があったわけではなく、まさにAppleのジョブズ氏の有名な言葉「点と点が繋がって現在がある。ただしそれは後から気づくこと」という感じで、機会を得て一気にいろんな物事が動き出しました。本当にもう全部が繋がっていてものすごく不思議です。(「この世の事象は全部を活かせるようにできている」と意識して生きているので都合よく解釈しているのかもしれませんが。)

昨年まで風呂敷を最大限に拡げて目の前の人のために何かをする、という出会った相手からしたら入れ食い状態の私でしたので、何でも受け入れ、おかげでいろんな取り組みが動き出しました。その中の一つがワイナリーであり、その他の多くの取り組みは、主軸であるワイナリーとの大きな相乗効果が期待できるものです。




さて、そんな状態なので・・・、当然、世の中との”摩擦”が発生しやすくなります。ゆりかごの中にいれば何も起きませんが、動き出せば変化がある。当たり前です。

新たな世界に飛び込むので空気がわからず失策をしてガツンとやられることも既にたくさんありますし、身体はひとつなので今まで入れ食い状態で受け入れていたものに優先順位を付けて、使命の成就に最も効果のある事に注力していく必要も出てきます。(つまり、できないこと、自分じゃなくてもいい事に対して”Noと言う”場面が増えてくる。)なにしろ、イチローが野球を追求することが最も社会貢献になることと同じように、僕がワイナリーを追求していくことがこの世界への最大の貢献になるので、この人生の最重要課題に注力するしかありません。

そんなこんなで、油断すると自分にも関わる人にも、感情を刺激するようなシーンが多く発生してきます。

・・・ということで今日の日記は、今後そんな状況になっても自分を見失わないように、土台の再確認の日記です。




~~~

負の感情が湧いた時。
自分の考えと違う考えに遭遇した時。

そういう時、きっと自分の価値観を広げるチャンスが眠っているのだ。ヒナが卵から孵る瞬間の刺激を受けている時なのだ。「これが正しい考え方だ」と思っていたものに対してそれを上回るものに気付ける時。

だからそういう時、こんな風に考える緩やかさと靭やかさが欲しい。
例えば「その人はどういう背景でそう言ったのか」を考えたり、その考えと自分の考えの相乗効果と言える「第3の案」(過去日記:ものすごい関係)がないかどうかを考えたり。

年を経ると頑固になる、とよく言われていて、それはそれで余計なことを考えなくて済むので幸せかもしれないけれど、僕の理想は”あらゆるものを受け入れる大樹のような人間”。

経験が増え、情報の蓄積も多くなり、自分の正しさへの確信が増す。そんな中で”自分こそ正しい”と思っていると、それに外れるものを認められないけれど、それこそ頑固さであって、そういう時に、自分が頑固である、とは気づけていない。なぜならそういう時は「自分が頑固なのではなくて、この場合自分が正しいんだからそう考えるのは当たり前」と思うから。つまり「もしかしたら自分は頑固に思われるかもしれないけれど、頑固なのではなくて正しいのだ。頑固じゃない。この場合は例外なのだ」と思ってしまう落とし穴。

だから、時に役者を見つめる監督のように・・・、何か感情への刺激があった時、「あ、新たなる創造のチャンス!」と常に意識しながら自分の土台を築いていきたい。

~~~




ということで、『7つの習慣』の極意の一つ、冒頭の4つの能力のうちの、最初に言及される最も基本的な能力である、

「自覚」

を最大限発揮して、いつまでも自分の器を拡げられる柔らかさをもって生きていきたい。



20150805ヴィンヤード




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8月:35.7km/84km 8月16日朝

2015年:635.7/1000km
総計:3814.6/10000km(2012年~2021年末まで)
先日、ブドウ畑で作業をしていた時のこと。

早朝ジョギングをして畑にたどり着いたのが8時頃。素敵なブドウ畑をイメージしながら、ブドウの木をケアしたり、草をむしったり、コンパニオンプランツ(畑にわざと生やす草)を移植したり、色々作業したのですが、そろそろ9時くらいかなぁ、と思って携帯を見たら・・・、

「ええっ!?」

12時でした(笑)。草むしりとかに没頭するって、かなり変人ですね。嬉しい。

学生時代にドラクエでひたすらレベル上げのために飲まず食わずで徹夜でモンスターと戦い続けた時の感覚がリフレインしました。苔庭造りでもそれに近い感じでしたが、ここまで我を忘れて何かをやるのは、久しぶりの感覚でした。

こういうのは素敵な気付きのネタになるので、具体的に何が楽しいんだろう、と意識しながら改めて草むしりをしてみたら・・・、

「雑草が生えている。ニョロっと出ている」→「ブチッとムシる」→スッキリ!

でした(笑)。ゲームで例えると、もぐらたたきとか。

「頭が出た」→「叩いた」→スッキリ。

これがなんで楽しいのか、という感じですが。釣り糸の先にネズミのぬいぐるみを付けて転がすと、腰をフリながら疲れ果てるまで際限なく追いかけ続けるネコと一緒でしょうか。抗しがたいものがある。




さて、日々気付きのネタをストックしているので、これと似たようなシーンが幾つか思い浮かびました。

○テニスマンガ「ベイビーステップ」

主人公のエーちゃんが、テニスにハマった原点。ボールの打ち方を教えてもらって、壁打ちをしていて、ふと、

「パーン!」

と見事に気持よく打てた時。その時の気持ち良い感触。「パアアッツ」となった。それを再現したい。

○柔道マンガ「柔道部物語」

主人公の三五十五とその彼女との会話。

「見てみなよこれ。柔道着で擦り切れて手がマメだらけなんだ。」
「そんなに大変なのにどうして柔道なんてやってるの?」

「・・・ ・・・ スパーン!って背負いが決まると・・・、とっても嬉しいんだ!
 逆にうまく決まらないと・・・、とっても悔しいんだ!」

「よくわかんな~い」
「オレもよくわかんねぇや!」

○書道

母が書道をやっているんですが、50年以上続けている理由も、超複雑な経緯はあれど、原点は、

「うまく書けたら」→嬉しい!
「うまく書けなかったら」→悔しい!

原点はここにあるんだと思っています。とてもうまく字が書けた時、「見て見て!」と言うことが時々あります。




イチローがこんなことを言っていました。
(「イチロー262のメッセージ」より)

・安打記録達成への原動力を聞かれた時の言葉。
 「モチベーションは、野球が好きだということです。」

・「これでいいやってならない理由は、僕の場合は、野球が好きだからです。 」

(ただ、こんなことも言っています。
 「キライなことをやれと言われてやれる能力は、後で必ず生きてきます。 」

”100%の好き”を求めることに対して、受け取り方を間違えると、無菌室を求めるがごとく、あるいはソ連(社会主義)が崩壊したのと同じ理由で、落とし穴にハマると思っています。)






無限の複雑さを持つ人間の身体の設計図が、DNAの4つの物質、A、T、G、Cの組み合わせだけで作られているのと同じように、娯楽、仕事、スポーツ等あらゆる取り組みは、シンプルな基本動作=最小単位から構築されていて、その最小単位に「パアアッ!」となれるかどうか、がその取り組み全体を喜びにできるかどうかの大きな要素になるのだと感じています。そしてきっとその「パアアッ!」は、自分で見つけることも作ることもできるはず。


そして、もぐらたたきのシンプルな快感に対して、他のいろんな要素を重ねあわせて面白さを深めていったのが、ゲームセンター等、あらゆる娯楽なんだろうと思いますが・・・、同じように、最小単位の喜びを見つけたら、そこに人生の目的や良心、周りのニーズなどを加味することで、例えば使命として、人間独自の得も言われぬ喜びに繋がっていくのだろうと思います。



20150726ヴィンヤードとトンボ


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7月:86.4km/84km 7月31日朝
8月:5.0km/84km 8月2日夜

2015年:605.0/1000km
総計:3783.9/10000km(2012年~2021年末まで)