母が書道をしていまして、毎月生徒さんの書が道場の壁に貼られます。

で、テストの点数とか、運動能力とかと同じように、習字の”うまさ”も、人によって全く違うのがよくわかります。(過去日記:涙の才能
書道の世界で、

字がうまい = 才能がある

と定義すると、明確なる才能の違いは存在していて、バランスの良い字の形や配置の取り方のセンスや、線がイキイキとした感じになるセンス等、これは将来伸びそうだぞという字等、いろんな要素があるように思いますが、もう、顔の造形と同じように生まれついてのもの、としか言いようがありません。スタート地点は明らかに違います。

ただ、じゃあ字のうまさは果たして、単に”早熟”なだけなのか、”晩成”で今はまだそれが発揮されていないだけなのか、は極端なところ死ぬまで続けてみないと、字の”うまさ曲線”がどういう曲線を描くのかはわかりません。そういう意味では、才能を本当に形作るにはもう一つ、”続ける(あるいは磨く)”という要素があり、

『これを知る者はこれを好む者に如かず
これを好む者はこれを楽しむ者に如かず』 -孔子(論語)


という言葉があるように、続けるために最も重要なのが、”そこに喜びがある”かどうかなのかもしれません。





さて、僕の座右の書である『7つの習慣』。そのシリーズで、『第8の習慣』というのがあります。ここでは、

ボイス” = ”有意義な人生を送るための【内なる声】であり使命〉”
                 (ちょっと意訳)


という言葉が出てきます。そしてボイスは、こんな図で表されます。

第8の習慣~ボイス~


・才能:天賦の才、強さ
・情熱:ワクワク、奮起させるもの
・ニーズ:世界から必要とされているもの
・良心:人として”正しい”あり方

文章にすると、

「才能を活かせて、情熱(喜び)をもって続けられ、且つ世界に必要とされながら、己の良心にかなう行為であるならば、最高にハッピー。」

という感じでしょうか。
使命とはなにか、それはどこに転がっているのか、『第8の習慣』はそれを見いだす強烈な一助になると思いますので、ご興味があったらぜひご参照ください。





ところで、才能というのは他者との比較や評価があってはじめて見いだされるものなので、結局は個人あるいは範囲を拡げて”人類”からみた主観にしか過ぎず、単なる他者から植え付けられた意味付けだけなので、そんなのは無視して自分の喜びを追求すればいいんですが、そうはいっても「才能があったらいいなぁ」というのが正直な欲求です。

こういうのは無理に理屈で考えて無視したりして体と頭の矛盾に苛まれてわけが分からなくなるより、正直に認めてしまった方が早いと思うんです。現に生々しく生きているんですから。「手の届かない柿は渋い柿」だとちょっと斜めじゃないですか。

ということで、人生において最も気になるものの一つが、「自分にはどんな才能があるんだろう」というところですが、そういう欲求と真正面から向き合い、さんざっぱら考えに考えて・・・、そして才能とはなにか、一つの結論を得ました。それは、

”持っているもの全て”

(「持っていないもの」も実は才能になり得る、と気づきましたが、これはまた別の日記で・・・。)

世の中の才能、を考えた時に、一番認識しやすいのが、自分にはなくて人にあるものです。
例えば、俳優さんのかっこよさとか、プロスポーツ選手の身体能力とか、東大に行った人の頭の良さとか、地道に努力を重ねる人の忍耐強さとか、自然と惹きつけられる人の雰囲気の良さとか。全部その人が持っているもの。

で、多くのものは、スタート地点で持っているものが違っていたりします。じゃあ、自分は何を持っているんだろうか・・・と日々考える中で、ある日お墓を掃除をしていてふと気づきました。

「持っているものか・・・。あっ!ということはご先祖様も、僕の才能の一つなのだ!」

何も、自分の身体に関わることだけじゃなく、両親、両親の力(仕事や財力、ステータスも全て)、人の繋がり、自分や自分と関わる全ての人が持ち自分が活用することができる全て。これらは全部、自分の特徴であり個性であり独自性であり、そして才能なのだ、と。

それに気づいてから、それまではいろんな才能溢れる人々を見て、「いいなぁ、ずるいなぁ、最初からいろんなもの持っている人って・・・。」という思いを持っていましたが、今は、いいなぁ、と思うことはあっても、ずるいなぁ、とは思いません(笑)。ちょっと成長?。

なにせ、この地球は豊かだし、昨日ジョギング中に道路の片隅にいた車に轢かれて死んでしまっていたタヌキではなく人間として生まれただけで何兆分の一の有り難さだし、物質的豊かさや平和で言えば日本人に生まれただけで1%の奇跡だし、そもそも僕は、昨日亡くなった人がどうしても欲しかった今日を生きることができている。





でもでも・・・、それで終わらないのが、人類の良いところです。日々喜び(快感)の中で生きるだけなら動物と変わりません。動物は単細胞生物の時から元々そう生きています。人類は、それも満喫しつつ、さらにもっともっとエクスタシーに日々を生きることができるわけです(笑)。その人類の才能を活かさなくてはもったいない。

そのエクスタシーのツボは一人ひとり違うと思いますのでここでは言及しませんが、私自身はワイナリーを軸とした生き方にそれを見出すことができました。

俳優さんがご先祖両親から引き継いだ身体の造形を最大限活かして周りを喜ばせたりしながら使命を追求しているように、私はご先祖両親が繋げてくれたこの身体や土地や、繋がってくれている人たちを遠慮なく存分に活かさせてもらって、喜びを追求し且つ周りを喜ばせながら使命を追求していきます。





この宇宙が、銀河系が、太陽系が、地球が、動植物が、人類が、日本が、地元が、そして家族両親が地道に積み重ね、引き継いでくれた無数の才能をどう活かし、自分の人生に隠されているたくさんの喜びという宝物をどう創り発見していくのか。

この世はそんなゲームなのかもしれません。




20150629ヴィンヤード






◆◆◆◆◆
6月:86.0km/84km 6月30日朝
7月:20.7km/84km 7月7日朝

2015年:2524.3/1000km
総計:3713.2/10000km(2012年~2021年末まで)
一昨日、大尊敬する経営者の方(Kさんとします)とお話しさせていただいた時のこと。
自分的にその場のテーマは、”その方の事業をお手伝いしたい”という姿勢であったため、僕の耳は、

「Kさんはどんなことを僕に求めてるんだろう」

という切り口で神経を研ぎ澄ましてやり取りしていました。
しかし数分話す中で、Kさんからは、

「古田君は今どんな状況?」
「へ~そうなんや、その事業って○○△△・・・。」

と僕の話ばかり。

「(あれ?なんだか方向性が違うぞ?)」

と違和感を感じてきました。

そこで、気づいた思いを率直に伝えてみました。

「もしかして、私は奉仕できればいいと思っていたんですが・・・、自分がこういう風にしたい、ともっと言った方がいいんでしょうか。」

そうしたら、

「当たり前やん。今までも、古田君はそういうのあまり言わないから、僕の方は、ほんの少し見えている状況から『古田君はこんなことしたいんじゃないか』と一生懸命推察して、こんなんどう?と提案してきたんだよ。」

!!!・・・そうだったのか・・・!
ものすごい衝撃でした。

そして同時にものすごいパラダイムシフトが起こりました。
白黒TVに映る風景が急にカラーになったように。


~~~


頭では理解しているつもりでも、実際にはできていないことは、山ほどあります。

世の中に発せられているたくさんの生き生きとした個性、独自な想い。それは例えば料理で言うところの素材。一流の料理人は、その素材の個性を如何に引き出し、活かし、調和と相乗効果を発揮させて旨い料理を創造するか、に腐心します。

きっとKさんも、僕の持つ独自性(想い)をどう引き出したら僕が最も幸せになるか、面白いことになるかを想像しながら、それとKさんの持つ事業や個性とどう相乗効果を持たせたら、面白いことになるか、をイメージしながら話をされていたのではないか、と気づきました。

「古田君が成功することは、もちろん僕にも、僕に関わる環境にも、Iさんにも、そしてご家族にも、ものすごい力になるんだよ。」

(ああ・・・、これは、
『人を応援するということ』(過去日記)だ・・・。)
http://ameblo.jp/furuta4521/entry-10982204312.html

「でも、そうじゃないと、せっかく応援していた人たちの気持ちがシュンとなっちゃう。」

もう、Kさんを見つめることしかできません。

「”Win-Win”ってそういうことだよね。古田君の言葉って”自分が”とか”相手が”ってのばかりだよね。そうじゃなくて、”私たちが”だよね。」

(ああ・・・、これこそ『7つの習慣』の第4~6の習慣の極意だ・・・。僕がやりたいことだ・・・。)
『ものすごい関係』(過去日記)
http://ameblo.jp/furuta4521/entry-11494902005.html




周りを気にして自分を抑圧して遠慮して、自分を出さないと、周りからの、その人に向けるエネルギーはシュンとしてしまう。逆にその人が思いのままに独自性を発揮すればするほど、周りはその人にエネルギーを送ってくれる。

坂本龍馬は西郷隆盛を評して、こんなことを言ったとのことです。
「西郷は大鐘ぜよ。小さくたたけば小さく響き、大きくたたけば大きく響く。」

世の中とはそういうものなのかも知れません。「こうしたい!」と大きく振りかぶって世の中に思いを投げかけたら、きっとドラえもんのように、この世はそれを現実として返してくれる。

きっとこの世界は、指向性を持ったエネルギーの流れに満ち溢れていて、いつでも隙あらばエネルギーを送ろうとしてくれているのだ。僕がやることは、それに気づき、入口の詰まりを取り除いて、大きく口を開いて満身で受け入れるだけなのだ。僕が開いた口の分だけ、この世界はエネルギーを送り込んでくれる。あとは、その入ってきたエネルギーを受け取りたい分だけ器を大きくしていくだけ。

『7つの習慣』(スティーブン・コヴィー著)とも繋がりました。

自分の心身を磨いていく第1~3(+7)の習慣。
それは、世の中のエネルギーが流れてくる自分の入口を大きくし綺麗にしておくことであり、入ってくる量を受け止められるように器を大きくすることなのだ。
ありがとう百萬遍、読書、早朝ジョギング、奉仕、能力アップ等や、様々な再新再生。

そして、次の第4~6の習慣は、世の中とはどんなもので、どんなエネルギーが自分の周りに渦まき、それを自分がどう取り込み活かすか。そして取り込んだエネルギーを咀嚼し増幅し世の中にどう還流させ、世の中の流れを加速させながら相乗効果を発揮し、新しいものを創造していくか・・・。




次の季節に進む音が、聴こえた気がしました。




20150616妙高高原

今、妙高高原にいます。
道沿いの駐車場、氷河みたいに冬の雪が残ってますが、ガンガン融けてます。





◆◆◆◆◆
6月:21.9km/84km 6月12日夜

2015年:2439.5/1000km
総計:3628.4/10000km(2012年~2021年末まで)
温泉が大好きで、いろんな地方に行った時はだいたい入るようにしています。
で、入る時に気をつけているのが・・・、

”疲れた状態で入ること”

時々、いつも通り「わぁ嬉しいなぁ」と思って入るんですが、期待通りの気持ちよさが感じられず、惰性で入った感じになってしまうことがあります。その時の共通点は、心も身体も全く疲れていない時。温泉は癒されに入るのですが、癒やすところが何もないと、”あまり腹は減っていないけどいつもの時間にご飯を食べる”くらいの無感動。無感謝。
いくら理屈で「温泉を満喫するぞ」「楽しい楽しい温泉だ」「温泉感謝感謝」と思ってもなかなか感動できません。

なのでいつからか、疲れていない時には、温泉に入る前にジョギングをして汗を流してから入るようになりました。あるいは全力で神経を敏感にして仕事をする。そうすると、貴重な「温泉という奇跡」の体験を心から感謝して満喫できるようになります。




さて、疲れた状態で温泉の湯船に入った瞬間。

「うふぁぁぁぁぁぁぁはぁぁぁぁぁぁ~~~~~幸せだなぁぁぁぁぁはぁぁぁぁぁぁぁ」。

わけのわからない何かが身体を駆け巡り、なんとも言えない気持ちよさと幸せ感でいっぱいになります。そんな時よく思うのが、

『幸せは身体感覚』

幸せだなぁ、という感覚は、身体の中での化学反応により、”感”じるのだと思っています。例えば化学物質でわかっているのが、セロトニン。幸せだなぁ、と感じる時、それが身体内を駆け巡ることがわかっています。 (冒頭の「わぁ嬉しいなぁ」というのは期待させ行動を促すための快感物質であるドーパミン)



ところで、幸せを追求していく時、その方法論としてよく言われるのが、

「自分を愛しましょう」

というお話。よくわかりますし僕もそうだと思います。ならばどうやって「自分って愛しいな」と感じられるようになるか。

自分を想う時、「自分っていいなぁ」と”感”じるのは思考ではなく、感覚。 もやっと胸の辺りに漂う感覚。すなわち、セロトニンに代表される幸せ感を感じる化学物質の反応が体内で起きているはずです。
自分のことを考えている時に、例えばネコといる時に発生する幸せ物質が、同じように身体内を駆け巡るかどうか。 それが発生する場合、”自己肯定感”が持てているのだと思います。 いくら「自分を愛そう」と思っても、幸せ物質が出ない場合、いくら思考でもって鏡に向かって「自分って素敵」「自分が好き」と唱えても、自己肯定感を持てません。

何度も何度もそれを言う”アファメーション”、というやり方もあります。確かに思考回路の中を流れる情報は一瞬にして変えることができます。 単なる情報の流れ、解釈なので。しかし、感覚というクオリアは化学物質の流れであり、 思考回路自体は脳神経細胞や化学物質が流れる神経細胞の物理的な回路なので、それを変えていくためには、川の流れを変える如く、一定の時間がかかります。



さて世の中には「白馬の王子様症候群」がたくさんソコカシコに存在しているので・・・、どうやったら「楽に幸せになれるか」を追求したくなります。そして実は、世の中は広いもので、座っているだけで幸せの恍惚感をビンビン感じまくっている人がいるようです。
それが、あるインドの山奥の有名な僧侶達。(「マネジメント革命」天外伺朗著 ご参照)

外界とのやりとりをほとんど遮断した牢屋のような部屋の中で、それはもう湧き上がる幸せ感に満たされながら瞑想し続ける、という人たち。


確かに、そうできたら本人は幸せで素晴らしいと思うけれど・・・、

しかし現実にはそれは、そういう修行を成功させたごくごく一部の人達です。つまり市井の人々が簡単に行えるものではないわけです。できないことはないけれど。つまり、思考だけで幸せ感を得る状態にもっていくというのは、逆にそれだけ難しいことなわけです。

それを成し得ようとするならば、日々、その訓練を行い、長い年月をかけて、思考と幸せ感を結びつける経路を太くしていく必要があるのだと思います。






では、普通の人が幸せ感を得るためにはどうすればいいのか・・・。

それが、

・誠実に生きる
・夢を持って生きる
・目の前の人を大事にする
・何かの目標に挑戦する

という、よくある成功法則なのではないか。 きっと何もせずただ座って思考だけで幸せ感を得るよりも、1000倍も楽。

例えば、

・お墓参りをする。
・トイレを掃除する。
・目の前の人を助ける。
・適度に身体を動かす。
・笑顔でいるようにする。
・一事に没頭する。
・人の悪口を言わない。
・肯定的な言葉を使う。

つまり、複雑な思考の空中戦を繰り広げてわけがわからなくするよりも、手軽に”行動”を使ってセロトニンを出すわけです。

「すぐに変われるよ」あるいは「変わらなくてもいいんだよ」と言われるとワクワクっとしてドーパミンが出てその場は嬉しいけれど、やっぱり何も変わっていない自分がいてまた不安になる→同じ言葉でまた盛り上げる→繰り返し。それよりは、ちょっと腰を上げて行動してみたら、何かが変わっているはず。

机に向かって勉強をしている時、とても眠たいとします。思考によってその眠たさを何とか回避するのは、できないことはないけれど至難の業です。最も簡単なのは、ちょっと外に出て深呼吸したりすること。 あっというまに眠たさが消えます。それと同じ。

「自分を愛しましょう。 」
「あなたは愛されています。 」

これをどれだけ言われても、思考だけで自分を愛する(自分のことを考えた時にセロトニンが出る)のは、インドの賢者のように、きっと修行を積まないとたどり着けません。

自分を愛したいのならば、「こんな自分って好きだなぁ」と素直に人として普通に思える行動を日々少しずつ積み重ねていくのが、私のような凡人にもできる、最短で確実な道だと思っています。思考は補強として、あるいは行動との相乗効果を出すために使う。





幸せの具体的な形は、人の数だけあるけれど、幸せとは、

「まあ、いろいろあるけど、自分ってまあまあいいよね。」

という漸近線に、試行錯誤しながら少しずつ近づいていく、その道程にあるのではないか、と思います。




20150607ブドウの木

ブドウの木、にょきにょききてます。



◆◆◆◆◆
5月:86.4km/84km 5月31日朝
6月:16.6km/84km 6月7日夜

2015年:2434.2/1000km
総計:3623.1/10000km(2012年~2021年末まで)
ワイナリーを作ると決めてブドウを植えてから、毎日栽培の行為から発する気付きが満載で、栽培日記HPを別口で立ち上げようと思っています。自分の栽培記録にもなりますし、今後始める人の参考にもなると思いますし。


ワイナリーをやろう、と決めたのは去年の冬で、様々なご縁からスポッとハマった自然な流れだったんですが、振り返ってみるとたくさんのお膳立てがありました。その一つが、近くのほこらでの苔庭作り(笑)。

・特殊ステータス『奉仕』
http://ameblo.jp/furuta4521/entry-11931110653.html
・幻肢のうずき
http://ameblo.jp/furuta4521/entry-11887251835.html
・好きになる方法
http://ameblo.jp/furuta4521/entry-11817203109.html

早朝ジョギング中に通りかかる神社の掃除から始まり、ほこらの境内を自然と整備し始めるようになりました。そこを苔で綺麗にしたいと。かなり先のことだと思っていましたが追々、地元で芸術活動(絵画中心)をしたかったんですが、苔庭作りはまさに、自然を活用した立体絵画だとある時気づきました。やりたいと思っていたことをいつのまにかやってるなぁと。そして今、その時間がブドウ畑の方に移行しています(苔庭への思いは時間は減りますがそのまま続けます)。しかも苔庭作りでは生活できませんが(笑)、ワイナリーならそれで生活できる可能性が格段に増えるし雇用も生まれる。持続可能。

今は20~30アールくらいの小さい畑ですが、どんどん拡げて地元地域の”霧訪山”の裾野全体(10~15ヘクタール)を一つの絵画のように芸術的なブドウ畑で埋め尽くしたいと思っています。10年~20年~30年仕事ですが。完成した苔庭を頭の中で妄想してニヤニヤしながら何時間でも草むしりができてしまう特性を私は持っていますが、その苔庭作りの情熱と全く同じ情熱を、規模を超拡大してブドウ畑に注ぎ込んでいる感じです。

また、畑でブドウの苗木を愛でていると、通りかかる地元の方々からだいたい話しかけられ、これからやりたいことをお話しすると、「手伝うよ!」「声かけて!」としょっちゅう言われます。一人の夢は一馬力ですが、10人の夢は10倍の実現度、100人の夢は100倍の実現度。

「夢は大きい方が実現しやすい」

というのはきっと本当ですね。

そして、できるだけ多くの人が関わるワイナリーにしていきたいと思っていますが・・・、そんな風にして、この地域全体で練り上げられ、そして搾り出される、珠玉のエキス。それがワイン。ああ素晴らしい・・・。




今思うと、たくさんの伏線がありました。

ご先祖様~両親までこの地で住み、地域の信用と農地を引き継いでくれた。将来は絵を描いて過ごしたいと、10年前に”夢100(夢を100個書く)”の中の一つとして紙に書いていた。健康でエネルギッシュに過ごすためにジョギングを開始した。自分を成長させたり人生を進化させていくのは人との出会いから、と思って地元に戻ってからは地元活動や市民活動を行なってできるだけ人に会うようにしていた。自分の喜びを増幅させてくれるものは”奉仕”だと気づいてそれを意識して行なっていた。



無数のご縁を経て”今ここ”という結び目が生まれましたが、ここを起点として、今後どんなご縁が創造され発展していくんでしょうか。いずれにしても、全てのご縁を”今ここ”に指向性をもって繋いでいるのは、「こうありたい」と想い続け育て続けた「自分の想い」ですので、人間の持つ「想う力」というのはものすごいですね。

これからも、”想い”という可能性の卵を、たくさん生み、温め、育て続けていきたいと思っています。



霧訪山の麓の上野原一帯
前回の日記の写真の背景に写っているのが、霧訪山です。
http://ameblo.jp/furuta4521/image-12028259943-13311114148.html


◆◆◆◆◆
5月:71.4km/84km 5月27日朝

2015年:2402.6/1000km
総計:3591.5/10000km(2012年~2021年末まで)
●宇宙

138億年前、宇宙が誕生しました。

●銀河

最初、無限小無限高圧の中に詰まっていたエネルギーは、急激な宇宙の拡大と共に密度が薄くなり、密度のゆらぎができ始めます。

最初は素粒子の状態だった物質は、密度の薄まりと温度の低下と共に結合し始め、原子を構成し始めます。それらの原子が寄り集まり、銀河が姿を現し始めました。100億年前。

●太陽

そして今から50億年前、宇宙内のある片隅のある銀河の中に、後に「太陽」と呼ばれる星が誕生します。

●地球

それから数億年後、今から46億年前、その太陽の周りの惑星群が合従連衡を繰り返し、いくつかの惑星が姿を見せ始めます。その中の一つ、後に「地球」と呼ばれる惑星が誕生します。

太陽を中心とした一群である”太陽系”の宇宙空間は未だ安定せず、ドロドロのマグマの固まりである地球に頻繁に隕石が衝突しています。その隕石の中に、H2O、即ち「水」を含むものが含まれており、ある程度巨大化した地球の重力により、H2Oが水蒸気として地表に留まり始めました。

さらに数億年、地表が、少しずつ冷え十分なH2Oに満たされていく中で、次第に地球が「雲」に覆われていきます。その雲から雨が。

そしていつしか、7割を「海」に覆われた、青い地球が誕生しました。


●海の有機生命体

時は流れて今から40億年前。「原始のスープ」と呼ばれる海の中に、微小な変わった存在が発生します。有機生命体です。有機生命体は、海の中の有機物を自律的に取り込み、少しずつ「進化」を始めました。細胞膜で海と自分を区切ることで自分を安定させ「単細胞生物」に。そして、その生き物達は、生まれては死に、無限の繰り返しの中で、海の底に堆積し続けます。その頃には、細胞生物以外に光合成生物も誕生しています。

それから・・・今から6億年前、地球上である破滅的な大事件が起こります。それをキッカケとして、生物は絶滅の危機を乗り越え・・・、逆に単細胞生物から多細胞生物への大進化を遂げることになります。そしてカンブリア爆発期。


●植物と昆虫が陸上へ

そんな中、今から5億年前、「植物」のうちの勇気ある祖先が、陸上に生存権を広げ始めます。そして爆発的に陸上を席捲し、緑の地球へ。そして今から4億年前、植物の後を追って、昆虫の祖先が陸上へ。

●動物が陸上へ

その頃には、海中の多細胞生物は、相変わらず生きては死に海底に死骸を堆積しながら、「魚類」へと進化していました。その中のある弱い種。大型の強い種に追いやられ浅瀬で生きることを余儀なくされていました。そしてさらに大陸移動によって浅瀬が海と隔離され、さらなる大陸隆起によってその浅瀬が消えてしまう絶滅の危機によって・・・、その弱い生物は、ヒレを手足に、エラを肺に変化させ、陸上で生きるために進化することで、絶滅の危機を乗り越えました。3.6億年前。


ついに陸上に進出した動物。既に環境を整えてくれていた植物と昆虫によって、爆発的に地球上を席捲し始めます。時には地球上の動植物の95%が死に絶えるという度重なる危機を乗り越えながら、その度に進化を遂げてより繁栄してきた動植物。

●恐竜から哺乳類の時代へ

今から1.5億年前。動物はいくつかの種に分かれて進化していました。爬虫類や哺乳類の祖先達。その時の環境に適応して勢力を最も伸ばしたのが、恐竜。

しかし6500万年前、地球に中規模の隕石が落下し、地表を灰が多い、陽の光を遮り、植物が激減し・・・、恐竜が絶滅します。しかし、違う生き方を選んでいた哺乳類の祖先は、生き残っていました。哺乳類の大繁栄の時代。




地球に海が生まれてからずっと、海底や地表には地球から漏れ出るミネラルや有機物、単細胞生物、多細胞生物、動物、植物が、降り積もり、生きては死に、地球の表面に何キロも堆積し続けながら、


ついについに・・・。

哺乳類から、

●サル

2000万年前にテナガザルと分かれ、

1200万年前にオランウータンと分かれ、

800万年前にゴリラと分かれ、

600万年前にチンパンジーと分かれ、

400万年前にアウストラロピテクス(猿人)、

300万年前にホモ・ハビリス、

200万年前にホモ・エレクトス(原人)、

100~50万年前にホモ・ネアンデルターレンシス(旧人)と分かれ、

●ヒト

20~10万年前にホモ・サピエンス(新人)、

私たちの祖先が誕生します。



さて、この2000万年、急激に脳を発達させ独自の進化を遂げたヒト。人類。およそ5万年前に爆発的な文明の進化を経ながら、急激に地球上を席捲していきます。身の回りに存在するものを有効活用することで、より生きやすく工夫をして環境を変えながら生き残る存在。

●ワイン

そんな中、およそ1万年前、現代で言うところの中東とロシアの間、グルジア(ジョージア)で、人類は偶然「ワイン」を作り出します。ブドウを桶に入れておいたら、ブドウの皮についていた酵母が糖分を食べアルコールを作り出しながら、自然にブドウを発酵させてワインができてしまった。保存もできるし栄養もある・・・。

5000年前。そのワインは、古代エジプトに伝わっていきます。さらに古代ギリシャへ。

そして2500年前、古代ローマに到達したワイン。ヨーロッパの水は硬水が多く飲みにくいため水代わりにワインが飲まれるというニーズに合わせ、ローマ帝国の拡大と共に、ヨーロッパ全土にブドウ栽培とワインが広がっていきます。フランス、イタリア、スペイン、ドイツ・・・。

ヨーロッパの土地は、大陸大移動に合わせ海底が隆起した大地。数十億年の堆積物の”旨味”と、北緯30度~50度で、太陽の光がたっぷり降り注ぎ、且つ雨が少ないというワイン用ブドウ栽培に適した気候、という偶然が折り重なり、特にフランス全土でブドウ栽培が行われることになります。


大航海時代。西暦1600年。
ワインの醸造、保存やビンの製造技術の向上も合わせ、ワインの生産と流通が飛躍的に拡大していきます。そして、宣教師と商人達が、世界中にブドウの木とワインを拡げていきます。チリ、アルゼンチン、アメリカ(カリフォルニア)、南アフリカ、オーストラリア、ニュージーランド。



そして現代。
1900年代に、私たちの祖父と祖母が生まれ出会い、そして私たちの父と母が生まれ出会い、地球上で数十億人の人類達が無数のドラマを紡ぎながら・・・、

1990年代~現在にかけて、世界中のワインの品質が劇的に向上しました。日本でも2000年に入ってから、世界でも通用するワインが生産されつつあります。




138億年の宇宙のドラマから搾り出された、奇跡の存在、それが自分であり、奇跡の”いただきもの”、それが目の前の食事であり、奇跡の”雫”、それがワイン。

日々無数に繰り広げられるあらゆる些細な、奇跡のご縁、即ち【マリアージュ】を、気付き、味わい尽くし、そして創り出して生きたい、と思っています。




20150513メルロー芽吹き
メルロー植えました。


◆◆◆◆◆
4月:85.5km/84km 4月30日朝
5月:32.7km/84km 5月15日朝

2015年:2363.9/1000km
総計:3552.8/10000km(2012年~2021年末まで)
そういえば、先日の誕生日で、『ありがとう百萬遍』の2周目を終えました。手帳に毎日つけていますので、きっちりできています。
なので、目下、”ありがとう二百萬遍の人間”、となりました(笑)。

●ありが道
http://ameblo.jp/furuta4521/entry-11904434709.html


2年前と何か変わったかなぁ、特にそんなに変わってないかなぁ、と思ったのですが・・・、

いやいや!全然違う!
失敗を繰り返しながら、心の中は徐々に磨かれていくのだろうと思っていますが、そういえば現実が劇的に変わっていることに気づきました。

ありがとう百萬遍の1周目で助走して・・・、そして2周目のこの1年、ものすごいいろんなご縁が雪崩のように降り注ぎ、一気にいろんな事業を開始することになりました。

・ワイナリー設立
(今、ぶどう植えてます。毎日ワイン飲んでます。川島なお美の気持ちが分かりました。(笑))
・市民大学設立
・市の施設の市民営のためのNPO設立
・古民家交流事業の開始


全てはワイナリーに集約されますが、これらは全部リンクさせ、相乗効果で新しい流れを作っていくビジョンです。

しかし、今までの44年間の人生は、自分への投資期間(長すぎ・・・)ということで、今はまだカラッキシお金がないので(笑)、これから1年~3年の間に超集中して、ガッツリ資金を作ったり工面したりしていくべく、お金を稼ぐことも並行して具体的に追求していき、各事業を推進していきます。


まだ見ぬ皆さま。
ゆるーく、あるいはガッツリと、ぜひ一緒にやりましょう。
もしくは何かグワワっと、エネルギー送ってください。




易経の乾為天の龍http://www.aki-ta.com/media/2005/200512.html)で言うところの、

・潜龍
 ↓
・見龍
 ↓
・君子終日乾乾
 ↓
・躍龍
 ↓
・飛龍
 ↓
・亢龍


という流れの中で、ようやく次のフェーズに行く段階に来たのでしょうか。
潜龍のフェーズでは、できるだけ世に出ず、己を知り、磨くことに努め、世界を学び、使命と天命に気づき・・・、そしてそれを成就させるために次のフェーズへと人生が進んでいくわけですが、ここで最も大事なのは、一生、”潜龍の志”を胸に置いて生きること。僕にとってその一つが『ありがとう百萬遍』です。スポーツ選手の下半身作りであり、お坊さんの念仏であり、飛龍のまとう雲。


一生涯、この『ありがとう百萬遍』を携え、日々降り注いでいる幸せをめいっぱい受け取りながら、限りない喜びを追求していきたいと思っています。


飛龍



◆◆◆◆◆
4月:54.1km/84km 4月20日朝

2015年:2301.8/1000km
総計:3590.7/10000km(2012年~2021年末まで)
最近、ボリューミーな日記が多くて、なかなか書く時間が取れず更新が滞っていました。
ネタや走り書きの気付きは相変わらずどんどん増えているんですが。

スパッと簡潔なやつも書こうかしら。
書けるかしら。

また、ここ数ヶ月、どんどんご縁が広がってきて(変わらざる中心)、やりたいことがどんどん増えてきているのも、それに拍車をかけています。
そろそろ、優先順位を付けて選択と集中に切り替えていく時期かもしれないとヒシヒシと感じ始めています。

ということで、今日は久々にライトな日記です。


~~


先日のこと、母が突然こんなことをつぶやきました。

「今日は、『ありがとう記念日』」

「・・・ん?」

「ありがとう記念日」

「ありがとう?」

「そう。」

「なんで記念?」

「うふふふふふ、お父さんがねぇ、初めて、『ありがとう』って言ったのよ。」

「え、そうなんだ。それで(笑)。言ったことなかったの。」

「うんそう。」

「へぇ~、どういう流れで言ったの?」

(ここでしばし、ありがとうを言われた経緯を嬉しそうに説明。(忘れてしまいました(笑)))


~~


実は、父と母はかなり仲が悪いです。
(斎藤一人さんは、「夫婦とはそういうもの」とおっしゃってるそうですが、そうなんですか?皆さん(笑))

母が父に対して三行半を突きつけたキッカケの言葉を聞いたことがあります。
ケンカしてる時に、父が母にこんなことを言ったそうです。

「何にもしてないクセに。」

たぶん普段からの積み重ねによって信頼口座の残高はゼロになっていて、この言葉が決定的で象徴的な言葉になったのだと思いますが、30年経っても、ずっとこの言葉が負のブラックホールとして心の奥にこびりつき、どんなに善行を積んでも信頼残高がプラスになることがない、という感じです。

「お父さんは仕事ばかりで家のことは何もしなかった。」

母の口癖です。


~~


ところで、うちには家ネコくぅちゃんがいますが、ただ一人、父にだけ懐いていません(笑)。
ある時、父がこんなことをつぶやいたそうです。

「くぅちゃんにまで嫌われてる。」

大爆笑。

くぅちゃんは当初、僕にも全く懐いていませんでしたが、シャーシャー言われても理不尽に引っかかれても、せっせせっせと愛を注ぎ続けることで、今ではちょっと触るだけでゴロゴロいってくれるようになりました。
そんなくぅちゃんを仰向けにさせて腹を撫でている僕を見て、父が一言。

父「よくじゃん。」

僕「与えたものが返ってくるんだよ。」(偉そう)


~~


マイペースで周囲に気遣いを全くせず、頑固で考えを絶対に曲げず、アルコールが入ると急に切れたりなので、全員から結構冷たくされている父ですが(笑)、数々のピンチを切り抜けきっちりサラリーマンを勤めあげ家を守り、そして定年退職して現在75歳。「今が一番幸せ」と言って、毎日、TVと畑とビールの鉄のトライアングルを日々繰り返しています。


~~



ということで、なんにせよ、こういうのを反面教師にしながら(笑)、太陽のように周囲に対して愛と感謝を惜しみなく発散し続ける人間になろう、と心に決めるのでした。 





20150331伸びて寝ているくぅちゃん




◆◆◆◆◆
3月:84.5km/84km 3月30日夜
4月:15.6km/84km 4月8日朝

2015年:263.3/1000km
総計:3552.2/10000km(2012年~2021年末まで)
色んな本やブログ等を見聞きしていると、

「この考えで全てが解決する!」
「この考えこそが宇宙の法則」

という考え方がよく出てきます。
その考えに沿ってこの世界を分析してみると全てが説明できる、あらゆる事象を表す公式のようなものなのだ、という感じです。

(私の座右の書である『7つの習慣』も、もしかしたらそういうものの一つなのかもしれません(笑))

どれか一つが正しくて、他は全て間違っている、ということではなく、どれもこれも、信じる人にとっては正解、ということだと私は思っています。一神教的にそれぞれの信じるものを持っている人からしたら、違う考えや自分の意に沿わぬ事は頭にくることかもしれません。日本の神道は”八百万の神”の世界ですが、私の価値観はその流れを組んでいるような気もします。



さて、最近つくづく思うのですが、日々の問題点、目標達成、目的成就等を全てを解決する魔法の言葉があります。
それは、

『挑戦と成長』

です。
この世で自分が経験するあらゆる出来事は、”挑戦と成長のため”という目的をセットすると、どんな出来事に対しても、自分の心を安らかにさせ、やる気を起こさせ、しかも現実逃避でなくきちんと現実を改善させてくれます。

これは、身体感覚として”成長”を喜びと感じない人にとっては逆に苦痛になってしまう可能性がありますが(そういう方には、小林正観さんの本をお薦めします)、自分にとっては、まさに万能薬。日々いろんな出来事を経験する中で、例えば寝る前に全ての起こった出来事を「挑戦と成長という目的のためのものだったのだ」と意味づけると、心がお花畑に満たされて(笑)、全てに感謝でき、安らかに眠ることができます。




キッカケはこの言葉です。

『夢に挑戦するとは、自分を信じる挑戦をするということ』
-福島正伸




例えば、エベレストに登りたい、とします。才能や機会のあるなしに関わらず、あきらめる前に、全ての人ができることがあります。それが、

”エベレストに登るための挑戦をすること”。

日々ジョギングをしてみたり、日本の山に登って鍛えたり、装備を揃えたり、知識を得たり。誰しもが、”実現させるための挑戦”はすることができます。天才も凡人も関係ない。機会平等。例えば足が不自由で、常識的に考えたら到底できるものではない状況だとしても、その目標に1mm近づくことはできます。0.01%可能性を高めるアイディアを考え何かをすることはできます。

それと同じように、今は夢を実現する自信がないかもしれない、今は自分を信じれないかもしれない、しかし夢を実現させる自分を信じることに挑戦することはできます。希望の光。もしかしたら道半ばで命が尽きるかもしれないけれど、その光、という北極星に向かって、歩いて行くことはできる。

『自分を信じる挑戦』

ものすごい言葉だと思います。




私にとって、全てを説明できる宇宙の法則。

『挑戦と成長』


この法則を信じて生きて良かった、と思える人生にすることが、私の人生における挑戦です。




2014年初日の出



◆◆◆◆◆
2月:86.7km/84km 2月28日朝
3月:43.3km/84km 3月16日朝

2015年:215.5/1000km
総計:3505.4/10000km(2012年~2021年末まで)
以前、相互奉仕社会、という日記を書きましたが、「これこれ!」という映像がありました。心が温かくなりますので、ぜひ御覧ください。「奉仕奉仕!」と言うと、”自己犠牲”と連想されることがありますが、そんな大げさなことではないのです。

https://www.facebook.com/video.php?v=10153092507274411&fref=nf





さて、半年ほど前にネットニュースでこんな記事が出ていました。

●恐怖の記憶、精子で子孫に「継承」 米研究チーム発表
http://www.asahi.com/articles/TKY201312040021.html

●後天的な「恐怖体験」が、実は子孫に遺伝していくことが判明
http://gigazine.net/news/20140729-fear-inherited/

○環境と遺伝子の間:あなたのエピジェネティクスは常に変化している
http://goo.gl/cIfLJG


※エピジェネティクス
遺伝子には”構造”と”機能”があり、構造という設計図を元に身体を作り上げるだけでなく、遺伝子で表現する構造から得られる機能をON/OFFすることで、その機能を発動させたりさせなかったりもできる働きのこと(自分的意訳)。



どんどんリンクをたどっていろんなケースが紹介されていました。例えば、

・”妊娠前~出産までの母親の食べ過ぎの肥満状態が子に遺伝する。2代まで遺伝する”とか、
・”孤独を感じていると、ある免疫を司る遺伝子のスイッチがオフになり、免疫力が落ちる”とか。


まだ可能性であり、確定、ということではないみたいですが、ニュートンの万有引力の公式が特定範囲での特殊な状態しか表せていないのと同じように、神ならぬ人間が導き出す答えとは常にその時に認識しうる範囲という限定状況下での結論なのだと思います。

人間の一人として自分も、できるだけ世界を広げ、他者を理解する努力を続けていきながらも、常に”無知の知”を心に置きながら、謙虚に生きていきたいものです。





・・・テーマがずれました。閑話休題。


この科学から、「自分の生き方は、自分だけでなく後世に遺伝していくのだ」という答えが導き出されます。

例えば自分の代で食を節制し、生活習慣をコントロールして、健康になるように遺伝子スイッチをON-OFFしておけば、その積み重ねの状態をスタートとして、子は生まれるのかもしれない。

逆に自分が怠惰に、不健康に生きたら、その苦しい状態から、子は挽回しなくてはならないのかもしれない。

自分が、幸せ幸せ、ありがたいありがたいと手を合わせ日々を生きたら、生まれた時からえびす様のような性格を持った子が生まれるのかもしれない。

これはトライする価値がありそうだ。

(あっ、その前に結婚して、子供を生む必要がありますよね・・・。頑張ろう(笑)。)



自分が生きているということは、それだけで自分以外の人に何か影響を及ぼす。

これを重荷と感じるか、それとも可能性と感じるか。
負担と受け取るか、より良く生きる動機と受け取るか。
己を縛る鎖と見るか、偉大さを生む繋がりと見るか。




自分の目に見えるはずのない、10㎞先の山の向こうに転がっている石ころの質量による空間の歪み(重力)が、限りなくゼロに近いにせよ自分のところまで届いているように、自分の存在は、生命として命を持った瞬間から、全宇宙に影響を及ぼしている。

それが逃れられない事実というのならば、できるだけ、自分の存在が他の何かに対して、ほんの少しでも良い方向に作用するように生きたいなぁ、と思う次第です。




20150224
困った時のくぅちゃん写真




◆◆◆◆◆
2月:67.4km/84km 2月24日朝

2015年:152.9/1000km
総計:3442.8/10000km(2012年~2021年末まで)
雪かきが好きです。

父は脳梗塞で身体が少し不自由、母は腰が曲がり始めているのでとても雪かきなどはできず、最も力のある私が当然やるべき仕事なのですが・・・、筋力トレーニングにもなりますし、世界に奉仕するために尽くす『国際救○隊』隊員でもある私にとって、人への奉仕=”救助”できる素敵な”チャンス”ともなっています。
つまりそれは、自宅の周りだけでなく、周辺のお隣さんの方まで雪かき支援することです。



さて先日、雪かきをしていた時のこと。
年配の足の悪い親子お二人(女性)が住まわれているお隣さんのお宅の前の雪をかいていると、玄関からお母さんの方が。

「もう本当にいつもいつもすみません。ありがとうございます。ありがとうございます。」

雪かきの音が聞こえると、いつも顔を出されます。
先日はお酒を持ってきて下さいました。

「いえいえ~!力だけは有り余っているので!体力作りにいいんですよ!」


いつもとても申し訳なさそうにされてしまうので、どんな”救助”も本人に知られずに、相手に罪悪感など感じさせずに、こっそりさり気なくやってしまうスキルが必要だといつも思います。

とても恐縮されつつ、そのやり取りの後、黙々と雪かきを継続していて、ふと「あっ、そうか!」と、毎度おなじみの脳内のシナプスの新たな出会いが発生しました。


こんな感じ。

「人への奉仕は、その人が自分の『影響の輪』(※)に入ることに繋がる行為なのだ」

※『影響の輪』:自分の行動によって変化を与えることができる範囲
 例)『過去と他人は変えられない。変えられるのは自分と未来。』

 ●影響の輪を広げる ~フランクリン・コヴィー社HPより~
 http://www.franklinplanner.co.jp/learning/selfstudy/ss-12.html




普通、”他人”は自分の力の及ぶ範囲ではありません。でもたぶんこのお隣さんは、僕が何かをお願いすることがあるとしたら、きっと話を聞いてくださると思います。そういう信頼が積み重なっている。もちろんそれが目的ではないけれど、人との繋がりを駆使して生き残ってきた人類には、遺伝子レベルでそういうメカニズムがきっと働いているのだ。




ここで、さらにもう一段階の気付きが発生しました。

~~~

先日、大恩ある経営者の方(Mさん)から電話が。
私の生活が大きく変わるようなある依頼でした。

「ちょっとお願いがあるんやけど。」


以前より、私はこの方からのお話は、どんなお話でも「はい!」
と応えようと決めていたので、その枕詞が出た瞬間心の中で「YES!」「お返しするチャンス!」と思いつつお話を伺いつつ、もちろんその依頼を受けました。

~~~


この出来事を思い出し・・・、

「あっ!僕はMさんの影響の輪に入ってるんだ!」

と気付いたわけです。


周りの多くの人達のために尽くしているMさん。
何年か前にあるスピーチの席で、こんな事をおっしゃったことがありました。

「ある時から、やりたいと思ったことがどんどん実現していくようになった。」
(「だから、下手なことを思うと思っただけですぐ実現してしまうから、気をつけないと(笑)」とオチ)


きっと、影響の輪の大きさが、事業の大きさなのだ。
そして、信頼の積み重ねが、影響の輪の大きさなのだ。



「刹那的な”楽”な方を常に選んだり、『自己中心』な生き方をしていくと、運動をしない身体のように、その時は疲れない代わりに筋肉が痩せていき、結果的に力が失われていく。少しのことでより疲れるようになっていく。影響の輪が狭まっていく。無力感が増えていく。」

~『7つの習慣』:第2の習慣~




大きな輪、小さな輪、拡がる輪、狭まる輪、色んな輪が、互いに影響を与え合いながら、水面の波紋のようにこの水の惑星に折り重なっている。

そんな妄想の翼を脳内で羽ばたかせながら、雪かきの喜びを満喫するのでした。




完全リラックスくぅちゃん
家猫くぅちゃんの影響の輪の中に、完全に入れられてしまっている僕。



◆◆◆◆◆
1月:84.5km/84km 1月31日朝
1月:14.6km/84km 2月5日朝

2015年:99.1/1000km
総計:3389.0/10000km(2012年~2021年末まで)