母が書道をしていまして、毎月生徒さんの書が道場の壁に貼られます。
で、テストの点数とか、運動能力とかと同じように、習字の”うまさ”も、人によって全く違うのがよくわかります。(過去日記:涙の才能)
書道の世界で、
字がうまい = 才能がある
と定義すると、明確なる才能の違いは存在していて、バランスの良い字の形や配置の取り方のセンスや、線がイキイキとした感じになるセンス等、これは将来伸びそうだぞという字等、いろんな要素があるように思いますが、もう、顔の造形と同じように生まれついてのもの、としか言いようがありません。スタート地点は明らかに違います。
ただ、じゃあ字のうまさは果たして、単に”早熟”なだけなのか、”晩成”で今はまだそれが発揮されていないだけなのか、は極端なところ死ぬまで続けてみないと、字の”うまさ曲線”がどういう曲線を描くのかはわかりません。そういう意味では、才能を本当に形作るにはもう一つ、”続ける(あるいは磨く)”という要素があり、
『これを知る者はこれを好む者に如かず
これを好む者はこれを楽しむ者に如かず』 -孔子(論語)
という言葉があるように、続けるために最も重要なのが、”そこに喜びがある”かどうかなのかもしれません。
さて、僕の座右の書である『7つの習慣』。そのシリーズで、『第8の習慣』というのがあります。ここでは、
”ボイス” = ”有意義な人生を送るための【内なる声】であり使命〉”
(ちょっと意訳)
という言葉が出てきます。そしてボイスは、こんな図で表されます。
・才能:天賦の才、強さ
・情熱:ワクワク、奮起させるもの
・ニーズ:世界から必要とされているもの
・良心:人として”正しい”あり方
文章にすると、
「才能を活かせて、情熱(喜び)をもって続けられ、且つ世界に必要とされながら、己の良心にかなう行為であるならば、最高にハッピー。」
という感じでしょうか。
使命とはなにか、それはどこに転がっているのか、『第8の習慣』はそれを見いだす強烈な一助になると思いますので、ご興味があったらぜひご参照ください。
ところで、才能というのは他者との比較や評価があってはじめて見いだされるものなので、結局は個人あるいは範囲を拡げて”人類”からみた主観にしか過ぎず、単なる他者から植え付けられた意味付けだけなので、そんなのは無視して自分の喜びを追求すればいいんですが、そうはいっても「才能があったらいいなぁ」というのが正直な欲求です。
こういうのは無理に理屈で考えて無視したりして体と頭の矛盾に苛まれてわけが分からなくなるより、正直に認めてしまった方が早いと思うんです。現に生々しく生きているんですから。「手の届かない柿は渋い柿」だとちょっと斜めじゃないですか。
ということで、人生において最も気になるものの一つが、「自分にはどんな才能があるんだろう」というところですが、そういう欲求と真正面から向き合い、さんざっぱら考えに考えて・・・、そして才能とはなにか、一つの結論を得ました。それは、
”持っているもの全て”。
(「持っていないもの」も実は才能になり得る、と気づきましたが、これはまた別の日記で・・・。)
世の中の才能、を考えた時に、一番認識しやすいのが、自分にはなくて人にあるものです。
例えば、俳優さんのかっこよさとか、プロスポーツ選手の身体能力とか、東大に行った人の頭の良さとか、地道に努力を重ねる人の忍耐強さとか、自然と惹きつけられる人の雰囲気の良さとか。全部その人が持っているもの。
で、多くのものは、スタート地点で持っているものが違っていたりします。じゃあ、自分は何を持っているんだろうか・・・と日々考える中で、ある日お墓を掃除をしていてふと気づきました。
「持っているものか・・・。あっ!ということはご先祖様も、僕の才能の一つなのだ!」
何も、自分の身体に関わることだけじゃなく、両親、両親の力(仕事や財力、ステータスも全て)、人の繋がり、自分や自分と関わる全ての人が持ち自分が活用することができる全て。これらは全部、自分の特徴であり個性であり独自性であり、そして才能なのだ、と。
それに気づいてから、それまではいろんな才能溢れる人々を見て、「いいなぁ、ずるいなぁ、最初からいろんなもの持っている人って・・・。」という思いを持っていましたが、今は、いいなぁ、と思うことはあっても、ずるいなぁ、とは思いません(笑)。ちょっと成長?。
なにせ、この地球は豊かだし、昨日ジョギング中に道路の片隅にいた車に轢かれて死んでしまっていたタヌキではなく人間として生まれただけで何兆分の一の有り難さだし、物質的豊かさや平和で言えば日本人に生まれただけで1%の奇跡だし、そもそも僕は、昨日亡くなった人がどうしても欲しかった今日を生きることができている。
でもでも・・・、それで終わらないのが、人類の良いところです。日々喜び(快感)の中で生きるだけなら動物と変わりません。動物は単細胞生物の時から元々そう生きています。人類は、それも満喫しつつ、さらにもっともっとエクスタシーに日々を生きることができるわけです(笑)。その人類の才能を活かさなくてはもったいない。
そのエクスタシーのツボは一人ひとり違うと思いますのでここでは言及しませんが、私自身はワイナリーを軸とした生き方にそれを見出すことができました。
俳優さんがご先祖両親から引き継いだ身体の造形を最大限活かして周りを喜ばせたりしながら使命を追求しているように、私はご先祖両親が繋げてくれたこの身体や土地や、繋がってくれている人たちを遠慮なく存分に活かさせてもらって、喜びを追求し且つ周りを喜ばせながら使命を追求していきます。
この宇宙が、銀河系が、太陽系が、地球が、動植物が、人類が、日本が、地元が、そして家族両親が地道に積み重ね、引き継いでくれた無数の才能をどう活かし、自分の人生に隠されているたくさんの喜びという宝物をどう創り発見していくのか。
この世はそんなゲームなのかもしれません。

◆◆◆◆◆
6月:86.0km/84km 6月30日朝
7月:20.7km/84km 7月7日朝
2015年:2524.3/1000km
総計:3713.2/10000km(2012年~2021年末まで)
で、テストの点数とか、運動能力とかと同じように、習字の”うまさ”も、人によって全く違うのがよくわかります。(過去日記:涙の才能)
書道の世界で、
字がうまい = 才能がある
と定義すると、明確なる才能の違いは存在していて、バランスの良い字の形や配置の取り方のセンスや、線がイキイキとした感じになるセンス等、これは将来伸びそうだぞという字等、いろんな要素があるように思いますが、もう、顔の造形と同じように生まれついてのもの、としか言いようがありません。スタート地点は明らかに違います。
ただ、じゃあ字のうまさは果たして、単に”早熟”なだけなのか、”晩成”で今はまだそれが発揮されていないだけなのか、は極端なところ死ぬまで続けてみないと、字の”うまさ曲線”がどういう曲線を描くのかはわかりません。そういう意味では、才能を本当に形作るにはもう一つ、”続ける(あるいは磨く)”という要素があり、
『これを知る者はこれを好む者に如かず
これを好む者はこれを楽しむ者に如かず』 -孔子(論語)
という言葉があるように、続けるために最も重要なのが、”そこに喜びがある”かどうかなのかもしれません。
さて、僕の座右の書である『7つの習慣』。そのシリーズで、『第8の習慣』というのがあります。ここでは、
”ボイス” = ”有意義な人生を送るための【内なる声】であり使命〉”
(ちょっと意訳)
という言葉が出てきます。そしてボイスは、こんな図で表されます。
・才能:天賦の才、強さ
・情熱:ワクワク、奮起させるもの
・ニーズ:世界から必要とされているもの
・良心:人として”正しい”あり方
文章にすると、
「才能を活かせて、情熱(喜び)をもって続けられ、且つ世界に必要とされながら、己の良心にかなう行為であるならば、最高にハッピー。」
という感じでしょうか。
使命とはなにか、それはどこに転がっているのか、『第8の習慣』はそれを見いだす強烈な一助になると思いますので、ご興味があったらぜひご参照ください。
ところで、才能というのは他者との比較や評価があってはじめて見いだされるものなので、結局は個人あるいは範囲を拡げて”人類”からみた主観にしか過ぎず、単なる他者から植え付けられた意味付けだけなので、そんなのは無視して自分の喜びを追求すればいいんですが、そうはいっても「才能があったらいいなぁ」というのが正直な欲求です。
こういうのは無理に理屈で考えて無視したりして体と頭の矛盾に苛まれてわけが分からなくなるより、正直に認めてしまった方が早いと思うんです。現に生々しく生きているんですから。「手の届かない柿は渋い柿」だとちょっと斜めじゃないですか。
ということで、人生において最も気になるものの一つが、「自分にはどんな才能があるんだろう」というところですが、そういう欲求と真正面から向き合い、さんざっぱら考えに考えて・・・、そして才能とはなにか、一つの結論を得ました。それは、
”持っているもの全て”。
(「持っていないもの」も実は才能になり得る、と気づきましたが、これはまた別の日記で・・・。)
世の中の才能、を考えた時に、一番認識しやすいのが、自分にはなくて人にあるものです。
例えば、俳優さんのかっこよさとか、プロスポーツ選手の身体能力とか、東大に行った人の頭の良さとか、地道に努力を重ねる人の忍耐強さとか、自然と惹きつけられる人の雰囲気の良さとか。全部その人が持っているもの。
で、多くのものは、スタート地点で持っているものが違っていたりします。じゃあ、自分は何を持っているんだろうか・・・と日々考える中で、ある日お墓を掃除をしていてふと気づきました。
「持っているものか・・・。あっ!ということはご先祖様も、僕の才能の一つなのだ!」
何も、自分の身体に関わることだけじゃなく、両親、両親の力(仕事や財力、ステータスも全て)、人の繋がり、自分や自分と関わる全ての人が持ち自分が活用することができる全て。これらは全部、自分の特徴であり個性であり独自性であり、そして才能なのだ、と。
それに気づいてから、それまではいろんな才能溢れる人々を見て、「いいなぁ、ずるいなぁ、最初からいろんなもの持っている人って・・・。」という思いを持っていましたが、今は、いいなぁ、と思うことはあっても、ずるいなぁ、とは思いません(笑)。ちょっと成長?。
なにせ、この地球は豊かだし、昨日ジョギング中に道路の片隅にいた車に轢かれて死んでしまっていたタヌキではなく人間として生まれただけで何兆分の一の有り難さだし、物質的豊かさや平和で言えば日本人に生まれただけで1%の奇跡だし、そもそも僕は、昨日亡くなった人がどうしても欲しかった今日を生きることができている。
でもでも・・・、それで終わらないのが、人類の良いところです。日々喜び(快感)の中で生きるだけなら動物と変わりません。動物は単細胞生物の時から元々そう生きています。人類は、それも満喫しつつ、さらにもっともっとエクスタシーに日々を生きることができるわけです(笑)。その人類の才能を活かさなくてはもったいない。
そのエクスタシーのツボは一人ひとり違うと思いますのでここでは言及しませんが、私自身はワイナリーを軸とした生き方にそれを見出すことができました。
俳優さんがご先祖両親から引き継いだ身体の造形を最大限活かして周りを喜ばせたりしながら使命を追求しているように、私はご先祖両親が繋げてくれたこの身体や土地や、繋がってくれている人たちを遠慮なく存分に活かさせてもらって、喜びを追求し且つ周りを喜ばせながら使命を追求していきます。
この宇宙が、銀河系が、太陽系が、地球が、動植物が、人類が、日本が、地元が、そして家族両親が地道に積み重ね、引き継いでくれた無数の才能をどう活かし、自分の人生に隠されているたくさんの喜びという宝物をどう創り発見していくのか。
この世はそんなゲームなのかもしれません。

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6月:86.0km/84km 6月30日朝
7月:20.7km/84km 7月7日朝
2015年:2524.3/1000km
総計:3713.2/10000km(2012年~2021年末まで)









