ますます腰が曲がってきて、いつも痛い痛いと辛そうにしている僕の母(71)。 

いつも踊るか歌うかしながら、ますます口が達者になりつつある甥の悠矢(高1)。 

 

二人がいつものように台所で口喧嘩をしている。 

 

 

「○○しなさいよ!ダメでしょ○○しなきゃ!」 

 

「うるっさいな!いいんだよ△△なんだから!」 

 

「なに言ってるのよ!そうしないと☓☓になっちゃうから!」

 

 「それは☆☆だから大丈夫だって!どうせ□□だし!」 

 

 

こういう時、母は超・押し付けがましく、そして悠矢は超・年上に対する礼を失した態度で、家猫のくぅちゃんも会話に入り込めないくらいのドロっとした空気を醸している。 

(くぅちゃんは、人が電話していたり、台所で会話していたりすると、そこにニャーニャー割り込んでくるのだ。) 

 

喧嘩の内容はと言えば、悠矢のクツのかかとがスリ減っていることであったり、食器をすぐに洗わないことであったり、お風呂に夜遅く入って母の睡眠を邪魔してしまうことであったりする。 

確かに、それらはとても些細なことではあるが、人の間に生きる”礼”として大事なことでもあり、きっと後年、悠矢はどこかで気付くことになる。 

 

 

 

で、そんな口汚い喧嘩を黙って聞き流しながら、しみじみ僕は思うのだ。 

 

「幸せなことだなぁ・・・。」 

 

と。

 

 

 

 いつか来たる後の日に、「元気に二人が喧嘩していた日が懐かしいなぁ、悠・・・。」と思い出すであろう、二度と戻らない今を生きれていることが、とてもありがたい。 

 

 

 

 

 

くぅちゃんの背中。ああ幸せ(笑)。 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 1月:84.0km/84km 1月31日昼 

2月:42.0km/84km 2月22日昼 

 

2017年:126.0/1000km 

総計:5480.3/10000km(2012年~2021年末まで)

最近、守護霊と会話するようになりました。

・・・おっと、初っ端から飛ばしてすみません。



歴史上の人物で私が最も好きな人は勝海舟。それと同じくらい好きなのが西郷隆盛です。
この2人が直接関わる最も好きな逸話が、江戸城受け渡しの談判の話。
以下、意訳入りで「氷川清話」より。

~~~

幕府(負け)側の代表の勝海舟と、倒幕(勝ち)側の代表の西郷隆盛の談判の場が江戸城で設けられた。

その時の西郷隆盛のあり方に、勝海舟がいたく感じ入った。

「この時、おれ(勝海舟)がことに感心したのは、西郷がおれに対して、幕府の重臣たるだけの敬礼を失わず、終始座を正して手を膝の上にのせ、少しも戦勝の威光でもって敗軍の将を軽蔑するというようなふうがみえなかったことだ。 
その胆量の大きいことは、いわゆる天空海闊で、見識ぶるなどということは、もとより少しもなかった。 」

「西郷におよぶことのできないのは、その大胆識と大誠意とにあるのだ。おれの一言を信じて、たった一人で江戸城に乗り込む。 
この西郷の至誠は、おれをしてあい欺くことができなかった。このときに際して、小籌(ちゅう)浅略を事とするのは、かえってこの人のためにはらわたを見透かされるばかりだと思って、おれも至誠をもってこれに応じたから、江戸城受け渡しも、あのとおり立談(たちばなし)の間にすんだのさ。 」

~~~

この偉ぶらないあり方、本当に素晴らしい。
●本当に強い人
http://ameblo.jp/furuta4521/entry-12131361850.html


また、西郷の有名な島流しの話も。
島流しにあった時、何百冊と本を持ち込み、読んだという。これが後々大きく活きた。”大河の流れ”をただ受け入れながら、淡々とできることをやる。そんなイメージ。だからこそ、大事業を成し遂げたのだろうと感じる。


こんな西郷隆盛の有名な銘が、「敬天愛人」。

「人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして、己を尽くして 
人をとがめず、我が誠の足らざるを尋ぬべし。 
小人は己を利せんと欲し、君子は民を利せんと欲す。 
己を利する者は私、民を利する者は公なり。 
公なる者は栄え、私なる者は亡ぶ 
総じて人は己に克を以って成り、自ら愛するを以って敗るるぞ 」
-西郷隆盛





この、”天を相手にする”というあり方の、「これこそ人間の魂の成長の究極の到達点なのではないか」という世界観に、稲妻に打たれたように感動し、10年ほど前から、どうしたらこんな境地になれるんだろう、と日々イチローがバットの素振りをするように、思索し、試行錯誤しています。

●相手は天
http://ameblo.jp/furuta4521/entry-11021400669.html
●自分に甘く、人に甘い
http://ameblo.jp/furuta4521/entry-11121877366.html
●ありがとうを人に向ける
http://ameblo.jp/furuta4521/entry-11904434709.html





ところで、一青窈さんの「ハナミズキ」にこんなフレーズがあります。

「君と好きな人が 百年続きますように」

短いフレーズの中に、ものすごい深い愛が込められていて、これだけでじわっときます。
このフレーズにヒントを得て、私が日々何かにつけて(通り過ぎる神社、ほこら、お墓、対面する人、出会った全てに)つぶやく祈りの言葉に、こんなフレーズを入れています。

「あなたと、あなたの大切な方々に、開運を祈念申し上げます。」

ここ5年くらいだと思いますが、もう何万回言ったかわかりませんが、最近は、流れ星が流れた時にとっさに出る言葉が、「開運祈念申し上げます!」です。なかなか、天にとって都合の良い人間ができあがりつつありますね(笑)。


過去日記検索したら、書いてました。

●開運祈願開運祈願
http://ameblo.jp/furuta4521/entry-10987827624.html




しかし、こんな祈りを日々しているにも関わらず・・・、1~2年くらい前ですが、とても悔しいことがあり、ある人をものすごく憎んでしまったのです。で、ふと思い出すと込み上がってくる憎しみの感情に半年ほど苦しみました。忘却、放置、促進、焦点をずらす、許容、あの手この手を使ってその感情の気持ち悪さを何とかできないかと試行錯誤をし続けた結果、、、。

ある時ふと、その人を大切に思っているに違いない、その人のお母さんに意識がいきました。
「あっ!そうか・・・、その人にも、その人を大切に思っている人がいるんだ・・・。」

と思った瞬間、その人に対する憎しみの感情が霧散しました。
まあ、僕も人間なんで、時々ふとその悔しい出来事が頭に浮かんで、「こんちきしょー」と思ったりしますが、もう鬱々とした憎しみで自分の心を傷付けることはない感じです。昔怪我をして膿んで大変だった傷口が、すっかり治ったけれど時々その場所がかゆくなる感じ?

この時から、何かにつけて、その存在の背後にいて、その存在を大切に想う存在を意識するようになったわけです。



色んな地域に行くと、その地域を守護しているであろう存在”氏神様”に心の中(時々その土地の神社)でご挨拶。「おじゃましまーす。開運を祈念申し上げます」。

温泉に入ると心の中で、そこにいる人達をそれぞれ守護しているであろう存在(以下、守護霊)の皆さんに、「こんばんは~^^)ノ 気持ち良いっすね~」。

車を運転していて、対向車が危ない運転をした時に、上で守護霊が「ごめん~~!!今修行中!」と謝ってくれている。

時には、相手とやり取りしている時に守護霊とやり取りするだけでなく、守護霊の目でその人を見たりすると、その人をとても愛おしく?感じられたり。


基本、守護霊を含めてあらゆる神さまは”愛の存在”なわけで、どんな小憎らしい人にも、その人を愛する人がいるわけだし、この世界は愛に満ちているのをヒシヒシと感じます(笑)。ベースは愛なのだ。




死者生者問わず、私が尊敬する何人かの大人物は、なんだかとてつもない度量を持って、自分のような小人物には見えない大きな世界観の中で生きているような気がしていますが、これはその入口なのでは?これが西郷隆盛が行間で伝えたかった敬天愛人の感覚では?と少し期待しています。いずれにしても、この”敬天愛人の素振り(すぶり)”を日々行い、”敬天愛人数値”をMAXまで引き上げていくことが、私のドラクエ人生の挑戦の一つです。




新年のご挨拶も笑いもオチもなくてすみません・・・。
せめて新年っぽい綺麗な写真を。




◆◆◆◆◆ 
10月:86.4km/84km 10月31日昼 
11月:84.0km/84km 11月30日昼 
12月:84.0km/84km 12月31日昼 
1月:38.0km/84km 1月28日昼 

2016年:1164.4/1000km 
2017年:38.0/1000km 
総計:5392.3/10000km(2012年~2021年末まで)

最近ありがたいことに、哲学的なこと(この日記で書いているようなこと)を臆面なく話せる繋がり(場)が新たにできまして、水を得た魚のように遠慮なくそういう系統の話を話してしまったりしているのですが、そこで湧き出る言葉を自己反芻していて、ふと思いました。

 

「あ、今しゃべってる内容って、ほとんど日記に公開したことだ・・・。」

 

公開している日記の裏にはその何十倍も未公開のメモがたまっているのですが、しゃべっているのはどうやら公開していることがほとんどなのです。

 

やはり、文章として顕在化させる時、考えを論理的にまとめて、読む人にプラスになりますように、とか考えながら注意深く出力するわけですが、その過程で自分の頭に内容が明確にフィードバックされて、脳みそに刻み込まれるのかもしれません。


今後ますます、自分の考えを世の中に表明する機会は増えると思いますので、そのための蓄積として、これから、まずは一週間に一度くらいのペースを復活させようかなぁ、と思いつつあります。

 

(別途、ぶどう栽培等、ワイナリーに関わるほうの膨大な気付きや発見、試行錯誤等も蓄積させていきたいなぁと思っていますが、書きやすく残しやすく検索しやすいHP作りたいなぁ、と思っていて、しかし全然取り組めていません。自然農法の発展にも少しでも寄与できると思うので、なんとかやりたいです。)

 

 


・・・なんて考えて、ふとブログの日付をみたら、、、

あれっ?いつの間にか前回の日記から2ヶ月が経とうとしてる!
ということで、なんか出力しておこうと思って、書き溜めたものをサラッと読んでみたら、そのままコピペして公開できそうなメモがあったので、以下、コピペしました。


~~~


人間は脳みそを持ってしまったから、自分をより幸せな状態にもっていきたいとどうしても思ってしまう。どうしたらこの世界は自分にとってもっと幸せな世界になってくれるんだろうと。

 

さて、ではどうすればいいか。

 

 

自分の幸せと最も密接に関係しているのは、人間関係。
で、人間関係をもっと良くしていきたい。
どうしたらあの人は自分に対して良くなってくれるんだろうと思ったりする。

 

あの人が変わってくれたら。

 

で、人を変えようと思ったら・・・、あの手この手を使って工夫して勉強して試行錯誤して、例えば願ってみたり、祈ってみたり、星や風を読んでみたり、心理学の本を読んであれやこれやと画策しみたり、催眠術をマスターして人心操作しようとしてみたり(笑)、ても、思った通りに変わることはほとんどない。(それが各分野の学問としての発展に繋がるので総体として悪くはないかもしれません(笑)。)


ではどうすればいいか。

 

 

最も簡単なのが、自分を変えること。
超絶に当たり前ですが。


でも、多くの人が、実は最も難しいこと(人を変えようとすること)にばかり注力していたり、延々と手段に注力して目的に到達するのを忘れてしまったりして、それが実現できないから悩んだりするのでは、と思う。


例えて言うと、今コタツにいて、みかんが食べたいと思って、でも「数メートル離れた所にあるみかんを取りに行くのが面倒くさい、念力とか使えればコタツに入ったままで手元に持ってこれるのに!そうだ!念力を覚えよう!」
っつって、念力についてお金を投入して日々研究し、何年も時間をかけて念力の練習をして・・・、

 

「ダメだ!どうしても念力ができない!どうしたらいいんだ・・・、自分はなんてダメなんだろう・・・。」

 

と落ち込んでいるようなもので、解決するためには、

「どっこいしょ」と立ち上がって、自分が動いて手で取ればいいだけ。

 

自分にできる範囲で自分が動くようにしていけば、筋肉は付くしスキルは上がるしその行為はだんだん楽になっていく。さらにその能力が上がるにつれて、自分のできる範囲が拡がり、自分を変える(世界を変える)範囲がどんどん拡がっていく。

 

○7つの習慣:影響の輪を拡げる(フランクリン・プランナー公式ページ)
http://www.franklinplanner.co.jp/learning/selfstudy/ss-11.html

 

 

 

・・・という感じで悩んでいる人が多いんじゃないかなぁ、と、朝、おしっこしたいけれど、寒い布団から出るのを先延ばしにしていて、いい加減膀胱がパンパンでどうしようどうしよう!ああこんな時に膀胱の中身だけトイレに瞬間移動できたら良いのに!と悩み葛藤している時に、ふと思いました。

2ヶ月以上日記を書いていませんでしたが、何度も言いますが、全くやめるつもりもなく、というか推敲しきれなかった非公開日記は毎日降り積もっていて、もう地層のようになっています(笑)。


さて、今日の日記はもう何年間も温めていた内容です。
日々無数に得るインスピレーションはいつも非公開日記やメモに残しておいて、日々の生活の中で醸成していくという感じで、ようやく今日、たまたま発露しました。


~~~

 

●為末大さん
こんな肩書があるのかわからないけれども、私にとっての”インスピレーター”とでも言える人の一人、為末大さん。
(インスピレーター=気付きのきっかけをよくもらえる人。僕の人生の文脈に対して思わぬ角度からパンチを貰える人。他には、茂木健一郎さんとか、ちきりんさんとか、ホリエモンさんとか。考えが同じとか違うとか関係なく。お気に入りの無名のブロガーも。)
3,4年前ですが、こんなツイートを。

 

為末 大 @daijapan 
たくさん生きたという理由ではもう上に立つ理由にならない。今の世代は根拠を実力に求めるから、本当にそれを示さなければ信用すら勝ち取れない。データとメダルが重要だったと女子バレーの真鍋監督が言っていた。俺を信じろだけでは通じない。信じるに足る根拠を示せ。 

 

 

 

●母
こんな出来事を思い出した。
5,6年前だと思うけれど、母が 何かの会でたくさんのお弟子さんに囲まれながら床に大きな紙を置いて大きな筆でパフォーマンスをしていた。 洗練された、姿勢、体の所作、筆先のミリ単位の動き。芸術的。

終わった後、 母に、 「やっぱり凄いね。」 と言ったら、母がこう言った。 

 

「こういうのが、必要なのよね。」
(これをやるからみんなついてくる) 

 

そんな母は、中学生の時に書道を志向し、今はアラ70。およそ60年書道ひと筋だけれども、30年ほど前に自分で協会を立ち上げて、今では師範のお弟子さんがアクティブな人でも30人くらい、子供も含めての全ての生徒さんはその10倍はいる。

 

 

 

●竹村亞希子さん
ところで、私に新たな世界観を築くきっかけを作ってくれた人。竹村亞希子さん。日本における易経業界の現代の第一人者。1年ほど前にこんなツイートを。

 

竹村亞希子 @aki_eki
器量と度量では器量が陽で度量が陰です。
器量はその地位に見合った才覚をいい、
度量は、自分のことを良く言う者だけでなく、
悪く批判する者に対しても同じように受け容れる能力をいいます。

https://twitter.com/aki_eki/status/674247022577258496?s=09
http://plaza.rakuten.co.jp/anotamatebako2/13020/


ググったら、こんな説明が。(ちょっと意訳)

 

器量=仕事の能力・稼げる力:物の役に立つべき才能と徳
度量=人間性の高さ:他人の言行を受け入れる、心の広さ

 

(個人的には、私、人間性の高さ=”器”の大きさ と思っているので、”器”量と度量の意味が逆だったらしっくりくるんですけど・・・(笑))

 

 

 

●平成進化論の鮒谷周史さん
も、何回か、お金を稼ぐことと、人間性を高めることの両方が必要、というお話しをされていた。
http://www.2nd-stage.jp/

 

(基本的に、人とネタが被ると、そのネタが出せなくなってしまうことが多く(笑)、お蔵入りになっているネタがこの他にもたくさんあります。)

 

 

 

さて、ようやく本題。

 

例えば世に名を成すのならば、器量か度量、どちらかが必要になる。
(もちろん、世に名を成す人生を選ばない生き方もあり。)
極端にざくっと言うと、器量があればお金が集まり、度量があれば人が集まる。どちらも、大きさに応じてできることが増えていく。またおそらく、度量という土台を持っていると器量を持つ人が繋がり、器量を持っている人の背中を度量を持つ人が支えている。富士山の広い裾野(度量)と日本一の高さ(器量)が見合っているのだ。奇跡的にどちらも持っている人もいるし、もしかしたらどちらかを極めた人は、もう一方の極に通じるのかもしれない。

 

僕は器量も度量も元々持ち合わせていない人間なんだけれども、でも、”成長”していきたい。僕の人生はドラクエ人生であり、ひたすらレベル上げする(各種能力を磨く)ことに無上の喜びを感じるのだ(笑)。だから、器量も度量もどんどん上げていきたい。そして元々持っていないならば、後天的に上げていくしかない。

 

この自分の性質に10代の頃に気づいていれば・・・と時々セピア色な気分になるんだけれども(笑)、「今が一番若い」んだから、今から始めるしかない。
そんな中で、どうも僕は”陰”の性格が濃いように自覚していて、陰の修練は好きでほっといてもやってしまうんだけれども、”陽”の活動は意識して方向性を見定めて、意味を構築して、優先順位を上げて行わないとやらない性格。

 

もしかしたら陰の極の先に陽の極があるのかもしれないけれど、時間も足りないし我慢できないので(笑)、陽活動も積極的に行なっていきたいと魂が叫ぶ。人間性の修練だけでは飯も食えない。成長角度をもっと上げる方法はないか。そこで陰と陽の相乗効果で、スパイラルにどちらも発展させられるのではと・・・。

 

~~~


それでようやく、ワイナリーという使命が”陽”を発展させる手段として定まったわけです。

ということで、

 

●成長と成功
http://ameblo.jp/furuta4521/entry-12091516291.html
~成長(人格の成熟)と社会的成功は、比例関係にしていくのが僕の理想~


でも少し触れた内容でしたが、今後書きたい日記に、この”器量と度量”というメタファーがよく出てきそうなので、残しておきました。

 

 



日々の膨大な知識習得とビジョンの妄想と、現実の試行錯誤の日々です。

 

 

 

◆◆◆◆◆ 
8月:100.0km/84km 8月24日昼 
9月:88.0km/84km 9月25日昼 
10月:49.4km/84km 10月24日昼 

 

2016年:960.4/1000km 
総計:5150.3/10000km(2012年~2021年末まで)

半年前くらいの話ですが、同居している甥(姉の息子)の悠矢(高1)と何かのキッカケで姉の話になった。

どんな流れか忘れたけれども、姉(悠矢の母)がすぐキレる話になり(笑)、

悠矢「すぐ切れるのがホントいや!」「土曜日は僕も学校なのに遅くまでお母さんが寝てるから・・・」

と愚痴る。
それに反応しようとして、以前こんなことがあったことを思い出した。

~~~

悠矢は僕の父(悠矢の祖父)のことが大嫌いで、ある時、

「ねーにーちゃん。おじいちゃんのこと嫌い?」

と単刀直入に訊いてきた(笑)。

「ん?まあ喧嘩もするけど父親だしね。全然そんなことないよ。」

と正直に言ったら不満なオーラを醸し出していた。おそらく同調して欲しかった(自分の判断能力の確認と味方作りでしょう)んだろうと思うけど、悪口には乗らないと決めているし。

~~~

ということがあったので、まああんまり共感を拒絶するのもなんだかな、と思って、今回はちょっと大人の対応をして、姉への”愛のある”憎まれ口をたたいてみた。

※僕は愛を持って接せられる、受け止めてもらえる、と思えた人に毒舌を吐きたくなるクセがあり、過去それによって何人か疎遠になってしまった人がいますorz。サービス精神と信頼の裏返しなんですが(言い訳)、わかりにくい毒舌やジョークはほどほどにしないといけませんね。

僕「そうだよね。姉ちゃんはまったく○○で△△で・・・。」

と言ったら、悠矢が即座に、

「お母さん働いてくれてる・・・」とボソッとフォロー。「(そうきたか。)」と。




話変わって僕の母。
母は文句ばかり言いながら、せっせと悠矢のお世話をする。そしてそのお世話が思いっきりクドくて押し付けがましいので(笑)、僕が見ても「そりゃー口や手を出し過ぎだよ」と思うくらい。

で、その押し付けがましさからか、悠矢は母(祖母)に対してものすごい横柄に対応する。僕はそれを見聞きしながら、

「(トイレの神様の歌詞を噛み締めろよな・・・。10年後はおばあちゃんいないんだぞ・・・)」

と思い、切なくなるんだけれども、母はそんな悠矢にいつも文句を言いながら、せっせと世話をする。

そして、母と僕と二人きりの時、如何に悠矢がだらしないかをとくとくと語るんだけれども・・・、ある時僕が少し大人の対応を示して、

僕「そうだよね、ホント、悠矢はまったく○○で△△で・・・。」

と母に同調したら・・・、今度は母が不機嫌に。

「何言ってるの!学だってそうだったのよ!」と今度は悠矢をフォローしだす。「(そうきたか。)」と。




僕は聖人君子からはまだまだ程遠いので、まだちょっと何か・誰かに対する個人的感情を含めた批判がうっかり漏れ出てしまうこともあるんだけれども、それでもいわゆる悪口は絶対に言わない!と決めている中で、「まあ、愛が根底にある状態での憎まれ口くらいは良いかな?」と思っていて、

しかし、そういう憎まれ口も、これからはやめとこう・・・、と思った次第です。
”愛憎”とはよく言ったもので、愛は複雑な形をしていますね。





ところで、独り言でうっかりマイナス言葉を使ってしまった時に良い方法があります。

「・・・と、昔は言ったけれど。」

と即座に付ければ良いのです(笑)。ご活用ください。

●うっかりしたら
http://ameblo.jp/furuta4521/entry-10442290535.html




ご飯を食べているとくぅちゃんがくる

先日、くぅちゃんに噛まれて引っ掻かれて「シャーッ」と言われる事件が発生しました。
それでも可愛いのはなぜでしょう。




◆◆◆◆◆
7月:115.0km/84km 7月31日昼
8月:83.0km/84km 8月16日昼

2016年:776.0/1000km
総計:4965.9/10000km(2012年~2021年末まで)
2ヶ月も日記を書いてませんでしたが、優先順位を上げれば毎日でも書きたいくらい、続ける気マンマンです。




2013年4月9日に『ありがとう百万遍』を始めて、今年の4月9日で、『ありがとう三百万遍』を経過しました。相変わらず手帳に毎日付けていますが、もう完全なる”日々の当たり前”になっています。

(先日、この『ありがとう百万遍』を提唱された竹田和平さんが亡くなられたとのことです。ご冥福をお祈りいたします。ありがとうございます。)
●本田こーちゃんHP
http://blog.livedoor.jp/hondakochan/archives/52465842.html




思い起こせば、この間、随分と心身の状態も現実も変わったように思います。


○ありが道
http://ameblo.jp/furuta4521/entry-11904434709.html
○ありがとう二百萬遍
http://ameblo.jp/furuta4521/entry-12016597833.html


今具体的にやっていることは、3年半前の当時からしたらまるで想像の範囲を超えていて、そういえば全然別の人生になってしまっています。
ただ、この生き方を続けていけば、想像を超えて変わっていくだろうな、という予想はしていたので、そういう意味では想像の範囲内です(笑)。





さて、最近マイブームの口癖があります。それは、

「幸せだなぁ・・・」

です。色んなシーンでふと思い出してつぶやきますが、よくあるのが、ご飯を食べている時や、激しく運動したり働いたりした後で温泉に入った時です。


「幸せだなぁ・・・。」とつぶやくと、幸せホルモンのセロトニンがモワーッと出る感じです。

しかし、昔だったら、こんなセロトニン感覚はありえませんでした。中学生くらいの時から会社員にいたるまでの時代(12,3年前まで)。当時は日々モヤモヤとした胸の痛みに耐える日々でした。

では今なぜ感じられるんだろう、と考えると、明確な理由(原因)があります。それは、


・自分の人生を歩けるのは自分しかいないと理解し
・自分にできることに集中し
・自分が影響を及ぼせないことは全て感謝し

・天命と使命を知るための努力をし、そして知り、
・理想を持ち
・夢を持ち
・人生に目的を持ち
・目的を成就する目標を設定し
・計画を立て(ここまでが”第1の創造”7つの習慣)
・今できることを一つ一つやり(”第2の創造”)

・物事を良いように捉えるよう考えを修正し
・良い言葉や良い動きを発することを意識し
・人に価値や喜びを与え、共有することを意識し

・自分に正直に生きる勇気を持ちながら、
・人の気持ちに配慮する優しさを持って周囲に奉仕し
・自立心を養いながら周囲との相互依存を模索し

・全ての土台となる心と身体の健康に留意し磨きながら
・過去今ここ短期中期長期超長期の未来全て宇宙全部において最も大きな喜びを感じられる生き方やあり方を考え、試行錯誤し

・これらを日々実践することで
・日々の成長とその先にある希望を感じ・・・ ・・・


ている上で、「幸せだなぁ・・・」としみじみつぶやくと、
「ああ、ホントなんて幸せなんだろう・・・。感謝しかない・・・。」
としみじみ感じられる、という感じです。

ここまで7,8年かかりました。



もちろん今全てできているわけではなく、そうあろうと努力あるいはコントロールしている、ということです。

あ、他人が使う言葉の使い方を気にする人で”努力”や”コントロール”という言葉が嫌いな人は、”再新再生”(7つの習慣)と読み替えてもらっても良いです。

最近はあちらこちらでタブーが作られて息苦しい世の中だと思いますが、こういう世の中が良いなぁ~、と思っています↓↓↓

・行間を埋めるもの
http://ameblo.jp/furuta4521/entry-10508812801.html

・行間を埋めるもの2
http://ameblo.jp/furuta4521/entry-11235295989.html






要は、上の項目は全部『7つの習慣』の実践です(笑)。

僕の場合はたまたま『7つの習慣』がジャストフィットしましたが、例えば、斎藤一人さんとか、竹田和平さんとか、福島正伸さんとか、「この人の生き方素敵だなぁ」と思った人の本を全部読んでみたり会いに行ったりするなどして、そのあり方をまるごと感じて、そして一つ一つ実践すればいいと思います。




ということで、久しぶりに日記を書くと、一つの日記に全てを詰め込みたくなるので、今日はこの辺で。





20160706第2畑


たくさん働いて結構稼ぎが増えてきたので、少しブドウ畑拡張しました。それでもまだ0.3ヘクタール。今後5年で今の15倍に拡張する目標です。即ち自分の人間性も、稼ぐ力も、爆発的成長=イノベーション が必要、という状況ですよ(笑)。ラスボスは遥か彼方。




◆◆◆◆◆
5月:84.0km/84km 5月30日昼
6月:90.0km/84km 6月30日昼
7月:85.0km/84km 7月23日昼

2016年:663.0/1000km
総計:4852.9/10000km(2012年~2021年末まで)
うちの母はエスパーなんですが、最近、父は微生物だと判明しました。



ワイナリーをやっていくにあたって、どんな価値観でブドウを育てていくか色々考えます。そして、この日記での10年間の記述からもにじみ出ていると思いますが、究極的には、

【自然農法】

を追究していきたいと思っています。詳細は割愛しますが、要は慣行農法(ここ100年に開発された近代的農法)のように、除草剤や農薬や化学肥料を使わない農法です。”自然”の摂理に沿って育てていくやり方。超難関ですが、実に僕らしいと僕自身思います。





さて、自然のままの森林等では、時間が経つに連れて土壌の豊かさが増していきます。草が生え、大小の生物が生きては死に、

生産者→消費者→分解還元者→生産者・・・
(以降、分解還元者=還元者)

というサイクルが行われていきます。
ザクっと、消費者=動物、生産者=植物、還元者=微生物等 です。

微生物
http://save-planet1.org/purification.html

いわばプラスの循環です。

これを農業に適用する(自然農法)場合、この自然のサイクルを存分に取り入れることによって、収穫で取る分よりも、土壌が豊かになる速さの方が速くなり、人為的に肥料を入れたりして土壌を豊かにさせる必要がなくなります。

例えば、子供は、肉体的な若さ・健全さゆえに、動きながら回復していくので、「ああ~温泉癒されるわ~」とか言いながら疲れを癒やす必要がありません。もしくは一晩寝たら復活します。そんな感じ(笑)。

しかし慣行農法は、”コストを減らし且つたくさん収穫する”、という効率一点のために農薬などを使って虫や病気、雑草などの悪影響を排除します。そして野菜や果樹を育てるにあたって、畑に肥料を定期的に施用していきます。そうしないと、人間が定期的に実や葉っぱを収穫をしていくので、栄養が足りなくなってしまうからです。即ち、土壌中の還元者や生産者を滅してしまい・・・、プラスのサイクルを分断し土が自然に豊かにはならないので、その分を人工的に埋める必要があるわけです。
それが慣行農法であり、しかしその効率化・生産性の向上によって、食糧を大量に供給できるようになり、人類の数の増加という現在の結果を得ることができているので良し悪しですね。現代に生きるあなたも私も、この技術のおかげで生まれた存在なのでこれも大事な過程だと思います。


しかし、無限の調和能力を持つ自然の力を人間が全てコントロールすることはまだまだまだまだ不可能であり、食糧の大量生産のための効率化というメリットの裏で、様々なデメリットが噴出し続けています。

そこで今、農業の世界でも自然農法が見直されつつあるわけですが・・・。

人間という消費者が奪い取るエネルギーよりも大きなエネルギーを、土壌中の生産者は一生懸命生み出していきます。そしてその生産者が活動するための土台を作るのが、還元者。
動植物の死骸を分解したり、色んな”異物”をまろやかに変化させ土壌に調和を生み出す縁の下の力持ちです。





さて、全然話が飛ぶんですが、父は、定年退職をして15年。今はこんなあり方で日々を生きています。

黙々と、マイペースに日々の鉄のトライアングル(TV→畑→ビール)を繰り返しながら、淡々と、非常にゆっくりと・・・、

・私の鑑定事業や家族が出したゴミがちょっと適当にまとめられているものがあれば分別し、
・コンポストに逐次投入されていく家庭の生ごみは機を見て畑に還し、
・可燃ごみでうちで燃やせるものは山に行って燃やし(山間の田舎なので燃やせる場所があります)、
・出た灰はコンポストか畑や田んぼに還し、
・毎年家族のために野菜や米を安定的に作って供給し続け、
・山から木を切ってきて薪を作り(うちの風呂は電気と薪どちらでもOK)
・庭や畑がちょっと散らかっていたらあるべきものはあるべきところに戻し、
・昨年から私が始めたワイナリー事業のための活動で手が回らない準備作業や後始末や調整をいつの間にかやってくれ・・・

家族や地域の中では、性格はかなりわがままでマイペース、”我”を通す頑固者なんですが、地球レベルで考えると、日々の生き方そのものは、全てを受け入れて自然のままに生き・・・、”我”が消失しているイメージです。何の文句も言わず黙々と片付けてしまうところに、器の大きさを感じます。


なんか、隙間を埋めてくれるこの有りよう、何だろう、何かに似ているな・・・と思っていたんですが、それが、”土の中で隙間を蠢きながらあらゆる調整をして、元に戻したり調和を取り戻したり、他の存在が豊かに生きる環境を作ってくれる「還元者」”だ!と気付いたわけです。

常々、僕も、若さをベースとした力強い働きができなくなった暁には、自分のできる範囲で、薄く、広く、「他の人が生きやすくなるお手伝い」をする役割を黙々と担いながら、徐々に消えていく生き方ができたら良いなぁ、と思っていたんですが、まさに父の生き方はそんな感じでした。
元気のある者が世界を貪欲に進めていくその裏で、食い散らかされ、生き散らかされた色んなものを、黙々と調和と再生産の方向に熟成させていく役割。


一般的に人間は、

・幼少期:消費者
・青年期~壮年期:生産者
・老年期:還元者

という役割を経て、そして地球に還っていくんでしょうか。あるいはそれは、器の大きさの変遷なのかもしれないとも感じます。



先頭を突っ走る人だけが、世界を作っているのではない。
世界の奥深さと色んな役割の存在を、父を見て思うのでした。



◆◆◆◆◆
4月:90.0km/84km 4月26日昼
5月:43.0km/84km 5月16日昼

2016年:447.0/1000km
総計:4636.9/10000km(2012年~2021年末まで)
先日のホワイトデーのこと。

地元の行きつけの洋菓子屋さんがあり、母親に洋菓子を買うついでに、自分も食べる分のクッキーも幾つか買いました

僕は普段から結構、食の節制をしていて、おやつはほとんど食べません(おかげでいつもお腹をすかしているので、ご飯が美味しくて美味しくてたまらないのでオススメです(笑))。でも誰かへのお土産のためにこのお店に行く時には、自分用も少し買うのを楽しみにしています。久々に食べれるおやつにワクワクして、自宅に戻り、そのクッキーを机の上に置いておきました。

しばらくその場を離れ戻ってみると・・・・・・、


な・なんと、家猫くぅちゃんが、そのクッキーをガリガリかじっているではありませんか!!!

めったに食べない、とても楽しみにしていた虎の子のおやつを台無しにされて、ついカーっとなって、しかもコソコソしている感じ(盗み食いするネコはだいたいこんな感じだと思いますが(笑))に余計に腹が立って、「コラァーーーーーーー!!!!!」とくぅちゃんとおやつを引き剥がすべく近づいたら、くぅちゃんは、「シャーーーーッ!」と唸って「ズダダダダーーーーーっ」と逃げて行きました。


「こ、このやろう・・・」とクッキーの残骸を手に取って5秒。


「あっ!」


ここで気づきました。

感情的な怒りは、器の小さな証(あくまで自分の器が、です)。
この怒りを如何にコントロールするかを最近は修練していて、自分がとても感情的に怒っていることに気づきました。


普段から、その出来事をどう考えると、力になったりとてもハッピーになれるかを考える習慣にしているので・・・、ある事に気づきました。

今日はホワイトデー。
そしてくぅちゃんは、実は女の子(去勢してますが)。


「そうだよ・・・。くぅちゃんだって、ホワイトデーでなんか欲しかったんだよ。それで机の上にクッキーがあって、『これ私にかなぁ?』と思ってかじってたんだ・・・。」


そう思ったら、くぅちゃんを追っ払ってしまったことの理不尽さ(くぅちゃんからしたら)と、びっくりして逃げるしかなかったくぅちゃんの切なさに胸が詰まってしまって、


「くぅちゃん、ごめん!ごめん~~~!」と、台所に逃げていったくぅちゃんの後を追いつつクッキーの残骸を持っていって、そして、ちょっとオドっとしていたくぅちゃんをなでなでなでなでなでなでなでなでしながら、クッキーの残りをあげました。
むしゃむしゃむしゃむしゃ美味しそうに食べてくれました。

人間の食べ物をあげたら姉と甥の悠矢が怒ると思いますが、この際仕方がありません。




僕のひどい仕打ちを許し受け入れてくれたくぅちゃんの器の大きさに感謝しながら、人間というのは、見方次第でいくらでも幸せになれる、幸せな生き物だなぁ、とつくづく感じました。





塩尻市商店街の「かどや」

塩尻市商店街の洋菓子屋さん「かどや」。
(Googleマップです)
これからの私のお土産は、だいたいここのお菓子になると思います。



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3月:126.0km/84km 3月31日昼
4月:3.0km/84km 4月2日昼

2016年:317.0/1000km
総計:4506.9/10000km(2012年~2021年末まで)
今日の日記は、ある立場の人にとってはムッとくることもあるかと思いますが、正直な思考の格闘をそのまま書きます。ぜひ愛ある真意を読み取っていただけたらと思います。





人は、動物と違って”考える葦”になってしまったから、自分の存在に意味がない、と思いながら生きられるほど鈍感じゃない。だから自分の存在に意味を持たせたい。
で、生きるために必要な”仕事”。多くの人が”仕事”に意味を見出したい。自分は意味のない仕事をしているのだ、世の中に必要とされていないのだ、と思いながら生きることはなかなか苦しい。「意味なくっても全然平気」でいるのは悟りレベルで机上の空論と思う。脳内のみ、あるいはコンピュータのような純粋な論理マシンならば別だけれど。

即ち、できれば”仕事”を通じて新たな価値を創造できる人間でありたい、というのが正直なところだと思うので、”仕事”を切り口として考える。




では、価値の創造ってなんだろう。

・第一次産業。農業、漁業、エネルギー産業など。モノ自体を地球から取り出し、人に提供する。
これはわかりやすい。人が生きる上で食は欠かせないから、明らかに価値を創造している。

・第二次産業。鉄鋼業等。生活を豊かにするためにモノを作る。これもわかりやすい。




さて、価値を創造する時、今の人間界の仕組みでは、そこに対価が発生する。お金。
モノを作り、提供し、対価としてお金をもらう。価値の流れに沿って、同時に逆方向にお金の流れが発生している。人間の動脈と静脈のよう。あるいはプラスとマイナスの電気の流れのよう。

ここである疑問が生じた。

誤解を恐れず言えば、例えば、「年金や生活保護で国からお金をもらっている人に対する介護」によって、一体何が創造されているんだろうか。お金の流れは、税金として国へ→国から年金や生活保護としてお金が渡される→介護をする人にお金が渡される。とすると、介護され、介護する、という両者のやり取りの後、この地球上に何か新しい価値が創造されたのだろうか?何も生まれていない?お金の対価は?

そうだ。喜びだ。
介護される人はそれによって喜びが得られるのだ(もう少し切実かもしれませんが)。
ああそうか。これは普通に第三次産業なのだ。モノは生み出されないが、喜び、という感情を創造するお手伝いをする仕事。サービスの提供。


マンガは、マンガを生み出しているが、何も残さない。衣食住に全く関係がない。しかし、喜びを提供しているのだ。小説も音楽も美術も一緒。時には勇気ももらえる。

結局突き詰めれば、第一次、二次、三次全てが、宇宙の中にある資源をぐるぐる回しながら、生きる喜びを提供しているわけなのだ。





ところで先日、マ○ハンが社員研修みたいなことをある会館でやっていた。

正直、これまで僕は、パチンコ業界は世の中に不必要だと思っていた。無い方が良いと。だって、パチンコは機械にお金を吸い込ませることを追求しただけの、中毒性のあるドーパミン発生マシンだ。
パチンコをやった人は、ただ、お金を吸い込ませるだけだ。確かに喜びはあるかもしれないけれど、その喜びはドーパミンに依拠した中毒性のあるもので、その喜びから次の喜びへの発展性も何もない。成長することで次の喜びを生み出したりする投資活動にもならない。むしろその人の力を失わせる。麻薬の喜びと変わらない。

で、その研修。若い社員達が、100人以上入るであろう大きな会議室で、物凄い熱気の中で何か盛り上がっていた。

これを見た時、「あ、マ○ハンでお金を得、ご飯を食べ、そして家族を養っている人もいるんだ。」
と思った。つまり、パチンコ屋は、”雇用”を生み出しているのだ。確かにパチンコによって力を失う人もいるかもしれないが・・・、しかし、社員の家族はどうだろうか。その家族の、日々の会話、食事、そしてそこで生まれる喜び。そういうものを、パチンコ屋も生み出しているのだ。

僕はワイナリーを経営しようとしているけれども、それはそこで働く人達の雇用を作る、ということでもある。そして、そこで働く人は、そこで得られたお金で人生を構築していくのだ。ギュッと身が引き締まる。

それを考えた時、日本全国数千人?の人たちの雇用を支えるマ○ハンは、そうは言ってももの凄いことだなぁ、と思ったのです。




結局、価値のあるなしを決めるのは、その価値を認めた人であり、認めることでその人にとっての価値が発生し、その価値を受け取る人になることができるのだ。
(こういうことを言うと、「価値なんかなくてもいいんだよ」と言いたくなるのが今時だと思いますが(笑)、それは表現の仕方が新鮮なだけで、結局同じことを言っているのでそれでも良いと思います。)

つまり例えば、全く関係の無い人が、「あいつには価値がない」というのは全く意味がない。それを言われたら一言「ほっとけ」でいいのだ(笑)。




宇宙レベルでみれば、実は、私もあなたも存在しているだけで価値を提供している。

●誰かの力
http://ameblo.jp/furuta4521/entry-10674655242.html
●人類は何をすればいいのか
http://ameblo.jp/furuta4521/entry-11911689891.html



そういう大前提の元に・・・、目の前の人に何かをして、そしたらその人が喜んでくれた。そこにお金の流れを作れたら、仕事になったりもする。

そういう小さな喜びを、死ぬまでにどれだけたくさん創り出すことができるか。そんな人生に挑戦していきたい。




焼かつおほたて味
焼かつお・ほたて味?意味不明(笑)。 
しかし、ものすごい食いついてる家猫くぅちゃん。




◆◆◆◆◆
2月:85.9km/84km 2月24日昼
3月:58.0km/84km 3月11日昼

2016年:246.0/1000km
総計:4435.9/10000km(2012年~2021年末まで)
先日、ある初対面の人に、ある件でお世話になったので菓子折りを持ってお礼に伺った。


相手はある企業の社長さんで、状況からわざわざアポを取ってお礼の品をお渡しするほどのお手間は取らせたくなかったので、アポ無しで事務所にお伺いして、もしご本人がいらしたらサラッとお礼を言ってすぐ引き上げる。もし居られなかったら関係者の方に品をお渡しし、お礼の言伝てをお願いするだけのつもりで、事務所にお伺いした。

現地に着くと、案の定社長さんは居られず、代わりに年配の女性の方がいらしたので、事情をお話しして菓子折りをお渡しすることにした。


お話ししてみると、何となく気さくで堂々としていて(ホーム感がある)、現場のパートさんとは迫力?が違うぞ?と思っていたら、「社長が息子なのよ~。」とのこと。なるほど納得。

僕にとってはアウェイ?の場所だしご面倒をおかけした立場なので、ちょっと恐縮しながらお礼を言いつつ菓子折りをお渡しすると、ニコニコ~っとしながら、

「あらホント?いえいえ~、むしろこちらこそ良かったですよ~。大したことじゃなかったのに。かえって得しちゃった~。」

と、かなり軽い感じで受け取って下さった。
その言葉を聞いた時、スーッと安心を感じた。



その時、「ハッ」と気付いた。

「この方は、僕に気を遣わせないように、わざと軽口を叩いて、自分を下げ、気遣ってくれたのだ。」


真意に気づかないと、単なる軽口で、

「なあんだ、気を使う必要なかったな。そういう人かな。」

と、相手を軽んじて済ませてしまう可能性がある。しかし違うのだ。わざとなのだ。

7つの習慣的に言うと、相手に「精神的な空気を与えた」のだ。

※7つの習慣より「空気を与える」
http://mugen3.com/hon1.html#SEC32


相手を癒やし、その力を最大限に発揮するように促せる、最高度のコミュニケーション。



精神的余裕が無い時、人は相手から「空気を奪い」たくなる。
自分の「空気」が足りないから相手に奪われないように気を張ったり強く見せたり自分の正しさを主張したりして、相手から空気を奪おうとする。

軽口を叩く人、おちゃらけている人、あるいは物静かな人、相対していてプレッシャーを感じない人は、相手に配慮して意識してそのようにしてくれているのだ。

「本当に強い人間は、
 強く見せる必要がないから、
 謙虚でいることができる。

 にも関わらず、
 そこにいるだけで存在感がある。」

-福島正伸


さすが、社長さん、を生み育てたお母さん、と得心した。



僕が最も憧れる、自分の理想のあり方。最終形態。

こんなあり方に、しびれる。



須玉のある神社の大樹





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1月:102.1km/84km 1月28日昼
2月:58.9km/84km 2月18日昼


2016年:159.0/1000km
総計:4350.9/10000km(2012年~2021年末まで)