10日前ほどから、Facebookでの連投を始めまして、その分このブログの方が疎かになっていました。いよいよ、以前のブログ「本とうんこ」の実践です。
とはいえ、Facebookとこのブログでは書ける内容の方向性が違うので、どちらも続けていきます。時間が無限にあれば、どちらも毎日毎瞬、書きたいんですけど。
●4年前と今
さて、4年前ワイナリーをやると決めてぶどう畑も増え、2020年ワイナリー設立に向けていよいよ色んな取り組みに加速がついてきた感じです。子供の頃からの性格なんですが、例えば将棋では棒銀より矢倉囲いが好き。初っ端から一気に攻めるより、細かいところからコツコツコツコツ準備を重ね、外堀をじわじわじわじわ埋めていき、相手も油断している中で、気づいた頃には目的を達成できる状況になる、というイヤらしいタイプです(笑)。
毎年、「去年の自分って、なんて恥ずかしい人間だったんだろう」と、自分の過去の言動の恥ずかしさ、未熟さ、失敗を思い出して、微笑ましく思いつつもいたたまれない感じになることがあるんですが、4年前なんてもう、江戸時代と現代くらいの隔世の感があります。
「変わったなー…」と思うんですが、しかし、現実の変化を感じるにつけ、いつも思い出すエピソードがあります。
●人格は磨けない
それが、これ。2010年の日記。
『人格は磨けない!?』
https://ameblo.jp/furuta4521/entry-10586918295.html
東京に僕の恩師の一人がいらっしゃいまして、その方との会話です。
~~~以下抜粋~~~
僕「人間磨いて、成長していきたいんです!」
恩師「あなたね。磨く磨くって言うけど、
人格は磨いたって変らないわよ。」
僕「???(ホワッ?)」
恩「ウソついたり人を裏切ったり不誠実だったり、
そういう根っこって、そうそう変るもんじゃないのよ。」
僕「えー、じゃあ、どうしようもないんですか?」
恩「そうねえ。
でもあなたはもう磨くとかもう大丈夫だから、
もっと儲けなさい。
商売を一生懸命やってもっと儲けられるようになったら、
自然に器が広がるから。」
僕「器ですか…。」
恩「もしあなたが、
道を踏み外しそうになったり騙されたり何かあったら、
あなたの周りの人達が助けてくれるわよ。
ちゃんとやってれば、そういう仲間がいるものよ。
そうでしょ?
だから人格なんてもう大丈夫。
とんでもなくバカやってもいいから、儲けまくりなさい!」
~~~以上抜粋~~~
そして、『人は変われる?変われない?』という命題。
この問いに、ここ2,3年ですが自分の中で回答を得ました。
結論は、「変わらない部分と変われる部分がある」です。厳密に言うと、全てに変われるんですが、『超変えにくい部分<<<=====>>>変えやすい部分』という感じですが。
●変わらない部分
『三つ子の魂百までも』という慣用句があります。
小学校からの友人に時々会うと、雰囲気は全然変わっていない人がほとんどです。ちょっとした仕草、喋り方、考え方等。これ、なんでだろうと思ったんですが、わかりました。
「変えよう」と意識してこなかったところは、変わらないのです。当たり前(笑)。自分の遺伝子、脳みそ、体の物理的機構、そこから生まれるあらゆる考え方や言動。それは生来のものであって、意識しなければその生来の性質に依存したものが発現されます。そしてそれは思考にせよ言動にせよ、体の物理的機構から発するわけなので、そうそう変化させることができません。
(もちろん環境や状況の激変に対して有無を言わさず変わってしまうこともあると思いますが。)
●変われる部分
ではどうすれば変われるのか。それは物理的機構自体を変えること。即ち日々の修練によって、長い時間をかけて思考回路、神経回路等の物理的・化学的機構を変えていくことで、所望の思考や言動を獲得できるわけです。
例えばプロスポーツ選手は、まさにそう。生来の体の機構を、日々の修練によって自分の理想の形まで引き上げていきます。
「こう体を動かしたい」「こういう球を打てるようになりたい」「こう来たらこう返したい」等。「変えたい!」と思い、且つコツコツコツコツ日々の反復を意識して行い、そして長い年月をかければ変われるのだと思います。バットの素振りの繰り返しで手の皮が象の皮膚のようになった松井秀樹さんのように。
●刺激と反応の間にはスペースがある
毎度おなじみ、『7つの習慣』。その中の、
『第一の習慣:主体性を発揮する(主体的である)』
http://www.franklinplanner.co.jp/learning/selfstudy/ss-10.html
自分に起きた出来事に対して、”反応的”に反応してしまうことが時々あります。
予期していない、自分に対する何らかの攻撃があった時、カーッ!として怒鳴ってしまったりイライラをぶつけてしまったり。そして後から「あんなこと言うんじゃなかった」と後悔する。(もちろん後悔しない反応であれば、自分のありたいあり方に沿った素晴らしい生来の反応だと思います。)
しかし人間には、起きた出来事に対して、どのような反応をするのかを選ぶ能力があります。
ナチスの強制収容所の出来事を綴ったヴィクトール・E・フランクル著『夜と霧』。彼は、あの極限の出来事の中でも、己の”スペース”を最大限に活用し、即ち”主体的”であることを選択し、心の自由を失うことはありませんでした。
これが”スペース”の部分。自分は本当はこう生きたい、こうありたい、という”魂の叫び”。
ブログなどのじっくり考えて書く文章は、まさに魂の叫びが現れるもので、僕はあらゆる人は、特に長期間書かれているブログからその人の本当の人となりがにじみ出ると思っていますが、このスペースの部分こそが、変えることができる部分なのだと思います。
誰か有名人が「優しさは知性」と言っていました。
色んな経験をし時に傷ついて傷の痛みを知り、色んな本を読んで人には様々な境遇や考え方を持っている人がいることを知り、それによって初めて、自分に起きた、例えば一見ひどい出来事に対して、その背景を考えて優しい反応を選ぶこともできるのでしょう。
自分はどんな自分でありたいのか。
この魂の叫びに寄り添い続け、現実を変えていきたいと思います。
4年目の第1ブドウ畑。
少しずつ少しずつ現実に反映されていく、僕の魂の叫び。









