10日前ほどから、Facebookでの連投を始めまして、その分このブログの方が疎かになっていました。いよいよ、以前のブログ「本とうんこ」の実践です。
とはいえ、Facebookとこのブログでは書ける内容の方向性が違うので、どちらも続けていきます。時間が無限にあれば、どちらも毎日毎瞬、書きたいんですけど。

●4年前と今

さて、4年前ワイナリーをやると決めてぶどう畑も増え、2020年ワイナリー設立に向けていよいよ色んな取り組みに加速がついてきた感じです。子供の頃からの性格なんですが、例えば将棋では棒銀より矢倉囲いが好き。初っ端から一気に攻めるより、細かいところからコツコツコツコツ準備を重ね、外堀をじわじわじわじわ埋めていき、相手も油断している中で、気づいた頃には目的を達成できる状況になる、というイヤらしいタイプです(笑)。

毎年、「去年の自分って、なんて恥ずかしい人間だったんだろう」と、自分の過去の言動の恥ずかしさ、未熟さ、失敗を思い出して、微笑ましく思いつつもいたたまれない感じになることがあるんですが、4年前なんてもう、江戸時代と現代くらいの隔世の感があります。
「変わったなー…」と思うんですが、しかし、現実の変化を感じるにつけ、いつも思い出すエピソードがあります。

●人格は磨けない

それが、これ。2010年の日記。

『人格は磨けない!?』
https://ameblo.jp/furuta4521/entry-10586918295.html

東京に僕の恩師の一人がいらっしゃいまして、その方との会話です。

~~~以下抜粋~~~

僕「人間磨いて、成長していきたいんです!」 

恩師「あなたね。磨く磨くって言うけど、 
 人格は磨いたって変らないわよ。」 

僕「???(ホワッ?)」 

恩「ウソついたり人を裏切ったり不誠実だったり、 
 そういう根っこって、そうそう変るもんじゃないのよ。」 

僕「えー、じゃあ、どうしようもないんですか?」 

恩「そうねえ。 
 でもあなたはもう磨くとかもう大丈夫だから、 
 もっと儲けなさい。 
 商売を一生懸命やってもっと儲けられるようになったら、 
 自然に器が広がるから。」 

僕「器ですか…。」 

恩「もしあなたが、 
 道を踏み外しそうになったり騙されたり何かあったら、 
 あなたの周りの人達が助けてくれるわよ。 
 ちゃんとやってれば、そういう仲間がいるものよ。 
 そうでしょ? 
 だから人格なんてもう大丈夫。 
 とんでもなくバカやってもいいから、儲けまくりなさい!」 


~~~以上抜粋~~~

そして、『人は変われる?変われない?』という命題。

この問いに、ここ2,3年ですが自分の中で回答を得ました。
結論は、「変わらない部分と変われる部分がある」です。厳密に言うと、全てに変われるんですが、『超変えにくい部分<<<=====>>>変えやすい部分』という感じですが。

●変わらない部分

 

『三つ子の魂百までも』という慣用句があります。
小学校からの友人に時々会うと、雰囲気は全然変わっていない人がほとんどです。ちょっとした仕草、喋り方、考え方等。これ、なんでだろうと思ったんですが、わかりました。
「変えよう」と意識してこなかったところは、変わらないのです。当たり前(笑)。自分の遺伝子、脳みそ、体の物理的機構、そこから生まれるあらゆる考え方や言動。それは生来のものであって、意識しなければその生来の性質に依存したものが発現されます。そしてそれは思考にせよ言動にせよ、体の物理的機構から発するわけなので、そうそう変化させることができません。
(もちろん環境や状況の激変に対して有無を言わさず変わってしまうこともあると思いますが。)

●変われる部分

 

ではどうすれば変われるのか。それは物理的機構自体を変えること。即ち日々の修練によって、長い時間をかけて思考回路、神経回路等の物理的・化学的機構を変えていくことで、所望の思考や言動を獲得できるわけです。

例えばプロスポーツ選手は、まさにそう。生来の体の機構を、日々の修練によって自分の理想の形まで引き上げていきます。

「こう体を動かしたい」「こういう球を打てるようになりたい」「こう来たらこう返したい」等。「変えたい!」と思い、且つコツコツコツコツ日々の反復を意識して行い、そして長い年月をかければ変われるのだと思います。バットの素振りの繰り返しで手の皮が象の皮膚のようになった松井秀樹さんのように。

●刺激と反応の間にはスペースがある

毎度おなじみ、『7つの習慣』。その中の、

『第一の習慣:主体性を発揮する(主体的である)』
http://www.franklinplanner.co.jp/learning/selfstudy/ss-10.html

自分に起きた出来事に対して、”反応的”に反応してしまうことが時々あります。
予期していない、自分に対する何らかの攻撃があった時、カーッ!として怒鳴ってしまったりイライラをぶつけてしまったり。そして後から「あんなこと言うんじゃなかった」と後悔する。(もちろん後悔しない反応であれば、自分のありたいあり方に沿った素晴らしい生来の反応だと思います。)
しかし人間には、起きた出来事に対して、どのような反応をするのかを選ぶ能力があります。
ナチスの強制収容所の出来事を綴ったヴィクトール・E・フランクル著『夜と霧』。彼は、あの極限の出来事の中でも、己の”スペース”を最大限に活用し、即ち”主体的”であることを選択し、心の自由を失うことはありませんでした。
これが”スペース”の部分。自分は本当はこう生きたい、こうありたい、という”魂の叫び”。
ブログなどのじっくり考えて書く文章は、まさに魂の叫びが現れるもので、僕はあらゆる人は、特に長期間書かれているブログからその人の本当の人となりがにじみ出ると思っていますが、このスペースの部分こそが、変えることができる部分なのだと思います。

 


誰か有名人が「優しさは知性」と言っていました。
色んな経験をし時に傷ついて傷の痛みを知り、色んな本を読んで人には様々な境遇や考え方を持っている人がいることを知り、それによって初めて、自分に起きた、例えば一見ひどい出来事に対して、その背景を考えて優しい反応を選ぶこともできるのでしょう。

自分はどんな自分でありたいのか。
この魂の叫びに寄り添い続け、現実を変えていきたいと思います。

 

 

 

4年目の第1ブドウ畑。

少しずつ少しずつ現実に反映されていく、僕の魂の叫び。

先日、ワイナリー事業に関する講演を、高校同窓会地元支部で依頼されておこなった。
はじめて出た地元地域の高校同窓会。最近は若者はほとんど出ず、だいたいが60代~80代とのこと。

そこで、僕自身、自分の使命を見つけて充実した日々を幸せに送っているので、「幸せなんです。」「お陰様で毎日楽しくて仕方がないんです。」と、その場の空気の良さを感じつつ、あえて本心を連発してみた。

幸いなことに、
「夢があって素晴らしい!」
「応援したいよ!」
「元気が出た!」
と絶賛してもらえた。

で、今回は良かったですが、こういううっとうしいくらいの(笑)プラスのエネルギーは、ちょっと間違えると、
「自分はそんなに頑張れない・・・。」
「自分にはできない・・・。」
と聞く人を落ち込ませる可能性がある。

言う側の言い方もあるかもしれないけれど、聞き手の精神状態の良さ、悪さによっても、聞こえ方、受け取り方が変わってきてしまうのだろうと思う。
例えば、自分の能力や生き方に劣等感を抱えていたり、傷ついて精神状態が弱っている時など、エネルギーの高い空気に触れると、とても受け取り切れず、焦ったりイライラしたり落ち込んだりしてしまうことがあるように思う。

◯どんな存在が生き残るのか
https://ameblo.jp/furuta4521/entry-11865071757.html




●2-6-2の法則

ところで、僕のブドウ畑の隣に、何十年も放置されて自然な状態の畑がある。いわゆる自然栽培(無科学農薬、無化学肥料、草生栽培)を志す人間として、完全放置されると畑がどうなっていくのか、という”究極”を実際に観察する素晴らしい機会になっている。
ここでは、雑草が完全に混沌としているのではなく、ある部分はヨモギがコロニーを形成していたり、ある部分は、ハルシオンがコロニーを形成していたり、ひ弱そうな草も、強力そうな草も入り混じりながら、また季節によっても刻一刻と変化しながら、半分くらいかき混ぜた全色の絵の具のように、フラクタルな規則性とでも言うべき、植物の種類にゆらぎがある感じ。そして全体としては面白く調和をしているように見える。

2-6-2の法則というのがある。
例えば蟻の一群について、だいたいどんな群も2割の頑張る蟻と、6割の普通の蟻と、2割のサボる蟻がいて、その2割のサボる蟻を排除すると、残りから2割のサボる蟻が出て来る。2割の頑張る蟻を排除すると、残りから2割の頑張る蟻が出て来る。
20対80の法則とか、3-4-3(さしみ)の法則とかも言われたり。
例えば、人間の腸内には善玉菌が2割、日和見菌が6割、悪玉菌が2割いる。時々善玉菌が3割になることがある。しかし、時を置くと、やはり2-6-2に落ち着いてきたりする。
これらは正規分布でもあるのだと思う。
http://www.koka.ac.jp/morigiwa/sjs/standard_normal_distribution.htm

◯正規分布
https://ameblo.jp/furuta4521/entry-10683951495.html

さらに比率だけでなく、そういうゆらぎもまた、調和の一つなのだ。
”ゆらぎ”という分野における、全体の2割は大きくゆらぎ、6割は少しゆらぎ、残り2割は全く揺らがない、等。




●人間社会~個性のばらつき~

これらはもちろん人間社会でも当てはまって…、この世界に存在する全ての要素は大きな調和の中における役割であり、必要な存在なのだと感じることがよくある。

足の速さの世界:2割の足の速い人がいて、6割の普通の人がいて、2割の足の遅い人がいる。
頑張る頑張らないの世界:〃
変化と安定の世界:〃
身体の大きさの世界:〃
行動力のあるなしの世界:〃
頭の良さの世界:〃
健康の世界:〃
善い人悪い人の世界:〃
自分のため人のための世界:〃
あらゆる世界の分野:〃

そしてこれらは、それぞれの分野のリーダーを中心にして、フラクタルにコロニーを形成している。




●フラクタル

aという存在の中に、善玉2,日和見6,悪玉2の腸内細菌がいるとする。
bという存在の中に、2,6,2の腸内細菌がいるとする。
c…、d…、…

そして例えば、このa,b,c~z という26個の要素を包含するAという群があり、それらはだいたい、
5個:16個:5個(で計26個)
の割合で、調子の良いヤツ:普通のヤツ:調子の悪いヤツ がいる。

調子の悪い5個の中で最も調子の悪い1個が、滅したとする。すると、普通のやつの中の一つくらいが、調子が悪くなる。逆もまたしかり。

同じように、a,b,c,~z という26個の要素を持つBがあり、同じように、5:16:5の割合の前後を、揺らいでいる。

そういうAやBが、C,D,E~Z とたくさん存在しており、例えばそのA~Zの26個の要素にも、5:16:5 の割合で、調子の良いヤツ、普通のヤツ、悪いヤツがいて、増えたり減ったりしながら調和を保っている。

という形で、あらゆる存在がフラクタルに存在しており、そしてそれぞれのレベルで2-6-2の調和の前後でゆらぎながら、増えたり減ったり、生まれたり滅したりしている。

それら全てを包含する宇宙自体も、無限高温で無限な変化を持つビッグバンから始まり、今でも極限まで変化し続ける星の内部から、極限まで停滞していくブラックホールの内部の間に、あらゆる物質が存在していて、例えば生物はその変化の真ん中あたりにいるのだろうと思う。




●人間社会~破壊と滅亡の間~

その生物の一形態である人間の一人である僕は、例えばラーメン二郎を食べると、前後の食事を節制したりするけれども(笑)、例えば頑張りすぎる人が増えすぎて、社会が変化し過ぎて破壊のリスクが増えると、個々でいつもより手を抜く人が出てきたり、「頑張らなくても良いんだよ」と主張する人が増えてくる。
頑張らな過ぎる人が増えすぎて、社会が停滞して滅亡のリスクが増えると、個々でいつもより頑張る人が出てきたり、「頑張ろうよ」と主張する人が増えてくる。

全体としてより良く継続可能な真ん中辺りに調和してくるのだ。

あるコミュニティaは、頑張り過ぎる人が多すぎて、破壊されることもある。
あるコミュニティbは、頑張らな過ぎる人が増えすぎて、滅することもある。
c…、d…、~z。

それも、これらa~zのコミュニティを包含している、Aという1レベル上のコミュニティ群という世界における調和の中で、生まれたり滅したりしているのだ。そういうコミュニティ群がA~Zという数で存在しており、かつそれらを包含する、さらに1レベル上の群がある。さらにそれらの頂点にいるのが、この宇宙。





自分が頑張るのも、頑張らないのも、
人が頑張るのも、頑張らないのも、

自分頑張り過ぎてるなと思うのも、
自分もっと頑張りたいなと思うのも、

自分頑張れと気合いを入れるのも、
自分楽に生きろよと緩めるのも、

人に頑張れと主張するのも、
人に頑張らなくてもいいんだよと主張するのも、

もがく生き方も、
流れに乗る生き方も、

自分が繁栄するのも、
自分が滅するのも、

全て調和の中にある。
宇宙の手のひらの上、神の見えざる手に乗っているのだ。

人はどうあってもいい。
実は全てがニュートラル。




その中で、ただひとつ自分で決めることができること。
宇宙空間に光り輝く人の「意志」。それが、

「自分はどう生きたいのか」

なのだと思う。




地元は標高800mなので、萌芽はもうちょっと。




◆◆◆◆◆
2月:101km/84km        2月28日昼
3月:98km/84km        3月31日昼
4月:7km/84km        4月2日昼


2018年:290km/1000km
総計:6782.3/10000km(2012年~2021年末まで)

相変わらず、月の3分の2を関東圏をグルっと回りながら仕事(古物鑑定)をしているのですが、その間はほぼ毎日温泉に入る生活をしています。

古物鑑定の結果を上げるためにチラシのポスティング作業をルーチンに組み込んでいるんですが、これで月に100kmは走ります。元々、この日記の最後にもここ5年間ずっと記録しているんですが、年間1000km走る、という自分との約束を設定しており、うまいことこの設定と仕事のルーチンを合致させることができて、稼ぎながら健康も促進できるシステムで、これで週に20~40kmくらい走ることになります。そして走った後は、宇宙最強の癒やし『温泉』というルーチンができている、という流れです。

残りの月3分の1は地元に戻ってワインぶどう畑に出るわけで、365日だいたいノンストップで働いていますが、軽い筋トレも含めて、体力が尋常でないほど鍛えられているので、この湧き出るエネルギー感はとっても幸せで、やっぱり日々の基礎体力作りはおすすめですよ。

しかし長期的に人生全体を見据えて快適に過ごしていくためには、自分の心身の限界を知りその限界レベルを上げていく取り組みをしつつ、もしそれを一時的に超えて心身に無理が生じても自律的に健全に戻せるシステムが必要で、10代の超回復力を持つ年齢ではないので、使ったら意図的に休ませるというルーチンも徹底しています。そのためにしっかり寝ますし温泉にも入ります。

温泉では熱いお湯で心身を一旦ドロドロにして交感神経を完全に休ませ副交感神経を最優位にした後、頭の先~指の先~足のつま先~全身の神経の隅々まで、ストレッチや揉みほぐしによって、心身を完全にリラックスする工程を経て、疲労を完全にリセットさせます。これもまあ幸せで(笑)。


という感じで今のところ、古物鑑定事業とワイナリー事業を2本柱として、あらゆるシーンで”肉体”と”脳”と”精神”と”魂”を高めたり気持ちよさを追求する仕組みを構築しているので、なんだかもう、やりたいことできて成長もできて…という感じで、ホント幸せです。ありがたいとしか言いようがありません。宇宙は優しい。そんな毎日です。

今の幸せを感じる感性を高めつつ、両輪として、長期的視野で人生の喜びが”逓増”していく生き方(『平成進化論』ご参照)を意図して行っていくと、将来は良くなるしかないわけなので、精神衛生上も本当に良いですよ。




さてようやく本題。

温泉というのは本当に素晴らしいもので、一通り温泉の気持ち良い儀式をルーチンワークした後、湯船に浸かりつつ「そろそろ温泉出るか」という頃合いになると、いつもモリモリっとやる気が出ます。

10年くらい考え続けると自分というものがわかってくるもので、どうすればやる気がモワッと出るか、どういう状況だと行動できなくなって後々後悔するか、など判明してくるので、魂の叫びに寄り添う人生にしていくべく環境を整備したり、自分の行動を誘導すべく日常生活の中にその仕掛けを無数に配置していくのですが、特に意図しなくても、日常の中で簡単に必ずやる気がモワッと起きるタイミングがあります。

それが、

・風呂に入っている時
・車を運転している時
・計画を立てている時

他には、非日常で誰でもよくあるパターンとしては、何かの講演に出た時とかに「人生変えるぞ!」と決意を新たにした経験がよくあると思います。

これ「どうしてなんだろう?」と思っていたんですが、3年位前「そうか!」と気づきました。

実はこれと同じ原理に基づく現象が、世の中で散見されます。例えば、政治業界。
野党の時にとても威勢よく与党を批判していた党が、与党になった途端何もできずに退陣してしまった事は記憶に新しいと思います。また世間では、様々な業界のリーダーが責任を背負い実行していることを、他人が「それは違うよ。こうやるのが正解なんだよ。」と批判する事等も。

よくあることですが、なぜでしょう。




誰でも頭の中は万能なので、どんな世界でも構築できます。脳内に限り”理想”を描き、その世界を満喫することができるわけです。

しかし”現実”は自分以外の無数の要素が存在するため、一筋縄ではいかないのが普通です。

・いざやろうと思っても「あーでもないこーでもない。あれがダメこれがダメ。」と大変なことばかり気になって一歩が踏み出せない。
・やり始めたとしても、面倒な作業も発生するし、やりたくなかったことも出てくる。
・人に批判されることもあれば、邪魔されることだってある。
・思い描いたことと全然違っていて「現実はなんて地味で泥臭いんだろう。」と嫌になったりする。
・完全無欠で清潔で100%楽しい頭の中に比べたら、一難去ってまた一難の現実。
・「こんなはずじゃなかった。これは自分のやりたいことじゃないのかもしれない。」とやめる理由が頭を駆け巡る。
・「うーんどうも気持ちが整理できていないな。とりあえず体調を整えよう。まずはチョコを食べよう。」と現実逃避する(笑)。

即ち、主体的に実行することと客観的に見ることとは、エベレストの頂上と深海の最深部くらいの隔たりがあるということです。




では、温泉入浴中、車の運転中、計画立案中、講演中、与党と野党等、に当てはめるとどうでしょう。

温泉に浸かっている時は頭の中で理想を妄想している段階だから泥臭い現実にはまだぶつからなくてもいい状況。車の運転中も運転をしていればいい状況。計画立案中もそう。講演中もまさにそうです。それぞれ、温泉に浸かる、車を運転する、計画を立てる、講演を聞く、という以外のことをしなくていい正当なる時間なので、上の政治の例で言えば、自分の人生における”野党の状態”なのです。無責任なことはいくらでも考えられるし、言うこともできます。

しかし、現実に実行する時、それはまさに自分の人生の”与党の状態”になるわけです。『7つの習慣』でいうところの、”自分の人生に責任を持つ”状況。第1の習慣の”主体性”を発揮するタイミング。今こそ行動する時。

しかし、多くの場合、人生の野党の時には威勢のよいことを思ったり言ったりしても、いざ与党になると行動できなくなってしまう場合が多いと思います。




ではどうすれば良いんでしょう。やる気がモワッと出るのは事実。・・・ならばこれを活かせば良いのです。
即ち、”野党の視点”という客観的視点はとても重要で、自分の世界に入り込みつつ、世界全体を俯瞰する、というバランスによって、より全体最適に物事を進めることができるので・・・。


つまり、人生にコーチをつける!


スポーツ選手が良い例で、目標達成のために必要な練習をコーチに管理してもらいます。
大抵は身体的に超キツイ動作を反復したりして身体を鍛えていくわけで、恐らくそれを選手本人が自身で設定し、自身のみで実行することは、よほどの意志力を持つ人間でなければなかなか辛いことなのだろうと思います。

そんな中、コーチは選手自身が設定した目標(魂の叫び)実現のために、厳しい練習を選手に課すわけです。コーチ自身で行うわけではないので、客観的に事象を観察しながら、超厳しい指示もすることができます。

アメリカの家庭にはホームドクターみたいな人が必ずいたり、弁護士さんがついていたりするというのを聞いたことがあるんですが、それと同じ。全ての人が、自分を客観的にみて、心身の健康、仕事、あらゆるシーンで全体最適へのヒントをくれる”コーチ”をつけると良いのだと思います。




・・・あれ?結論はありきたりになってしまいました。でも結局はそれをやるかどうか、ということになるんでしょうか。ではコーチをつけるという行動を促すためのコーチが必要かな。

わたし的には、自己の主体性を発揮する=最初の一歩の行動をする、ために、やっぱり『7つの習慣』をおすすめします(笑)。




※現在の政治については、地政学的に仕方がないことですが不毛な足の引っ張り等せず、国の全体最適のために健全なる与党と健全なる野党がお互い切磋琢磨する、そんな構造に変化していくことを希望しています。




僕の人生を変えた本。
これが心の健全化=”精神”の最強の癒やし、にもなっています。



12月:84.0km/84km 12月31日昼 
1月:84km/84km 1月28日昼 
2月:43km/84km 2月16日昼 

2017年:1137.0/1000km 
2018年:127km/1000km 
総計:6619.3/10000km(2012年~2021年末まで)

年末年始の数日間は自宅が比較的多く、料理を作る機会が増えます。

料理は結構得意(主観)で、大学生の時の数年間~社会人初期にかけて、ずっと自炊をしていて、数十種類くらいのレシピを持っていました。
その中の最も好きな料理の一つがカレーだったのですが、それはもう超こだわって作ったりしていました。

そのこだわりは、食べるまでの準備にまで及びます。
即ち、当時月に一度程のペースでカレーを作るのですが、最長で一ヶ月間程、一切の”カレー味の食べ物”を食べないように我慢するのです。するとどうなるか・・・。

自分の中での「カレー食べたい!」という欲求(名付けて【カレーエネルギー】)がMAX最高極限まで高まるのです!自分の中のカレーの要素を枯渇させ枯渇させ、欲求を抑えつけ我慢に我慢を重ね、そしてもう爆発してしまう・・・!もう我慢できないっ・・・!!

というところまで持っていった状態で、満を持して全ての力を注いで作ったMyカレー。
ご飯を美味しく炊き上げ、皿に盛りカレーをかけ、そして机に置いて。

「うおおおお・・・。い・た・だ・き・まーーーーす!!!!」

パクっ・・・。


!!!!!!カッ(目を見開く)!!!!!!



「うっっっっっウマ~~~~~~~~っ!!!!!」


至福。



『今ここの幸せを感じましょう』

とよく言いますが、僕の性格の傾向としては、今、ポンと快感を得てしまうよりも、我慢して努力して頑張って、そして達成して喜びを得る、という形も捨てがたく、喜びを増幅するために準備する過程も含めた”物語”全体に幸せを感じる人間なのかもしれません。




さて、そんな至福のMyカレーですが、毎月作るので、試行錯誤を繰り返します。どうすればもっと美味しくなるのか。

で、ある時、徹底的にアクを取ってみました。野菜や肉を煮込むと浮いてくるアク。
これだけと取れば、いつもとは違った、澄んだ透明感のあるカレーができるのではないか?と。

しかし、実際は違いました。そっけなくなってしまったのです。なんかこう、のっぺりと全く深みのない味。一ヶ月我慢してこの味になってしまったということでガックリとしながら、しょうがないのでバターを入れたりコンソメを入れたりしてみましたが、いつものあの、深みのある味にはならない。「なるほど、ある程度のアクは深みでもあるのだ。」と学びました。




ところで、似たようなお話が、ワインの香りでもあります。
香りは空気中に揮発する物質が鼻の受信機に到達することで感じることができるのですが、香り検出器という数百万円するような機械があり、それでワインの香りを測ると、何十種類もの香り物質が検出されます。人間の鼻は、その何十種類の香りを総合的に判断して、良い香りかどうかを嗅ぎ分けるそうです。

では、ワインについて、どんな香りが”良い香り”なのか。
その一つの要素として・・・、ナント、

『3日間履いた靴下のような匂い』というのがあるのです!(笑)

この匂いを抜いてしまうとどうなるか。なんと、そっけなくて物足りない香りになるそうです。それ単独では臭くて鼻がひん曲がってしまうような匂いも、微量を追加して全体と調和すると、深みをもたらすのに欠かせない要素となるのです。(もちろんそれが多過ぎてもダメです。)



世の中に存在する、嫌いな人、辛い出来事、都合の悪い事象。

案外、人生全体から俯瞰したら、アクみたいなモノじゃないのかなぁ、と思うのです。




くぅちゃんは歯を磨かないので口がとても臭い。
なのに、その口でなめた身体全体はとてもいい匂い。
太陽の匂い。

 

今年の夏もあっという間に過ぎ去り、そろそろ冬に差し掛かっていますが、毎年夏になると書きたくなるネタで、いつも書きそびれているネタがあります。それが、うんこネタ。
いえ、非常に真面目なネタで、生物の存在の根源に触れるような、例えば夏の代表的野菜である、きゅうり、トマト、ナスをたくさん食べると、とんでもなく便通が良くなるよねー、というお話だったり。(とはいえ、この10年で、何回かうんこネタを書くことができていますが、氷山の一角です)

父が畑で野菜を作っているため、モリモリ食べてモリモリ出すという、そんな夏の生命のバイオリズムをお陰様で思う存分享受できているのですが・・・、今年のある夏の朝、モリモリいたしながら、また新しい気付きをトイレで得ることができました。




以前、こんな日記を書きました。

●人類は何をすればいいのか
https://ameblo.jp/furuta4521/entry-11911689891.html

~~~
・人類以外の生物は、
 生きて、”うんこと死骸”というより豊かな物質を出力する。
・人類は、
 生きて、上記+”情報”というより豊かな創造物を出力する。
~~~


地球上のあらゆる生物が”出力”するうんこや死骸(と正確には次世代に伝える遺伝子という情報)。当たり前すぎて意識できていないと思いますが、地球上に存在する、元々ある鉱物や水分以外のほとんどが、生物の出力されたものからできています。畑の土を手ですくった時、手の中にあるものは、ほとんどが過去の生物のうんこや死骸です。彼らが生きた証。個体では土、気体では空気(窒素、酸素、二酸化炭素等)、海に溶け込んでいる有機物等。そして地球の表層や成層圏まで、いたるところに微生物がひしめいており、それらの微生物も、何かを吸収し、何かを排出しています。(例えばワインであれば、ブドウの皮にくっついている酵母が、ブドウの中の糖分を食べながら、アルコールと二酸化炭素を排出することで、アルコール飲料となるわけです。)




さて、人類も動物から派生した有機生命体の一派であり、動物としての使命を先祖から引き継いでいるわけですが、、、しかし、あろうことか人類は(特に先進国は)、うんこは水洗で流し、死体は焼却して、地球にリサイクルすることなく、”無駄”にしています。自分としては心苦しいのでせめて野糞でもできれば良いとは思いますが、しかし僕自身、ウォシュレットが無いと生きていけない身体になってしまい、自分の弱さと業の深さに苦しむ日々。でももう元には戻れません。どうしたら良いんだろう・・・。

悩みに悩んだ末、冒頭の今年の夏のある朝、トイレで用を足しながら、閃いたのです。

キーワードは、「みんな違って、みんな良い。」

イチローは野球をやることで、岡本太郎は絵を描くことで、アインシュタインは物理学を追求することで、最も世の中を面白く進化させていきます。例えば横綱の白鳳が100m走を、さかなクンが砲丸投げを、アントニオ猪木が顕微鏡を覗いて微生物の研究をしたって、たかが知れています(すみません・・・)。
それぞれが持つを秀でた部分を追求することが、全体として、この世界を大きく進化させ、”面白く”していくわけです。

では、うんこや死骸を地球に(宇宙に)還元しなくなりつつある”人類”の秀でた部分とはなんでしょう。それが、情報を扱うこと。即ち、人類は、他の動物にはできない、”情報”を出力し、地球にリサイクルする、という秀でた部分を持っているわけです。

地球上のアリンコの総重量は、人類の総重量を上回るそうです。植物しかり、微生物しかり。地球上に存在する有機物の量に対して、実は人類の総重量はたかが知れています。即ち、人類以外の生物が出力するうんこや死骸は、人類のそれに比べて圧倒的に多いのです。
しかし、情報を出力できるのは、人類のみ。であるならば、人類は人類ができる最も秀でた部分、”情報を出力する”、というところに特化させていただいて、そして、うんこと死骸の出力は、それが得意な他の生物にお任せする、というのが、人類ができる社会貢献、地球貢献、いや宇宙貢献なわけです!




ところで、ワインぶどうの栽培に際して、たくさんの書籍やネット上の論文などを読み漁っているのですが、ある、香りの研究に人生を費やした人の本を読みました。本を読みながら、香りを極めた一人の人が持つ能力や知識。これを100%引き継ぐ人がいたり、世間に情報共有できたりすれば、どれだけワインの香りの分野が発展するか、と思いました。
しかし実際には、この業界だけでなく、あらゆる業界で、一人の人が培った能力や知識は、ほんの一部だけが、後進の人たちや本等の情報によって引き継がれるだけで、ほとんどは本人の死と共に天国に持っていかれることになります。全ての経験を共有することなんて今のところはできない。他の人はまたほとんど一からやり直し。もったいないことだなぁ、と思うのです。

今までの動物が、遺伝子でコアな情報のみを後世に引き継いできた中で、人類は文字を発明して爆発的に情報を共有できるようになりました。さらに昨今ではコンピュータ&ネットワーク技術により、さらに多くの情報が残され、生かされるようになってきており、今後はそれが発展していくことで、より幾何級数的に人類全体の知恵が増していくのだろうと思われます。(さらにはAIという、30億年かけて単細胞生物から進化し分派しながらホモ・サピエンスまで至った人類が、自分たちの能力を革命的に超えた分派を新しい方法で生み出し、人類の次の存在としてそれらが宇宙に拡がっていくのでしょうか・・・。)




ということで結論。

人が本を出すということは、動物がうんこをすることと、宇宙的には同義なのです。せめて本を出さずとも、野糞に匹敵する出力として、日々情報を排出してゆく必要があります。なんでもいい。自分が生きたあらゆる経験を、とりあえず出力しておくのです。それがインターネットの中で蓄積され、過去の生物が出力してきたものが後世に化石燃料として活用されるように、何万年、何億年後の世界において活用されるのです。

さらに人類は、10万年前にホモ・サピエンスとして生まれたばかりにも関わらず、人類が生まれるよりずっと前の、例えば地質学者が数億年前の地球の過去の情報を紐解くように、物理学者が137億年前の宇宙の創生の状況を解き明かすように、人類以前の情報化されていなかったあらゆるものすらも情報化しながら後世に引き継いでいく、という大功績を実現しつつあります。

人類にはこんなすごい長所があるんだから、野糞できないことなんて、小さなことです。

※「みんな違って、みんな良い」の一つとして、野糞が得意なホモ・サピエンスもいます。これもまた、素晴らしいことだと思います。

「野糞を続けて43年 「奥さんよりもウンコを選んだ」伊沢正名の信念」




でも僕は野糞は得意じゃない・・・。

そうだ、野糞の代りにできるだけ文章を残そう、と心に誓う昨今でした。




土を掘るだけで気付きがいっぱい。

 



◆◆◆◆◆ 
10月:84.0km/84km 10月31日昼 
11月:23.0km/84km 11月12日昼 

2017年:1001.0/1000km 
総計:6356.3/10000km(2012年~2021年末まで)

「人を愛するためには、まず自分の愛のコップを満たす必要がある。そしてそこから溢れた愛を人に与えるのだ。」

という理論があります。これを”愛のコップ理論”と名付けましょう。
(”愛”を”幸せ”に置き換えても良いです)

すごくよくわかるんですが、ずっと違和感がありました。

なぜなら、僕はそうじゃないから。
即ち、僕は昨今、おそらくここ10年だと思いますが、できるだけ社会に貢献(愛を外に向ける。人の幸せに貢献。)したいですし、実際にそういう行動をしていますし、その行為はとても自分を幸せにしてくれますし、実際に精神的にも物理的にも生活の豊かさが向上し続けているんですが、僕はいまだかつて自分の愛のコップが満タンになったことなんて一度もないんですよ!(笑)





_人人人人人人人_
> 一度もない!! <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^ ̄






僕だけのことかもしれないですが、でも、世の中の多くの、普通の人より満たされているであろう”成功者”を観察しても、何かに憂い、貪欲に何かを改善しようとされていますよね。憂いゼロ、愛も幸せももう一杯だからいらない、という人っていないんじゃないでしょうか。

どういうことなんでしょう。間違っているとは言いませんが、愛のコップ理論は微妙に”例え”が違う気がするのです。そしてその表面的な例えに振り回されて、幸せ感と不幸せ感を右往左往してしまっている人がたくさんいるように見受けられます。

自分と他者とか、モノとか、考えとか、あらゆる複数の存在は、それぞれが組み合わさり相互依存による相乗効果を発揮することで、それぞれの存在を包含しつつさらにそれらを超える創造物を導き出すことができる、と『7つの習慣』では言っています。それが第6の習慣
ならば、愛のコップ理論も正しいし、僕の例も正しいとして、これらを包含し、なおかつ皆が納得する、次元の一つ高い答えはあるんでしょうか・・・。

ずっと引っかかっていたこの違和感ですが、1年位前、温泉に浸かってこんこんと湧き出る源泉を眺めながらハタと気づきました。その後同じこの課題の色んな切り口のメモもたくさん貯まりつつ、今日それが公開日記としてやっと発露したわけです。




さて本題。

毎度おなじみの『7つの習慣』は、第1の習慣から第7の習慣までがまとめられており、1→2→3→4→5→6 と段階的に人間が練られていく(愛と幸せ度がアップする)様子を読み取ることができます。そして7番目の習慣は”刃を研ぐ”

秘密はこの第7の習慣にあります。かなり端折りますが、これは、”再新再生”といって、物事をレベルアップしてさせていく時には、地道にコツコツ【スパイラル】に、という原則を表現しています。例えば、1から6までレベルアップしていく時、第1の習慣は2~6の土台になっていますし、→・・・→、第6の習慣は1~5が土台になっています。しかし、第1を完全に修得しなければ第2に移ってはいけない、というわけではないのです!ここ重要。即ち、第1を少し実践して第2を少し実践、→・・・→、そして第6を実践したらまた第1に戻って実践してみる・・・。逆にその方が全体として早く修得できる。こういう”再新再生”そのものを表現しているのが第7であり、さらにさらに、例えば2~7の理解を深めれば、1の理解もさらに深まる、1、3~7の理解が深まれば2が深まる、→・・・→、1~6が深まれば7が深まる、という感じで、相互にそれぞれの習慣の理解も深まる(相乗効果)、という塩梅なのです。美しい・・・。『7つの習慣』は人類の叡智・宇宙の原則ですよ・・・。

そして、この1~3は”自分自身”のことを記述しています。自分をどうするのか。そしてそれを踏まえて、4~6は”他者との関係”のことを記述しています。他者とどう関わるか。

まさにこれが答えです。即ち、自分のコップに愛を満たすのは、1~3です。人に愛を向けるのは4~6です。つまり、自分のコップに愛を入れることは確かに大前提ですが、”満たされていなくても、人に愛を向けていい”のです。むしろ、人に愛を向ける取り組みをすることで、自分への愛が少しレベルアップし、さらにそれが人への愛に・・・、とスパイラルに上がっていくわけです。



さて冒頭の、僕自身の状況。
元々、会社を辞めた時、15年くらい前だと思いますが、それはもう僕の愛(幸せ)のコップはカツカツの状態で(笑)、且つ、意識して人に愛を向けるなんてこれっぽっちの余裕も無いし、元々余裕があったってそうしたいなんて思う人間ではありませんでした。でもそんな僕でも幸せになりたいし、どうしたらもっと人生が良くなっていくんだろう、と悩みに悩んでいる状態で。それで『7つの習慣』の実践をはじめたのです。そして今に至ります。もちろん未完成もいいところで、愛をコップで例えてしまうと、「あれも足りないこれも足りない」「まだまだ自分を愛し切れていない」「人にあげるほどの愛なんて無い」「ああどうやったら完璧にコップを満たせるんだろうか」と、コップの大きさをいつまでたっても拡大させながら、悩み続けてしまうところですが、、、こんな状態でも今は、日々の幸せ感は当時の比較にはなりません。それこそもっとどんどん他者に振りまいていくのが僕の使命だ、と思うほどになりました。

ということで、ではどういう例えならしっくりくるかというと・・・、『川の流れ』。
この世界は諸行無常、万物は流転しており、全ては滞ると腐り始めるのが宇宙の原則です。ワインブドウ作りのために日々畑と関わっていますが、畑の水分も、空気も、草木も、微生物も虫も鳥も獣も、見えにくいですが顕微鏡や望遠鏡で眺めると、全ては調和しながら日々変化しています。その変化のダイナミズムが、うまいブドウを育てていく。愛も同じです。愛は川の流れ。フロー。ストックではなく。愛にも1~3という自分への愛という川の流れがあり、4~6という他者への愛という川の流れがあるわけです。両方流れていてはじめて「ああ幸せ・・・」と心から思える出発点。どちらか一方だけでは、いつまでたっても渇望感から抜けることはできないのだと思います。天は必要だから他者を創った。

この川の流れを、裏山に流れるささやかな小川にするのか、いくつもの国をまたいで流れる大河にするのかは、それぞれの生き方だと思います。そして、全ての川は他の全てと繋がっている。

ということで、今日も今日とて、自分にありがとう。

あなたにありがとう。








◆◆◆◆◆ 
9月:115.0km/84km 9月30日昼 
10月:25.0km/84km 10月10日昼 

2017年:920.0/1000km 
総計:6274.3/10000km(2012年~2021年末まで)

あなたといつもいる人が、常に何にもしなくてグータラしていてポリポリお尻をかいて寝ころんでテレビを見ていても、「そのままでいいよ」とその人を愛する。

あなたの隣にいる人が、自分勝手に色々やってあなたに迷惑をかけて、且つあなたに感謝していなくても、「やりたいことをやればいいんだよ。」と受け入れる。

満員電車に乗っていて、隣の人の息が臭くても「人間だもの」と言って許す。

新宿の路地裏でダンボールで寝ている人を見かけた時に、「人はいるだけで人としての価値があるんだ。」とその存在を認める。

お店の店員さんがとても無愛想で丁寧に対応してくれなくても、「もしかしたら今、虫歯が疼いているのかも」と慮る。

あなたと一緒に仕事をしている人が超どんくさくても、「人には色んな得手不得手や個性があるよね」と言って応援する。

あなたがどんなに苦しい時でも、「いつも見守ってくださってありがとうございます」と、神さまに手を合わせ、お賽銭をたっぷり入れる。

あらゆる出来事に対して、「良かったね」と笑顔でいる。




世界は広いので、嫌な人を嫌、嫌な事を嫌、と言っていても、もちろん幸せになる方法はいくらでもあるでしょう。ただし、自分から人への愛に条件を付けたり、自分に不都合な状況に対して自他を責めることを良しとしている場合には、無条件の愛を求めることはあきらめて、範囲を限定して条件を設定し、その中での幸せを求めていくことを選択するしかないと思います。

世界は自分。自分は世界。

 

でもそれで良いと思います。

完璧ならざる、人間だもの。








◆◆◆◆◆ 
8月:100.0km/84km 8月28日昼 

2017年:775.0/1000km 
総計:6129.3/10000km(2012年~2021年末まで)

数日前、Facebookを見ていて、昔一度東京でお会いしたことがある知人が、自らの行いの結果から大変な窮地に陥る中で、疑心暗鬼に囚われ、あらゆる周りの人の好意や声掛け、感謝することや善を為すことに対する助言に対して、「なぜ強要する?それは僕からエネルギーを奪う行為だ!」と、縁を切っていた。言っていることもわからなくもなく(論理とはどんな因果関係も頭の中で作り上げることができるから、最終的には「自分はこう思う」と言っているだけのことだとも思うのだけれども)、好意とか感謝とかって何なのだろうな、と少し考える機会をいただけた。

この気付きの欠片を頭の片隅に置いておいた矢先、昨日、それに対する回答が見つかった。



時々感謝や善を為すことなどは、周りからの「感謝せよ」「善を為せ」という”同調圧力”を感じることによる拒否感を持っている人がいるように見受けられる。僕からしたら、周囲のあらゆる意見は自分に向かってくるピンポン玉であり、それを打ち返すのもスルーするのも自分が選ぶことだと思っているので、どのような圧力があったとしても、自分の裁量で扱えばいいだけのことなのだし(結局この世はあるがまま)、あらゆることは自分に生かすことができるのだから、どんな出来事もうまく自分にとってプラスに変換して取り入れてしまえば済むだけのことなんだけれども(サーヴァントorマスター)、やはり、例えば心が弱っている時などには、周囲の言動や出来事に対して防衛的になったり攻撃的になったりして、スルーすることもできなくなってとてもつらいのかもしれない。



ところで、先日ある面白い出来事が家族の中で起こった。
詳細はまた今度だけれども、普段、僕は、できるだけ周囲に対して善を為すことや感謝をすることを積極的に行なっている。それはとりもなおさず己の人生を、今だけでなく、人生全体を眺めた時にも最高の良き人生に磨き上げるためにしている行為なわけだけれども、その際に気をつけていることは、”見返りを気にしない”こと。見返りを気にすると、「見返りがあれば自分は幸せ」という風に、自分を幸せにする主導が自分ではなく他人に渡ってしまう。これは苦しい。ストレスでしかない。本来ならば、例えば”ゴミを拾う”だけでスッキリ(幸せ)なのに、”ゴミを拾って褒められ”たら幸せ、という風に面倒なことになってしまって、そこで思い通りにいかず考えすぎて悩みの種にしてしまったりするのだ。まさに『影響の輪』と『関心の輪』。

※影響の輪と関心の輪(フランクリン・コヴィー・ジャパンHP) 
http://www.franklinplanner.co.jp/learning/selfstudy/ss-11.html ;

だから、生活の中のほとんど目に見えない細か~いそういう行為は、既に自分がやりたいからやるレベルになっているし、やるとスッキリするし、やらないとムズムズするくらいになっている。とはいえ、”人生を良くしたい”からそういうことをするのだ、という見返りを期待しているといえば期待しているし…(これぞ脳内での考え過ぎによる論理の堂々巡り)、その先日の家族の中で起こった出来事でも、結構見返りを期待してしまっている自分に気付かされた。

この体験を得て、”見返り”っていったいなんなんだ、とまた気付きのネタを頭の中に保管しておいた結果、昨日、温泉に浸かって、いつものつぶやき、

1.「素晴らしいなぁ~」
2.「ありがたいなぁ~~」
3.「幸せだなぁ~~~」

と幸せを満喫(これを僕の中では”幸せの三段論法”と呼んでいる)していた時、「そうか!」と気づいた。



即ち、僕は既に、多くのものを戴いているのだ。
宇宙には生物が生きられないエリアがたくさんある。というか、生物が生きられるエリアこそ、宇宙の中の0.0000000000000000001%くらい?の超希少な環境だ。そのひとつの地球上において、さらに自分が生きられる場所はもっと狭く限定的だ。なぜ自分が今生きることができているかというと、それを支えてくれているあらゆる周囲の環境や、生死問わずご縁をいただいた全ての人々のおかげなのだ。見える見えないに関わらず、あらゆる存在が繋がり僕の存在を支えてくれている。僕を生んでくれたのは両親。両親を生んだ祖先達。その人達を支えたあらゆる事象。あらゆる事象を支えるあらゆる事象。今息をして生きている自分は既にそれだけで無限に、奇跡的にものすごいものを戴いているのだ。

感謝とは、善を為すこととは、そういう様々ないただきものに対する、恩返し、恩送りなのだ。他人に何かを奪われることではなく、既にいただいたことに対するお返しなのだ。お返しをしたくなるのは遺伝子に刻み込まれた人類の性質。原則。それなのに、その自分の恩返し行為に対してさらに見返りを求めるとは、自分はなんてごうつくばりなんだろう(笑)、と気づいたのだ。気持ちはわかるけど(笑)。

確かに、そうは言っても砂漠に水をかけるが如く、善を為してもなんの手応えもないとどうしてもちょっとさびしいのは拭えない。それならば、もし自分が、周りの人の善なる行為や想いを見かけたり受けたりしたら、できるだけ感謝を表そう、気持ちよくいただこう、と思うのだ。おそらくそういう人に感謝や善は集中する(笑)。



「芸術は太陽のエネルギーだ。 
 経済原則のギブ・アンド・テイクは成り立たない。 
 陽光のごとく無制限に、エネルギーを放出し、
 怖いほど与える。 」

 -岡本太郎


そして、最終的には、このような境地に達することができたら、最も幸せなのだろうな、と思う。




お気に入りのひとつ。
長野県のおぶせ温泉あけびの湯。



◆◆◆◆◆ 
6月:84.0km/84km 6月30日昼 
7月:93.0km/84km 7月31日昼 
8月:25.0km/84km 8月1日昼 

2017年:700.0/1000km 
総計:6054.3/10000km(2012年~2021年末まで)

毎年始めに、私の母は自治体に依頼されて地域の子どもたちに書き初めを指導する先生をやります。

今年の年初、面白い話を聞いたんですが、去年までは書く言葉を子どもたちに自由に決めさせて、自由に書かせたらしいです。そして今年はというと、事前に決められた皆同じ言葉を書いたらしいのですが・・・、全然盛り上がらなかったそうです。周りを気にしたりして妙にうまく書こうとしたり。去年までは子どもたちがワイワイ騒ぎながら、自由奔放にとても楽しくイキイキとした字を書いていたとのこと。

「なんで決めたのかしらね。」と母。

なるほど…。


ところで、3年前に私がワイナリーをやろうと決めて動き始めてから「なんでワイナリー?」とよく聞かれます。もちろん許されれば滔々と熱く、厚かましく何時間でも語れるんですが、…一言で言うと、「やりたいから」。

昔の自分もそうだったんですが、よく「夢はなんですか?」「やりたいことはなんですか?」「それはなぜですか?」という質問があって、色々、なんとなく通りの良い答えが発せられます。例えば、社会貢献、とか、苦しんでいる人を助けたい、とか。それはもちろん私も要素に入っていて、かなり素晴らしい理由であり大切なことでもあるですが、なんだか”仏作って魂入れず”という感じがします。

なぜならば、本当にやりたいことならば、既にやりはじめてしまっているはずだから。

今の僕はどうかというと…。
ワイナリーをやろうと思って、まずブドウを植えないと、と思って、奇跡的に注文してすぐに買えることになって(普通は今は2年待ち)、ブドウの苗木が届いた時に、苗木屋さんに電話で、「あの・・・、私今回始めてで、苗木の植え方がわからないのですが、どう植えれば良いんでしょうか?」というかなりバカなことを聞くくらい、できるかどうかなど考えず始めてしまったわけです。そして今も、泥縄式で学びながら進めている状態。「見込み?知りません。やるだけです。」(笑)

元々の自分は、”石橋を叩き壊して「あー渡らなくて良かった」”という人間だったはずでしたが、どこでこうも変わったんでしょうか。

そして後から、なんでワイナリーなんだろう?とものすごく考えて、「なるほどこういうことだ!」と、過去の自分がしてきたことの繋がりからたくさんの理由が見つかった、という順番です。


じゃあ僕にとって、自分を突き動かす熱を感じる瞬間で、色々たくさんありますが最も強いものは何かというと・・・。一言で言うと、

「最高の芸術品を創り上げたい」

という思いです。人は全て芸術家であり、その人がどうしても表現したいものを、色んな形で表現して生きていく。それは仕事であったり、取り組みや言動であったり、生き方であったり、その人が表現したものは、全て、その人だけの芸術作品。


とはいえ、そんな私でもふとテンションが下がる瞬間があります。どういう時かというと、ワイナリーを運営し、ワインを作っている人など世界で数え切れないほどいて、そういう人たちの中には、何百年も前から脈々と受け継がれる知恵と環境を最大限に活かしながらそして今なお日々試行錯誤しながら美味しいワインを作っている、という人々がゴマンといる。果たして僕がそういう世界で太刀打ちできるのか?自分がやる意味があるのか?…と理屈で色々厳しさを考えた時です。そういう人たちと自分を比べた時、圧倒的に圧倒的に自分は何も持っていない。「できるの?自分」という声。

しかしそんな時、「まあそれはそうだけど」というもう一人の自分の声が聞こえてきます。

「でも、僕が、この地元の土、ブドウ、環境で作るワインって、僕しか創れないよね。」
「だから、自分自身と、そして僕と繋がるあらゆるご縁という、自分しか持っていない素材を使って、自分にしか創れない最高のワインを追求していけばいいんだ。」

これでもう、”他との比較”や”できるかどうか”という不安が吹っ飛びます(笑)。とにかくできるところまで追求し追求し、死ぬまで追求し続け…、そして前のめりにそのまま死ねばいいだけ。もちろん研究のために色んなワインを比較したり、良いものを取り入れたり、マーケットを分析したりするのは、ワインをあるいは事業をより良く進化させていくために当たり前の事ですが。


つまり、最も注力するところは、「どこまで自分という存在をあまねく表現することができるか?」というところなので、自分にしかできないのは当たり前なのです。”世界中で自分にしかできない”という、とてつもない価値。でもこれって、今70億の人が生きているとして、70億人全てに当てはまるものだと思うのです。真似しようと頑張ってもどうしてもどこか違ってくる。人間だけでなく、実は全ての存在がそんなふうに存在している。

この世界で自分は自分しかいなくて(世界で唯一の存在)、自分がどうにかできるのは自分だけで(他に選択肢は無い)、そして自分をどうにかできるのは自分だけ(他人にはできない)。

…そして自分を表現する”手段”は、実のところ何でも良いのだと思います。全ての人が、既に夢の途中にいる。


他と比べようのない、自分だけの書きたい字を喜々として書きなぐる子どもたちのように、”自分”という唯一で最高の芸術品を追求していきたい。

 

 

 



◆◆◆◆◆ 
4月:99.0km/84km 4月30日昼 
5月:56.0km/84km 5月31日昼 

2017年:470.0/1000km 
総計:5824.3/10000km(2012年~2021年末まで)

半年くらい前のある時、ふと気付いたんですが、ズボンを履いている時に決まって嫌な感情が湧き上がることがありました。
で、これはなんだろう?と思ってじっくり考えたところ、思い当たるふしがありました。

 

その数日前に、ちょっと感情が盛り下がる出来事があり、次の日の朝、ズボンを履きながら、ふとそれをまた思い出してしまい、「嫌だなぁ」と思ったんですが、どうやらそれ以来、ズボンを履く瞬間に、その時の具体的な出来事までは思い出さずとも、いつもその感情を思い起こしてしまっていたのでした。

 

これって…、単なる条件反射ですよね。そして湧き上がる感情は、結構条件反射が多いのでは?と思いました。経験は一度切り。激しく生きていても、そんなに激しい出来事が常時起こるわけではないので、ほとんどの時間は何もない平常な時間のはずです。でも、日々刻々と色んな感情を感じている・・・。

 

以前、お気に入りのほこらで草むしりをしていた時に、手をチクっとやってしまって以来、草をムシる時に、ちょっと怖くなった(笑)のと同じですね。

●サーヴァントorマスター

http://ameblo.jp/furuta4521/entry-11917020684.html

 


さて、この嫌な感情の大元になったその出来事は、じっくり考えて自分の中でもう昇華させてあったので、あとはちょっとこびりついてしまった条件反射をクリアするだけ。どうすれば良いのか。

 


ということで、最近の私は、ワイナリーを中心軸とした様々な活動に日々心を奪われていて、そういうヒマやタイミングはあんまり無いんですが、単なる条件反射で心に湧き上がるちょっと嫌な感情が置きた時の自分なりの解決方法を試行錯誤して見出しました。そんなことに時間を取られているのももったいないので、サクッと解決したいですし。

 

どうするか。

 

そういう条件反射が起きた瞬間に、「くぅちゃんくぅちゃーん」と言いながら、家猫のくぅちゃんを思い出す!

 

すると、ほのぼのします(笑)。
これを、ズボンを履く時の条件反射がくぅちゃんになるまで繰り返します。解決。
ホント、くぅちゃんって便利ですね(笑)。

 

●ネコとは何か
http://ameblo.jp/furuta4521/entry-11770205976.html

 

 


さて、ここからが本旨の気付きですが、これ、「なるほどな~」と思ったのが、大成功者の周りには、心の安らかさを保てる人や成功者が多いことです。例えば私が尊敬する、斎藤一人さんや、竹田和平さん、鍵山秀三郎さん、福島正伸さん等など。
こういう方々は、強烈なる”光”を放っています。そのブレない生き方によって。その光は、いわば周りの人の精神的な小さなほころびを見えなくしてくれるのだと思います。
その人の近くにいる時、例えば本来ならば気にしても仕方がないような小さな負の感情等にフォーカスするヒマもなく、その強烈な光にいやが上にもフォーカスを持っていかれるから。心配事の9割は心配し過ぎ。

 

近くにいなくてもいいのでしょう。何かあった時、迷った時、悩んだ時などに、「○○ならば」と、尊敬するその人を思えば良いのだと思います。「あの人ならば」。
(○○には、人が入るかもしれないし、信仰心が入るかもしれないし、思想が入るかもしれません。)


これ、ナポレオン・ヒルの「思考は現実化する」でも、確かありました。「鉄の意志を持った人を思おう」というやつだと思います。

 

そうやって心の安定が得られれば、その”安全基地”を土台として、おそらく人は未知へと挑戦していけるのだろうと思います。

 

こういうことでしょうか。


●大樹のような生き方
http://ameblo.jp/furuta4521/entry-11242752129.html

 


昔からこの日記に時々出演した、大リーダーのH氏のエピソードもまさにそうなのかもしれません。そのH氏さんにこんなことを聞いたことがあります。

「Hさんの周りでも人同士がいざこざとか、 
 問題点がたくさんあったと思いますが、 
 どう対処されてたんですか?」 

 

H氏『問題点?起きないなぁ。』 

 

「え、なぜですか?」 

 

H氏『全員が、オレを見てるからや。』 

●360度の荒野
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1791945543&owner_id=2892939

 


大リーダーは、まるで強烈な磁石によって、色んな方向に向いている小さなベクトルの磁力を同じ方向に向かせてしまうように、気持ちをより良い方向に向かせてくれるんでしょうか。

 

一般的に、リーダーとは、人をより良い方向に導く存在。しかしそれは一部の天才的カリスマ性を持った人だけがなれるものではなく、誰でも、どんな立場でもなれると、「7つの習慣」は言っています。例えば、部下が上司のリーダーに、子供が親のリーダーになることもできるわけです。(7つの習慣のどこかをご参照(笑))

 

 

 

結論。

 

なるほど、家猫くぅちゃんは、僕にとってのリーダーの一人(一匹)でもあるのだ。
凄いな、くぅちゃんは・・・。

 

食って寝てウンコしてるだけなのに。


 

 


◆◆◆◆◆ 
2月:107.0km/84km 2月26日昼 
3月:124.0km/84km 3月29日昼 
4月:28.0km/84km 4月6日昼 

2017年:343.0/1000km 
総計:5697.3/10000km(2012年~2021年末まで)