「カソバ」の煙 | ふるさと会のブログ

ふるさと会のブログ

山科の魅力を山科の歴史を通じて記録しようと思います。

山科人

 山科の西端は花山と呼ばれる地域である。昔から「かさん」と呼ばれていて、私の母親が子どものころには「くわさん」(kwasan)と発音するお婆さんがいた、という。そういえば、三木武夫首相(昭和49年~51年)は、答弁で「こっくわい」(国会)としわがれた声で連発していたのを覚えている。徳島県出身であった。徳島の田舎で明治の生まれの人は「か」と「くわ」は区別していたのだ。

京阪バスの車内放送は「かみか()ん(上花山」」「きた()(北花山)」。道路標識が「kazan」になっているからだ、という人がいるが、どうも花山生まれの者には、違和感をいだいてしまう。花山中学も「かさん」と読んでいるではないか。

 京都市民のほとんどが人生の最後に必ず訪れる場所がある。中央斎場である。山科では「火葬場」をカソバとよんだ。西の空を見ると、黒い煙が上がっている。「カソバの煙が上がっているなあ」があいさつ代わりであった。

 しかし子どもにとって,この谷は怖いところだった。灌木が生い茂り、道がないものの、子どもでも楽に登れた。ゲンジを取りに上って尾根を越えるとすぐ真下にカソバの高い煙突と建物が間近に見えた。思わず足がすくんでしまった。二つ煙突があったことだけを覚えているが、一つは「えらいお坊さんが亡くなったときだけに使うんや」とあとから聞いた。

 戦後、私の父は山科側の山の斜面で芋を作っていたことがあり、近くにわずかな水が流れているところがあったそうである。そこで火葬場の灰捨て場から拾ってきた骨を洗って、金歯の金をとる作業をしていた男を見かけたことがあるという。

 昔は重油で焼いたというが、現在はガスでかなりの高温と適切な処理のおかげでほとんど煙が出ないようだ。だから今は花山の山の上には煙が見えない。

この6月、本会の「ふるさと講演会」で、Mさんがこんな話をしてくれた。「(山科百年の大計のために)阪急電車の京都線、現在は河原町四条で止まっていますが、この阪急電車をまっすぐ東に突き抜けて祇園さんのところで、直角に近い角度で曲がって五条通か十条通りをトンネル出てそのまま東を向いて、草津の学研都市まで行ってくれたら京都、山科の発展のために、いいんやないか」続けて「祇園さんの次の駅は中央斎場に。地下鉄の中央斎場の駅ができたらなあ」

 この夢には京都という町への強烈な皮肉が込められていると思う。京都一の歓楽街である祇園は、中央斎場と隣り合わせにあるという事実である。

徒然草で兼好は、賀茂の競馬(くらべうま)を見物するのに木の股に取りついて居眠りをしている法師を見て、「われらが生死の到来、ただ今にもやあらん。それを忘れて、もの見て日を暮らす、愚かなることはなほまさりたるものを」(四十一段)と書いている。今すぐにでも死が訪れるかもしれないのに、それを忘れてこんな見物なんかをしてその日を暮らしている。愚かなことといったらこの上もないなあ、というわけだ。

まさしく京都市民に、明日にも知れぬ死のそばで歓楽に酔いしれている愚かさを説く絶好の仏教の材料になりうるのではないか。

はたしてカソバの煙の見える山裾で、昔の人は何を考えていたのだろうか