ふるさと会のブログ

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山科の魅力を山科の歴史を通じて記録しようと思います。

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山科人

 歳のせいか、朝目が覚めるのは早い。目覚めのポイントは新聞配達の音である。「ブルブルル」「ガチャ」「タッタタッタタッタ」「ゴトン」「タッタタッタタッタ」「ガチャ」「ブルブルル」。バイクがやって来て、スタンドをおろす。郵便受けまでの数メートルを小走りで、投入後再び走ってバイクにまたがり、再びスタンドを蹴って出発。そういう音を寝床で聞き、見えない外の動作を想像している。「4時半か」。

 この春のことである。近所の老齢の女性と何気ない会話をしていた時に、「最近京都新聞の配達している人がかわらはったみたいやね」「そうそう。なんか足取りが軽くなった感じやね」。そう応えながら、朝の目覚めが早いことや、暗闇で外の音を聞きながらその様子を想像しているのは自分だけではなかった、という共感のようなものがこみ上げてきたのであった。

 ところが、毎朝聞いていて疑問がわいてきた。「タッタタッタタッタ」から「ゴトン」までのタイミングが長すぎるのである。つまりバイクから郵便受けに到達しているはずなのに投入するまでに時間がかかりすぎる。立ち止まって投入するのに10秒以上かかっている。「何をやっているのだろう」。新聞を放り込むのにそんなに時間はかからないはずだ。

 もう一つは、照明である。明らかにLEDのペンライト風の光りが障子に映る。しかも辺りを伺うような、探し物をするようにあちこち振っているようだ。

 このことからどんどん想像、いや妄想が広がってくる。ひょっとして泥棒に入ろうとして下見でもしているのではないか、郵便受け周辺で何かいたずらをしようとしているのではないか。

 こうなれば確かめてみようと、早起きして障子を少し開け、新聞投入の瞬間を見ることにしたのである。何かこちらが犯罪者になった気分である。

 いつもの時間にバイクの音がして、「タッタタッタタッタ」。やってきたのは、おそらく高校生ぐらいだろうか、少年であった。見た瞬間、2番目の疑問がすぐに解けた。ヘルメットにヘッドランプが取り付けられていたのである。だから首を振るたびにライトの光はふわふわと場所を定まらずあちこちを照らしていた。

 さて、投入口で何をしていたのか。実はこれがわかるのには、それ以後3回の観察が必要であった。新聞少年の背中で見えなかったのである。私の家の郵便受けは、玄関の門柱を鉄板で箱状にしている。投入口は縦型であり、バネ付きの板が蓋になっていて、押せば戻る仕掛けになっている。郵便物や、ちょっと大きめの冊子のダイレクトメールも放り込める大きさである。新聞を入れる際にどうやら丁寧に折って、入口からそっと差し込んでいたのである。差込口から箱の底に落ちる音と、ばねで板が戻る音をまるで楽しんでいるかのようであった。そしてその音を確かめると向きを変えてバイクに戻っていった。とても几帳面な配達員だったのである。泥棒か、と疑った自分が恥ずかしかった。新聞少年も、まさかこんな朝早くから、配達する様子をじっと観察している人がいるとは思ってもいなかっただろう。

 今日も我が家では京都新聞を届くのが当たり前のようにして読んでいる。