首&左腕の状態がかなり酷かった時、外出もままならず、座ってPCに向かい続けるのも無理で、といって横になっても痛くって、ベッドのなんつーの枠に枕立てて体預けて、上半身半ば起こしたような姿勢で寝てた時期が数ヶ月あったんだけど、この頃なんもやれないからずっと手持ちの本から映画監督・押井守の著作と小池壮彦の著作(コレとかコレとかコレとかコレとかコレとか)を読んでた。小池の本に至っては持ってる著作を片っ端から読み倒すくらいの読書量になった。

小池の著作はどれも読み応えあるんだけど、小池的な面白さとは別に、改めて読んで『幽霊は足あとを残す』ってこんな凄まじい本だったっけ!?って。昭和のいろんな事故や事件が取り上げられてるんだけど、昭和ってこんなに人死んでたんだ!と驚愕もの。小説とか映画ではなく、事実であり現実だったのが悪い意味で凄い。しかも俺もまぁ半ば昭和の人だから。よく死ななかったなと思うぐらい、本書で記述される昭和は人の死に溢れてる感がある。

 

鈴木光司の『リング』 『らせん』 『ループ』も一気に読んでしまった(苦笑)。そのぐらい日常生活に支障をきたしていた。ずいぶん久しぶりに読んだ。『ループ』に至っては発売時に買って一読して以来じゃないか?

 

ジェイムズ・P・ホーガンの有名なSF小説で名作らしい『星を継ぐもの』の古本をネットで注文して読んだりもした。これ読んだのはまだ仕事してる最中だった。

月面で生物の遺体が発見されるが、それは人間と同じ外見の遺体であり、しかも5万年前の遺体だった。一体何者なのか!?

面白そうじゃない?

でも実際読んだら苦痛でしたがね。科学とか宇宙とか好きなんで書かれてることはまぁまぁわかるんだけど、学術的なとこじゃなくて文体かなぁ? 読みづらい文体だよな。読んでてイラつくんだよ。訳が悪いのか元から悪いのか。多分両方。

ガマンしながら読み続けて(仕事で疲れてる状況であのこざかしい文体はしんどすぎる)、読むの放棄しようかと思ったんだけど、遂に事実が明らかになった時、感動的なんだよね。燃えるというか。なるほど名作と言われるのがわかったけど、もう一度読み返そうとは思わないね。

(あとSFなガジェットが、今となってはもうSFじゃないというのが結構ある。これはしょうがないんだけど。70~80年代に読んでたらSF感がもっともっと感じられたわけだけど。)

 

ところで今回は『リング』シリーズの話をしたい。

1作目『リング』については以前書いた通り。

 

『らせん』

前作の“ホントの話か!?”というリアル感、本書では塩基配列の図やリングウイルスの写真がリアル感をハネ上げる。

押井守の著書『立喰師列伝』みたいな凝りよう! 『立喰師列伝』も架空の人物の近影や架空の本の写真などが掲載されて内容のリアル度をハネ上げてたが、それがあっちではやり過ぎギャグとして機能して笑えたが、『らせん』ではリアルさを積み上げて“ホントの話か!?”という恐ろしさを喚起する。

また、浅川のリポートがビデオの代わりになる→『リング』をすでに読んでしまっている人は キュービックショック(←後半に「キュービックショック」の説明あり)、恐怖!

(ついでに言えば出版される展開からさらに映画化にまで発展していくが、『リング』は現実世界でも実際に映画化されている・苦笑)

映画版はテレビ画面から貞子が実際に出てくるという恐怖描写を採ったが、またそれについて“あれはビジュアル的なショッキング度は高いが、同時にあれによって貞子の恐怖感のレベルが落ちた”みたいなことを以前書いたし、そもそも映画版は原作の理詰めの魅力をごっそり取りこぼしてるので『リング』の映画化としては失敗みたいなことも書いたが、さすが原作者本人による『リング』の直接続編の小説『らせん』は怖さのレベルが違う。リアルに裏打ちされてる恐怖。

前作で唸ったのは1週間という期限がなんなのか(ビデオテープのダビングと天然痘ウイルスの見事な共通性!)理屈に裏打ちされてたことだったが、本書はさらに学術的に追及してく。前作を軽く上回る理屈・論理。それでいて心霊的不気味さも失ってない。ただのフィクションのホラーでなく、恐るべきリアルホラー。

貞子の出現も、映画版では科学的裏付けを無視したもので、霊から単なるモンスターに堕した。しかし本書での貞子降臨は、あくまで理屈をベースにしている。そこにも説得力と強度があり、それに比べると映画版の貞子は所詮フィクションとなり、『らせん』(原作)の方が段違いにレベルが高い。素晴らしい続編だよ。

 

原作の3作目であり完結篇?の『ループ』は、もはやホラーでない(苦笑)。映画版の方の続編はどんどん中身のうっすいチープなホラーになってったが、原作は真逆の方向性を突き進んだ。科学的裏付けに邁進し、この3作目に至ってはホラー要素はほとんどゼロといっていい。

だから単なるホラーや心霊好きには『ループ』は最後まで読むのが苦行な本だろうが、この物語の学術的な部分に惹かれた人や、世界の正体に興味のある知的好奇心ある人にとってはかなり興味深く読み応えある作品。

ただ、前半は病気の場面があまりに続くので読んでて気分が滅入る。前2作の登場人物や物語もほとんど出てこず、まったく別の登場人物たちとまったく別の物語展開であることも読むにあたって忍耐が要る。

しかしこれが前2作と有機的に絡んでく後半は面白い。そうして到達する全ての真実。

でも正直面白さは『リング』 『らせん』より劣ると思う。『ループ』はこれまで広げた風呂敷をいかに上手く畳むかという戦後処理の感が強い。着地の仕方はなかなか良いとは思うけど、心霊的な怖さがないうえでの理詰めの着地なので、そこが処理感の強さに繋がってるのだと思う。

本作は前2作とは違ってSFに近い。心霊的な怖さに魅力を感じてこれまで読んできた人にとっては3作目は肩透かし感ハンパない。でもそこに留まらない意識で読んだ人にとっては読み応えある。

ただ1コ不満というか、これは映画『2001年宇宙の旅』もだし『星を継ぐもの』もだし、リドリー・スコットの映画『プロメテウス』 『エイリアン:コヴェナント』もだし、というかおそらく人類の起源を扱ったすべての作品にいえると思うんだけど、神を持ち出さずに生物の起源に迫る時、問題を他所に先送りするだけに留まる。人間より進化してる知的生命体の介入とかで説明される。神を持ち出さない「上位構造」なわけだが、じゃあその上位構造の生命体の起源は?となると、結局テーマは進んでないんだよ。『ループ』もこの枠内に留まっている。

フィクションであろうがあるまいが、確証があろうがあるまいが、そこまで迫れる作家や科学者は存在しないのだろうか?

 

ついでにもうちょっと取り上げるか。

 

ネットで中古で1円で買ったんだけど(苦笑)、

一橋文哉『未解決―封印された五つの捜査報告』という本。

住友銀行名古屋支店長射殺事件、八王子スーパー強盗殺人事件、豊田商事会長惨殺事件、ライブドア「懐刀」怪死事件、神戸連続児童殺傷事件、という有名な未解決事件の真相に迫るルポルタージュ。

一時期ある占い師のタロットカードリーディングの動画を見るのにハマッて、その人のソフトな声音がASMR度高く、しかし未解決事件・事故や冤罪の疑いのある事件を占ってくとこが興味深くて。この人がこの本を紹介したことがあって、それで読んでみたんだけど。

俺は雑誌『不思議ナックルズ』『怖い噂』が愛読書の1つで、八王子のやつは真相が気になってたし、神戸のやつは小池壮彦も冤罪説を書いてるし。

テレビだけ見てるような人じゃなくて(テレビの情報には偏りがある。それは同じニュースでもテレビニュースとネットニュース見比べれば、テレビが何を伝えたくないかがわかる)前述した雑誌を読んでた人からすると社会というのは表と裏があるというのは明白なんだけど、あの雑誌は“こういう記事書いてて命狙われないのかな”と思ってたんだけど誌の基本的なジャンル傾向としてはオカルトで、そこが隠れ蓑になってる的なところもあった(?)けど、本書は偽装や攪乱なくストレートなルポで、有名な未解決事件を新聞記者とかが執念で追ったような硬派な感じ。

メディアに死体を載せるなって風潮がいかに阿呆かっていう、今やテレビだけでなくネットのYouTubeですらコンプライアンスうるせェしな、それによって結果どうなってくかっていうと現実わかってない脳内お花畑の馬鹿を大量生産するだけで。

(特に呆れてるというか怒りすら覚えるのはYouTubeで「殺」や「死」の字が入る言葉が伏字になること。でないとバンされると。死とは関係のない「殺伐」ですら「〇伐」となる。「コンプライアンス」は病的な領域に入ってる。『華氏451度』の世界が現実になってきてる。しかもあぁいうのは政府とか上が強行してたものなのに、YouTubeは国じゃなく企業だしね、また「〇人事件」「〇亡事故」などと伏字にするなどは一般人の一個人がやってる=現代では一般人が自らやってる。一億総管理社会人。これがキチガイ沙汰でなくてなんなのか。

それに死や血などを忌避し、平行して世の中にデジタルが定着することは、肉体の痛みや死をわかってない輩を大量生産し、いたずらな暴力や殺人などを多々生んでいくことになる。見当違いな平和主義者は気づいてないけど、結果的にむしろ世の中を危険にしていく。)

本書は社会ってとこが実はどんなとこなのかがよくわかるというか。我々一般人は実はこんなヤバいのが隣り合わせの中で生きてるんですぜ、というさ。

現実というものを知っとく必要がある。それを知らずに生きてくことは(悪い意味で)バカとして生きてくということ。コンプライアンスもやり過ぎると痴呆症のような奴ばかり生む。本書のようなものを読むことは平和ボケした頭にガツンと食らわされるような、現実を思い知らされる意義と効果がある。

ただ本書で気に食わないのは神戸のやつで、これは逮捕や裁判に明らかに疑問がある、だから冤罪説もあるわけだけど、本書はこの事件だけはなぜかそこを追及せず、逮捕されたAのその後を延々考察している。

ところが俺は前述の雑誌や小池の本で、この事件の決着のつけ方がいかに不自然か、真犯人はBではないかというのを読んできてるから、まさに小池が書いてたけどAの精神鑑定や矯正したところでなんの意味もないみたいな、

本書の本件の考察はまさにそれで、冤罪説を放置してAを延々考察したところで無意味っていうさ。ここだけ不満だね。

 

中古で数百円で、これまたネットで買った『プロレススーパースター列伝』9・10・11巻。初代タイガーのエントリで言及してたマンガ、もう手元になかったわけだけど、やーっと再入手。

小学生の頃読んだ時ほどドラマティックとか大河ドラマという感は強くは感じなかったけど、波乱万丈の展開は今読んでも十分面白い。

というか現代では実在するプロレスラーを題材にここまで波乱万丈な物語は描けない。理由は2つ。1つは今の人間は昭和の人間のように破天荒でない。つまんない奴を波乱万丈に描けるわけがない。もう1つは水曜スペシャル 川口浩探検隊を胸躍らせて見るような、そういう気持ちってのは今はもう見る側も作る側も持ち合わせてない奴ばっか。

このプロレススーパースター列伝の虚実入り交じりまくった内容は、今の現役レスラーを題材に描いたら認めない読者が多そう。

今の人間の度量が格段に狭くなってるということでもあり、底なし沼のような昭和の世界はもう失われたということでもある。

“昔は良かった”オッサンなんじゃなくて、実際問題今の時代は昭和の頃よりつまらないんだから、そう言う他ないだろ。それはもうテレビなんか見てても明らかだろ? つまんねェ しょーもない番組ばっかでさ。

あと改めて読んだらやられたレスラーの「ホゲー」などの声がウケた(笑)。

 

龍乃亮/ばかども。『あたしだって笑わせたい。』 『サンキュー・バディ&フレンズ』

この人の『魔法少女まどかマギカ』の同人誌は2019年のコミケでは直接本人?から買ってんだけど、その後コロナ禍でコミケの中止が続き、あと入場が有料になったじゃん、だからその後行ってなくて、でもその間もこの人は新作出してて、たぶん4冊出してんだけど、そのうち2冊を中古で入手した。

相変わらずいいね。まどマギが好き&♀×♀が好きな俺的には、まどマギのキャラクターたちによる百合以上レズ未満な睦み合い、ほのぼのした物語は読んでて多幸感があり、辛い現実を生きてる中で癒しと憧憬もある。なんつーかテレビドラマ『やっぱり猫が好き』を見てたり小説“箱崎ミャコ シリーズ”を読んでるような心地よさがあるんだよ。荒んだ心をトリートメントするような効果とも言う。