『六波羅蜜寺』
真言宗智山派寺院
ご本尊 十一面観音(秘仏・国宝)
創建 天暦5年(951)
開山 空也
開基 村上天皇
平安時代の歴史書「扶桑略記」によれば、醍醐天皇の第二皇子で踊り念仏で知られる市聖(いちのひじり)『空也』が造立した十一面観音をご本尊とする道場に由来し、当初は西光寺と称したといいます。
空也上人は疫病の蔓延する京都で、この十一面観音像を車に乗せて引きながら歩いて念仏を唱え、病人に茶をふるまって多くの人を救ったといわれています。応和3年(963)8月には、当時は遺体の捨て場…葬送の場であった鴨川岸に600名の像を集めて大規模な大般若経供養会を行いました。
空也上人の死後、貞元2年(977)に比叡山延暦寺の僧の中信が中興して六波羅蜜寺と改称、天台宗に属する天台寺院としました。
☆縁結び観音菩薩像
六波羅蜜寺という名称は、仏教の教義「六波羅蜜」という語に由来しますが、六原という地名に由来するとも考えられています。
☆本堂(国重要文化財)
昭和44年に本堂が解体修理された際、基壇から今昔物語集や山槐記などに記載がみられる泥塔が約8000も基出土しています。
寿永2年(1183)に平家が都落ちした際に炎上、堂宇は焼失してしまいますが、室町時代に建てられた本堂は焼失を免れ、創建当時のものが現在に伝わっています。その後、この地には鎌倉幕府により六波羅探題が置かれました。
本堂の扁額は、三蹟の一人「藤原佐理」の筆。
☆平清盛公の塚
平安時代末期に平正盛が阿弥陀堂(現在の常光院)を建立したことにより平家と繋がり、平忠盛が当時の塔頭に軍勢を駐屯、境内の隣に六波羅殿を建築。平清盛の代には波羅蜜寺のまわりには5200棟余りの平家一門の屋敷群があったといいます。
こちらは六波羅探題の跡地を示す碑。
六波羅探題は承久の乱(1221)の後、鎌倉幕府により設置され、朝廷の監視や京都周辺の治安を維持する京都の出先機関です。
「平氏六波羅第」と刻まれていますね。
映画を極めた平氏政権は“六波羅政権”とも呼ばれました。
☆薬師堂
☆弁財天、堂
こちらの六波羅弁財天は、崇徳天皇の夢告により禅海が造立しました。崇徳天皇が崩御された後、寵愛されていた阿波内侍が屋敷を寺とし、弁財天堂を建立し祀っていたと伝わります。その後廃仏毀釈によって六波羅蜜寺に移されたのだそうです。
こちらの奥には
銭洗い弁財天・水掛け不動尊・地蔵菩薩
がいらっしゃいました。
☆撫で牛
☆手水場
☆道元禅師御説法之御遺蹟
大本山永平寺の御開山「道元禅師」は
六波羅蜜寺で正法眼蔵・古仏心
の巻を衆に示された
と下の石碑に刻まれています。
☆御朱印
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