小野篁さんが冥界へ通ったと伝わる井戸があることでも知られています。
こことても興味があって、いつか行きたい!と思っていたんです♡
愛宕の寺も 打ち過ぎぬ 六道の辻とかや
実に恐ろしやこの道は 冥土に通ふなるものを
謡曲「熊野(ゆや)」より
『大椿山 六道珍皇寺』
通称:六道さん
臨済宗建仁寺派寺院
ご本尊 薬師如来
創建 承和3年(836)
開基 山代淡海
六道珍皇寺周辺は、平安京の風葬の地であった鳥辺野の入り口にあたることから、現世と他界の境にあたると考えられ「六道の辻」と呼ばれました。
☆六道とは
地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道
人道・天道
の六種の冥界のことで、人は因果応報により死後はこの六道を輪廻転生するといいます。
六道の分岐点でこの世とあの世の境の辻が、古来よりここ六道珍皇寺の境内あたりであるといわれ、冥界への入口と信じられてきました。
創建は延暦年間(782〜805)、奈良の大安寺の住持で空海の師にあたる慶俊とされます。※諸説あり
この時は参詣客は私一人。
御朱印を拝受しようと堂内へ上がりましたらご住職様がいらして話が弾みました✨楽しかった♪
「小野篁さんといえば、東京では小野照崎神社さんが有名で、何度か参拝に行きました」
「あそこの宮司さんとは交流があってね、ここにも来たことがあるんだよ」
「へぇ〜そうなんですね」
「そうそう、宮城に竹駒神社ってあるんだけど」
「えっ」
私が崇敬する宮城県の竹駒神社さんの話が出てびっくり‼️竹駒さんは小野篁さんゆかりの神社なのです。私は宮城出身とも何も話していないのに驚きでした。
「私竹駒神社さんとはご縁が深くて、離婚しましたが結婚式も挙げているし、息子たち2人ともお宮参りは竹駒さんで、つい最近も参拝したばかりなんですよっ」
「えええっそうなの?ご縁だねー竹駒神社の宮司さんも知っているんだよ」
いやはや、まさに仏縁ですなぁ🙏
住職様に許可をいただき、本堂内を撮影
話に夢中になり、閻魔様と小野篁さんの木像を拝観するのを忘れるところでした。
☆閻魔堂
閻魔堂にいらっしゃる閻魔さんと小野篁さんを格子戸から拝観したのですが…篁さんが予想外になんていうか…まるで救世…いやいやそんなことを言ってはアレなんですがただならぬものを感じました(^^;;
☆小野篁さん(802〜852)
嵯峨天皇に仕えた平安初期の官僚。文武両道に優れた人物でしたが奇行が多く「野狂」といわれていました。遣唐副使にも任じられましたが、大使の藤原常嗣と争い嵯峨上皇の怒りに触れ隠岐に流罪になったといいます。
また閻魔王宮の役人ともいわれ、昼は朝廷に出仕し夜は閻魔丁に第二の冥官として勤め、無実の罪で地獄へ落ちた人を救ったり、裁きの助言などをしていたという奇怪な伝説があります。
きっかけは亡き母に会いたい一心で、伝説の井戸から冥土へ足を踏み入れたことからのようです。母親の霊が餓鬼道に堕ちて苦しんでいたので、閻魔大王に直談判をしたのがきっかけで冥官となったと伝わります。
☆迎え鐘
古来より、この鐘の音響が冥界まで届くといわれ、精霊はその響きに合わせてこの世に呼び寄せられるといわれています。
☆延命地蔵菩薩
☆大石地蔵菩薩
☆水子地蔵尊
☆供養塔
☆日新電機創業の地 石碑
本堂内部や石庭、冥土通いの井戸・黄泉がえりの井戸は特別公開の時に拝観することができます。残念〜💧
ということで本堂右端の格子窓から遠目に眺めました👀
あったあった冥土通いの井戸。
小野篁さんが現世と冥界を行き来するのに使った井戸!
奈良の金剛山寺(矢田寺)の満慶上人が、小野篁さんを通して閻魔大王に招かれ、衆生を救うための菩薩戒を受けに閻魔庁へ赴いたのもこちらの井戸からなのだそうです。
この門の向こう側には黄泉がえりの井戸。
黄泉がえりの井戸には伝説がございます。
元々は嵯峨の大覚寺南付近の六道町に明治初期まであった福生寺の井戸が冥界の出口として使われていたと言われていました。
嵯峨の大覚寺南付近の六道町に明治の初め頃まであったとされる福生寺(ふくしょうじ)の井戸が冥界からの出口として使われたと言われていました。残念なことに現在はその遺址もなく、福生寺のご本尊として伝わる地蔵菩薩とともに、清涼寺の西隣の薬師寺に引き継がれていました。
が、なんとなんと。
2011年、六道珍皇寺の旧境内地から黄泉がえりの井戸が発見されたのです。つい最近ですよ!すごいことですよね♬目に見えない力が働いたとしか思えないです☆
☆御朱印
いやぁ色々あって大興奮のお参りとなりました!
小野篁さんの像は凄味がございましたが、小野篁さんとはどうやらご縁がありそうなので、またお参りに訪れたいと思います☆
🦆5/15(水)は光る巣鴨ツアー
🟥5/22(水)は川崎大師赤札ツアー
⭐️鑑定依頼はゆだぽん公式ラインから
※リピーター様は15分2500円〜受付いたします
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