お釈迦様のお誕生日ですね^ ^
ということでお釈迦様の誕生日に、その一生をあらためて心に刻むために、簡単ではございますがまとめてみました
~お釈迦様の一生~
お釈迦様(ゴータマ・シッダールダ)は紀元前6~5世紀頃にインドの釈迦族の王子として誕生されました。
ネパールにあるルンビニー園で、お母様の摩耶夫人が無憂樹の花を手折ろうとして手を挙げたら、右脇からお生まれになったといわれています。
お釈迦様は生まれてすぐに7歩歩いて右手で天を、左手で地を指し
「天上天下唯我独尊」
(天にも地にも我が命はひとつだけで尊い)
と宣言されました。
16歳で結婚して男児をもうけますが人生の辛苦や無常に悩まれて29歳で出家されます。
ちなみにお釈迦様の息子はラーフラといい、お釈迦様が出家を決意した時に妊娠が分かり
「我が破らねばならぬラーフラ(障碍)ができた」
と言ったことから名付けられたといわれます。
(いくつかある説の中の一つです)
ラーフラは7歳の時に出家し、お釈迦様の弟子になり釈迦十大弟子のひとりとなっています。
話を戻します。
お釈迦様は6年間山中で断食などの苦行に励まれますが悟りは開けず里へおります。
村娘スジャータの捧げる乳粥で体力を回復した後に、菩提樹の下で瞑想に入りついに35歳で悟りの境地に至りました。
その後鹿野苑で最初の説法を行い、インドの各地を巡り、多くの人々に説法し、たくさんの弟子をお作りになりました。
80歳の時にクシナガラの沙羅双樹の下に右手を手枕にして横たわり、弟子や動物に囲まれて入滅されました。
お釈迦様が亡くなって、お釈迦様の遺骨(仏舎利)を安置する仏塔がつくられましたが、当時の偶像否定の考え方からお釈迦様の像をつくることはできませんでした。
やがてお釈迦様のお姿を見たいという人々願いで、お釈迦様の像である「仏像」がつくられるようになりました。
おしまい
【天上天下唯我独尊】はとても大好きな言葉です。くじけそうになる時にはいつも自分に言い聞かせています。
自分の魂を磨くのは天にも地にも自分一人だけみんな孤高の旅人
え~っと話は変わりますが、私が通っていた幼稚園は、仙台市内の熱心な仏教系の幼稚園で、お釈迦様を「ののさま」とお呼びし、毎日ののさまの歌を唄っていました。
幼稚園でいただいた「ののさま像」です。
今でも実家に飾ってあります^ ^
市内のいくつかの幼稚園が参加する大規模な演劇大会も市民会館で行われていて、たくさんのお客様の前で発表したことを今でも覚えています。
お釈迦様が出家をするまでの物語で、詳しい内容は覚えてないのですが幼稚園の発表にしてはかなり難しい内容でした。
お釈迦様役は賢くて人気があった男の子で、かなりセリフがあったのに完璧に演じていました。
その他は両親の役や家来役、踊り子の役などありましたが、私の演じた役はなんと「遊女」だったんですよね…
幼稚園で遊女役は、今なら絶対NGと思われます
遊女といってもセリフは一言、二言だったと思うのですが…
発表会には母も見に来ていたので、当時のことをきいてみましたら
「衣装作りが大変だったよ。とくに何も思わないで見ていたけど、考えてみればスゴイ役だね」
と言ってました
何はともあれ、この遊女の役のおかげで、お釈迦様にまつわる大切な思い出は、いつまでも私の心に残ることでしょう