九品仏の鷺草伝説 | ゆだぽんの♬虹色オーラ♬ブログ

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お寺や神社巡りで感じた事や、不思議な話・オーラについて…などなど書いています。

【常盤姫と白鷺】

戦国時代、各地の大名が兵を起こし群雄割拠の様相を呈していた頃のお話です。世田谷から衾村(ふすまむら)、碑文谷郷一帯は世田谷城主吉良頼康の支配下にありました。


奥沢城主の大平出羽守には大変に美しい常盤(ときわ)という娘がおりました。

頼康は常盤を見染め側室として迎えます。やがて常盤は子をみごもったため、頼康はことのほか常盤をいつくしむようになりました。

血筋を絶やしてはならない大名のしきたりに従って、頼康には常盤のほかに12人の側室がいました。彼女たちは頼康を一人占めにする常盤をねたみ

「常盤様のお子は殿のお子かどうか疑わしい」

「九品仏では出羽守様が謀反をたくらんでいて、常盤殿が白鷺を使い父親に頼康様の秘密をもらしている」

などとまことしやかに頼康につげ口し、常盤への愛情を妨げようとたくらみました。頼康は常盤の悪いうわさを否定しながらも、心の中にはいつの間にか疑惑の霧がたち込めていきました。自然と常盤へも冷たい仕打ちをするようになっていきます。

とりなしてくれる者も無く、悲しみに暮れた常盤は「いっそ死んで、身の潔白の証しにしよう」とまで思いつめます。胸の短刀を抜き、右手の小指に傷をつけると、吹き出た血で奥沢城の父にあてて遺書をしたためました。それを小さいころからかわいがって、輿(こし)入れの際にも一緒に連れて来た1羽の白鷺の足に結びつけ奥沢の方角へ放ちました。

主人のただならぬ様子をさとったかのように、白鷺は奥沢城目指してまっしぐらに飛び去りました。ちょうどそのころ、衾村で狩りをしていた頼康は、この白鷺を見つけ射落としてしまいます。足に何やら結びつけてあるので不審に思って開いてみると、常盤から父へ覚悟の自殺を報じた文でした。驚いた頼康は急ぎ城に帰りましたが、時すでに遅く常盤は自害し果てた後だったのです。傍らには死産の男の子の姿が…

疑いは晴れたものの、もう常盤も子も戻っては来ません。深く後悔した頼康は、せめてもの償いにふたりの霊を慰めようと、領内の駒留八幡宮に若宮と弁財天を祀りました。
一方、使命半ばにして倒れた白鷺はよほど無念だったのか、その地に鷺の飛翔する姿の花を咲かせる草になったということです。


【白鷺と密書】

昔のことです。

吉良氏の世田谷城が敵軍に包囲されたことがありました。奥沢城主大平出羽守(おおだいらでわのかみ)に援軍を頼もうにも蟻のはい出るすきもありません。そこで日ごろ飼い慣らしておいた1羽の白鷺に密書を結びつけて放ちました。しかし白鷺はあんまり一生懸命に飛んだので、奥沢城の近くまで来ながら力尽きて落ちてしまいました。以来、その地に鷺草が群れ咲くようになったということです。


鷺草
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〈Wikipediaより〉

鷺草は湿地に生えるため、区内でも田んぼがあった大正時代の終わりころまで、あちらこちらに見られたといいます。いずれも白鷺が射落とされた、または力尽きて落ちた所との言い伝えがあるようです。

宅地開発が進み住み家である湿地が無くなって、鷺草は文字どおり伝説上の花となり、園芸植物としてしか見られなくなってしまいました。

九品仏浄真寺(世田谷区奥沢七丁目41番3号)の一角には鷺草園があります。花の見ごろは8月上旬から中旬だそうです

上記の記事は目黒区のサイトを引用させていただきましたm(_ _)m


九品仏の鷺草園

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8月にはたくさんの白く美しい鷺草が咲くのでしょうね