一昨日は、あちこちへ行く用があって、忙しい一日でした。


まず、お昼前に家を出て西へ向かい、シネコンへ映画を観に行きました。

「海猿」を、やっと観られました。

テレビドラマの時から視ていたし、映画も、ずっと観ています。

海上の天然ガスプラント事故だった前作も、迫力がありましたが、今回の故障したジャンボジェット機が海上に着水するシーンも、迫力がありました。

お馴染みになった出演者達ですが、海上保安庁の「特別救援隊」の副隊長として、伊原剛志さんが厳しい上司を演じていて、素敵でしたし、指揮を取る時任三郎さんもカッコ良かったです。

前作で、まだ頼りなかった三浦翔平君演ずる若い海上保安官が、逞しく成長している姿を見せていたのも、良かったです。

ハラハラ、ドキドキした後、乗客全員を救うために、海上保安庁、警察、消防庁の人達に加えて、民間の漁船や看護学校の生徒達、医師達が総出で救護する姿に感動(;_;)しました。

それは、JR尼崎線脱線事故の時、現場付近の工場の人達が、仕事を放り出して、負傷した乗客達の救出やケガの手当てをしたことを思い出させました。


毎回、映画のエンドロールと共に流される撮影時の俳優さん達のお茶目な映像も楽しくて、やっぱり、劇場に観に行って、良かったと思いました。



今日は、滋賀県内へ避難して来ている子供達の健康診断があり、「あすのわ」の仲間達とボランティアで案内係をしました。


1歳から高校生まで29人に、甲状腺エコー、心電図、検尿、血液検査、診察等 をしてもらいました。

大津市内だけでなく周辺の町からも、母子が駆け付け、賑やかでした。


小さな子供達の中には、「検査はイヤー」と泣き出す子もいて、ほほえましかったです。


結果は、それぞれの住所に郵送されるようですが、みんな異常がないといいです。

今、「あすのわ」の若いお母さん達は、信楽と日野で、被災地の親子の「保養キャンプ」に取り組んでいて、私達若くないお母さん達は、坂本で健康診断の受付や案内、子守等のボランティアをしました。

小さい子供達は、二人の女医さんが診察してくれたせいか、泣かないで、採血も済ませました。


避難者の会の人が、身体だけでなく、心のケア、相談会も必要と訴えました。

福島では、子供が体調を崩して、診てもらっても、放射能の影響ではないでしょうか?と言うと、医師に叱られたりして、相談出来ず、派遣されたお医者さんがお母さん達の話し相手をするのに、時間がかかったと言っていました。


今朝、長崎の「原爆慰霊祭」に出席した福島の女子高生の友達が、「私、結婚出来ないかもしれない」と言っているのを聞いて、涙が出そうでした。


きちんと安全対策にお金をかけなかったために、大事故を起こし、若い女の子達にそんな想いをさせる東電は許せません。

2030年のエネルギー比率を考えることより、福島第一原発がまだまだ危険な状態にあるから、その対策が大事と関西テレビのニュース解説で、青山氏が言っていました。


政局や談合ばかり考えていないで、なんとかしてくれないと。





就職先を決める時も、父にあれこれ注文をつけられたのでした。

私が就職した〇十年前、短大卒は引く手数多でした。

私が卒業した学校の就職先ベストスリーは、名古屋なので、「東海銀行」と「トヨタ自動車販売」(当時は、「工業」と「販売」は別会社でした)と「東京海上火災」でした。

同じゼミだった10人のうち4人がベストスリーに就職しました。

ゼミで一番仲が良かった子のお父さんがゼネコン「間組」の役員だと聞いたので、私好みの男っぽい男性がたくさんいそうだわと思って、商社に就職を決めた彼女に「間組」は募集してない?と聞いてみました。

募集しているかもしれないけれど、転勤が多いよと言われ、人見知りする私はあきらめました。

思えば、彼女のお父さんの勤務地は、日本の高度成長時代を見事に示していました。

子供の頃は、「佐久間ダム」を造っていて、それから「東名高速」の工事で名古屋に来て、郊外に家を建て(遊びに行きました)、彼女や弟さんが中学、高校、大学と進学したので、お父さんは単身赴任となり、「山陽新幹線」の工事で広島(彼女達と山陰へ旅行した時、単身赴任中のマンションに泊めていただきました)へ行き、「湾岸道路」か何かで神奈川へ、その後「上越新幹線」の工事で新潟だったかな?。定年退職後は、故郷徳島の親類の会社で働いておられたそうです。

名古屋に居た時も、、お父さんが朝出社する時、子供達はまだ寝ていて、夜帰宅したら、もう寝ていて、「お前だけだな~。迎えてくれるのは。」と愛犬に言っていたそうです。

転勤が多くて、大変そうです。


「名古屋の不思議だぎゃぁ」という本を買って読んだら、名古屋人が就職を希望する会社として、「中部電力」「東邦ガス」「トヨタ自動車」「東海銀行」「名鉄電車」「松坂屋」等の地元企業が並び、次が「カゴメ」「両口屋」だったかな?

高校の同窓会名簿を見ても、地元に住んでいる人が多いんです。

成績優秀な息子でも、東大を目指さず、「めぇでゃぁー(名大=名古屋大学)で、ええがゃ」と周りにも言われて、地元に残ることが多かったようで、郷土愛が強いのか?そこそこ就職先があったからかな?


2年生になって、学校の就職掲示板を見て、仕事の内容や初任給をチェックしました。

業種から選ぶと、銀行は一円でも足りないと帰れないと聞いていたし、銀行員タイプの男性も好きではなかったので、銀行員の妻になる気もなくて、やめました。

商社の事務も、お給料は高いけれど、気がすすみませんでした。

三菱商事では、女子社員は、親が三菱系の会社に勤めている人だけを採用していたそうで、友達が就職しました。

一般公募でなく、縁故採用だと身元調査をしなくてよいので、会社としては手間が省けるわけです。

伊藤忠商事は、自宅から通勤する女性しか採用しないと言われたと、下宿して通学していた同級生がガッカリしていました。

私生活を監視する人がいないからか?当時は、女性に対する考え方も古かったですね。


求人の掲示板を見ながら、検討し、いくつか選んで、父に相談しました。


「大阪商船三井船舶にしようかな?」と言ったら、「ダメ!名古屋駅前に会社がある。お前が駅前に通勤したら、まっすぐ帰って来ない!」と言うのです。

ははは、寄り道名人の私をよく知っています。

で、結局さるメーカーの研究室資料整理という仕事があり、駅前でなく、港に近い工場の中か、街中に近い研究室に勤務とあり、父がかつて東京で働いていた会社の社長の息子さんが、そのメーカーの滋賀の研究室に勤めていたこともあって、そこを受けてみることになりました。

私も、研究室というアカデミックな雰囲気に惹かれたのですが、後で製造業は金融や商社に比べて、労働時間が長く、休日が少ないのに給料は安いとわかりました(T_T)。


最初は、私が卒業したら家で経理の仕事をさせようと思っていた父ですが、それでは結婚相手が見つからないかもしれない(-"-;)と思い、一応大企業の研究室だから、優秀な婿さんが見つかるかもしれんと期待して就職試験を受けることに賛成したようでした。


私も、研究室だし、全員大学卒かそれ以上かと思っていましたが、入ってみたら中卒の人から博士過程を出た人まで、いろんな人がいました。

中卒のおじさん達は、みんな女性に優しくて、大好きでした。

大学出の若手社員は、数が少なく、理科系なので、私好みのスポーツマンタイプはほとんどいませんでした(T_T)。

(続く)