就職先を決める時も、父にあれこれ注文をつけられたのでした。

私が就職した〇十年前、短大卒は引く手数多でした。

私が卒業した学校の就職先ベストスリーは、名古屋なので、「東海銀行」と「トヨタ自動車販売」(当時は、「工業」と「販売」は別会社でした)と「東京海上火災」でした。

同じゼミだった10人のうち4人がベストスリーに就職しました。

ゼミで一番仲が良かった子のお父さんがゼネコン「間組」の役員だと聞いたので、私好みの男っぽい男性がたくさんいそうだわと思って、商社に就職を決めた彼女に「間組」は募集してない?と聞いてみました。

募集しているかもしれないけれど、転勤が多いよと言われ、人見知りする私はあきらめました。

思えば、彼女のお父さんの勤務地は、日本の高度成長時代を見事に示していました。

子供の頃は、「佐久間ダム」を造っていて、それから「東名高速」の工事で名古屋に来て、郊外に家を建て(遊びに行きました)、彼女や弟さんが中学、高校、大学と進学したので、お父さんは単身赴任となり、「山陽新幹線」の工事で広島(彼女達と山陰へ旅行した時、単身赴任中のマンションに泊めていただきました)へ行き、「湾岸道路」か何かで神奈川へ、その後「上越新幹線」の工事で新潟だったかな?。定年退職後は、故郷徳島の親類の会社で働いておられたそうです。

名古屋に居た時も、、お父さんが朝出社する時、子供達はまだ寝ていて、夜帰宅したら、もう寝ていて、「お前だけだな~。迎えてくれるのは。」と愛犬に言っていたそうです。

転勤が多くて、大変そうです。


「名古屋の不思議だぎゃぁ」という本を買って読んだら、名古屋人が就職を希望する会社として、「中部電力」「東邦ガス」「トヨタ自動車」「東海銀行」「名鉄電車」「松坂屋」等の地元企業が並び、次が「カゴメ」「両口屋」だったかな?

高校の同窓会名簿を見ても、地元に住んでいる人が多いんです。

成績優秀な息子でも、東大を目指さず、「めぇでゃぁー(名大=名古屋大学)で、ええがゃ」と周りにも言われて、地元に残ることが多かったようで、郷土愛が強いのか?そこそこ就職先があったからかな?


2年生になって、学校の就職掲示板を見て、仕事の内容や初任給をチェックしました。

業種から選ぶと、銀行は一円でも足りないと帰れないと聞いていたし、銀行員タイプの男性も好きではなかったので、銀行員の妻になる気もなくて、やめました。

商社の事務も、お給料は高いけれど、気がすすみませんでした。

三菱商事では、女子社員は、親が三菱系の会社に勤めている人だけを採用していたそうで、友達が就職しました。

一般公募でなく、縁故採用だと身元調査をしなくてよいので、会社としては手間が省けるわけです。

伊藤忠商事は、自宅から通勤する女性しか採用しないと言われたと、下宿して通学していた同級生がガッカリしていました。

私生活を監視する人がいないからか?当時は、女性に対する考え方も古かったですね。


求人の掲示板を見ながら、検討し、いくつか選んで、父に相談しました。


「大阪商船三井船舶にしようかな?」と言ったら、「ダメ!名古屋駅前に会社がある。お前が駅前に通勤したら、まっすぐ帰って来ない!」と言うのです。

ははは、寄り道名人の私をよく知っています。

で、結局さるメーカーの研究室資料整理という仕事があり、駅前でなく、港に近い工場の中か、街中に近い研究室に勤務とあり、父がかつて東京で働いていた会社の社長の息子さんが、そのメーカーの滋賀の研究室に勤めていたこともあって、そこを受けてみることになりました。

私も、研究室というアカデミックな雰囲気に惹かれたのですが、後で製造業は金融や商社に比べて、労働時間が長く、休日が少ないのに給料は安いとわかりました(T_T)。


最初は、私が卒業したら家で経理の仕事をさせようと思っていた父ですが、それでは結婚相手が見つからないかもしれない(-"-;)と思い、一応大企業の研究室だから、優秀な婿さんが見つかるかもしれんと期待して就職試験を受けることに賛成したようでした。


私も、研究室だし、全員大学卒かそれ以上かと思っていましたが、入ってみたら中卒の人から博士過程を出た人まで、いろんな人がいました。

中卒のおじさん達は、みんな女性に優しくて、大好きでした。

大学出の若手社員は、数が少なく、理科系なので、私好みのスポーツマンタイプはほとんどいませんでした(T_T)。

(続く)