先週金曜日の続きです。

次は、少し東へ戻って、デパートの「北海道物産展」へ買い物に。


まずは、メロンパンと栗あんパン、次に 今晩のおかずに、“肉じゃがコロッケ”と“じゃがバターコロッケ”を買い、枝豆ときな粉、カットした富良野メロン、友人達と集まった時のために「とうきびチョコ」と「ジャガ芋クッキー」と「富良野メロンキャンディー」を買い、ハスカップとりんごのジェラードで、休憩しました。

三角パックのコーヒー牛乳を買って、終わり。

割引価格のビールを買うために、東隣の“マックスバリュー”へ行き、重くなった荷物を乗せて、車を出しました。


湖岸道路を走って、
いつもデモで通る「関西電力滋賀支店」ビルを見たら、プラカードを持ったたくさんの人達が囲んでいます(◎o◎)。


ついに滋賀でも、金曜日の夕方の抗議行動が始まったんだ~と、うれしく(^◇^)┛なりました。


後で、友達からチラシがファクスで届き、「ばいばい原発・守ろうびわこ~住民運動連絡会」が主催する「キンカン行動~関電・あかんでん!」だということが、わかりました。

“金”曜日に、首相“官”邸を囲むから“金官”で、関西では“金”曜日に“関”西電力を包囲して、“金関”となり、「いま黙っていては、変わらない」と若者をはじめ多くの国民が立ち上がっています。

滋賀でも、「再稼働やめろ!」「子どもを守れ!」「琵琶湖を守れ!」ご一緒に声をあげましょうと書いてありました。

100人くらい集まったそうで、これから毎週金曜日の夕方集まるそうです。


私達も、24日(金)夕方からデモをする予定です。

合流するかどうか、相談してみます。


去年9月、支店長と話し合いたいと申し入れ、日程を決めてその日に「ウォーク」をし、代表者が行ったのに、玄関を入って受付の裏側の窓もない小さな部屋に通され、原子力広報担当とかの二人に、支店長は会えないと言われたのです 。

こちらが日程を合わせたのに(`ε´)。

いつもは、誰もいない玄関前に、その日に限って、二人のガードマンが直立していて、威圧的でした。

腹を立てながら、二人の原子力広報担当者いろいろ話しました。


原発について、福島の事故対応について、結構厳しい質問もしましたが、若狭湾の原発について、安全対策は出来ています、なんて言っていました。


日本の原発には、放射能の拡散を防ぐフィルターが取り付けられていないことをその時の私は知りませんでした(-_-#)。


それから2回、話し合いをしましたが、その後は、延期してほしいと向こうから申し入れてきて、そのままになっています。


またプッシュしないと。


昨日、岐阜の夫の実家へお墓参りに行きました。


名神が渋滞して、時間がかかり、義兄夫婦がお墓の周りを掃除していたところに着いたので、ラクでしたが、風が無くて、蒸し暑かったです。

夫の実家のお墓は、昔土葬だったため、小さな墓石がズラッと16基(だったかな?)両側に並んでいて、お花もシキミも提灯もたくさん要ります。

義兄夫婦は、岐阜市内でラーメン屋をしていて、月曜日だけが休みなので、昨日のお墓参りとなりました。


兄達より先に行くと、掃除もお花の用意も大変なので、次男の嫁としては、出来るだけ後で行くことにしたいのです。

兄嫁は、気さくな人で、子供がいないせいか?義兄のことを「〇ちゃん」と呼んでいて、仲が良い感じです。私達とは違って。

お墓に、お花と線香を供えるだけでも、汗びっしょりになりました。

優しくしてくれた姑に感謝して、みんなの健康を祈り、お花を供えました。


お墓参りを終えると、義兄が「さぁて、『お化け屋敷』へ行きますか?」と言いました。


姑が脳梗塞で倒れた25年前から誰も住んでいない実家の周りは、草だらけで、門から玄関まで歩き辛いほどです。


時間がある時には、夫が草刈りをしますが、昨日は少しだけ刈り、一緒にお昼ご飯を食べに行って、解散しました。


草を掻き分けて家に入り、仏壇を綺麗にして、お供えしてから、近くの川魚料理屋で、鰻丼を食べ、私がアルコールフリーのビールにしてと言うのに、夫はヤだ!と言って、ビールをジョッキ2杯も飲んでしまったので、仕方なく帰りは私が運転して出発しました。


高速道路は一度しか運転したことが無い私は、怖いし、自信が無く、一般道を岐阜から大垣に出て米原へ2時間くらい走ったら、眠くなってきました。


米原からは湖周道路に入り、彦根の湖岸に美味しいパンのお店が出来たと聞いたので休憩しようと思ったのですが、見つかりませんでした。
もっと長浜寄りの湖岸かもしれません。

大中でスイカやトウモロコシを買って、運転を交代し、「鮎家の郷」に入ろうとしたら、5時を少し過ぎていて、閉店していました。

早い閉店!。


新鮮な野菜が大好きな夫を「烏丸半島の『道の駅』に寄ろう」と誘い、好物の「ササゲ(長い豆、滋賀のスーパーでは、見つからない)を買い、私は「あおばな」のソフトクリームを食べられました。

薄い緑色で、さっぱりして、美味しかったです。「あおばな」には、血糖値を下げる働きがあるそうです。

岐阜を出てから、4~5時間かかって、やっと帰宅出来ました。

疲れて、晩御飯を作りたくなかったのですが、仕方なく簡単なものを作りました。


名神の通行料金2200円は節約出来たけど、ガソリンをたくさん使うから、大して節約は出来てないかも。

でも、高速道路で渋滞するとイラつくし、湖周道路の方が景色が良いから走るのは楽しいね。


なんとか「次男の嫁」の勤めを終えることが出来ました。


姑には、優しくしてもらったので、お墓参りくらいしなきゃ、ですね。


私の母も、姑に意地悪されたりしたことは一度も無かったと言っていました。

母娘共に姑には恵まれていたようです。夫には、腹が立つことが多いですが。

友人の一人は、キツい姑にかなり虐められたそうで、私の場合を話したら、「姑は夫の付属品だから、自分では選べないけど、夫は自分で選んだんだやろ」と言われました。


父に早く結婚しろ!とキツい言葉で急かされたから、ヤケクソになって結婚を決めたから?良い夫になるか?どうか?見極めるが無かったんでした。


ちなみに、父は「もう一度生まれ変わっても、お母さんと結婚する」と言っていましたので、母にそれを伝え、「お母さんは、どうする?」と聞いたら、「誰とも結婚しない」と答えました。

長年我慢してきたもんね~。


私も経済力があったら、結婚しないかも?。でも、子供はすごく可愛かったし、産んで育ててみたいので、子育ての時期だけ同居するかも。


父と母の出会いについては、祖母が戦時中に東京から疎開していた長野県上田市のりんご畑に、父親の手伝いについて来ていた16~7歳くらいのお下げ髪に麦藁帽子の母を息子の嫁にと見初めたそうです。

母は、「〇〇小町」と言われた美人だったそうで、私も母に似たら、美人だったのに(;_;)。


戦争が終わって、帰って来た父も母を気に入って、結婚することなったわけです。

父は、小学生の時に父親を病気で亡くし、母一人子一人でしたが、母親とは別居して働きながら、生きてきたので、母子ベッタリではなく、たまに喧嘩し、父が祖母に「気の強いババァだ!」と言っていたことがありました。

ホントに口が悪い父ですが、心配症で、先ほど大雨情報を聞いて、電話してきました。


母は、私と違ってすぐに言い返したりしない、我慢強い性格で、丈夫で、よく働くし、出来た嫁です。

私は、性格も顔も父に似たから、喧嘩になったりするのかもしれません。


昨日の報告と、あれこれでした。




映画が終わってから、階下の「紀伊國屋書店」で、編み物の本の新しいものを見て、「週刊金曜日」の最近の記事をチェックしてから、しばし休憩し、更に少し西へ移動して、月末の「脱原発・ウォーク」のための打ち合わせ場所へ。


先月の“ウォークを欠席してしまったので、久しぶりに、顔を合わせる人達といろいろ話し合いました。


「いじめ」事件の話も出ました。

ネットに流されている加害者家族についての情報は、真実とは違うこともあり、加害者の母とされた女性には、職場に電話が殺到し、ノイローゼになりかけたそうです。

加害者だからと、家族までもが写真や実名を公表されるのは、リンチのような気がしてきます。


ネット情報の怖さを感じる話です。


タブーの「在日問題」や差別の問題が絡んでいたから、警察が捜査しなかったという情報もありましたが、それも違うようです。


教育委員会制度は、形骸化している、公安委員会は、もっと形だけになっていると言われました。

今回の事件をきっかけに、子供達のためを第一に考えるシステムに変えていってほしいです。


監査委員も、市長が任命するのでは、市税の使い方を公平にチェック出来ないと思います。


市民運動をしてきたおじさんは、県の監査委員について、議員から選ぶ二人は必要無く、一人だけにして、一人は公認会計士にと申し入れて、認められたそうです。


いつも政界、財界等いろんな情報や人脈に詳しいおじさんが欠席だったので、いつもよりずっと早く終わりました。