各地の小学校で、運動会の練習中に「熱中症」になる児童がたくさん出たと、先日ニュースにありました。


9月下旬になっても、残暑が厳しく、洗濯物を干していても、暑くてうんざりする毎日です。

こんな日に運動場で、動き回っていたら、熱中症になるのは当然だろうと思いました。


私が小学生だった頃(かなり前ですね)は、運動会は10月初旬とか中旬だったと思います。


秋は、遠足や文化祭等行事が多いから、9月末になったのでしょうか?

息子が通っていた小学校でも、運動会は毎年9月25日と決まっていたように思います。

昔は、今ほど残暑が厳しくなかったですが、現在の気候を考慮して、運動会の練習は10月になってからにすればいいと思います。

学校や先生達の都合より、生徒達の身体や健康を優先して欲しいです。


それに、昔は日曜日に開催されていたのに、今は平日が多く、専業主婦か仕事を休める人しか見に行けません。


体育の授業の一貫だからとか理由を言われたと思いますが、一ヶ月近く練習した成果を親は見たいし、子供達は見てほしいと思うでしょうに。

かなり前から親が見に来られない子供を気づかって、子供達は教室でお弁当を食べ、親達はグランドで食べるようになりました。

昔なら、親が来れない子供は、近所の家族と一緒にグランドで食べられたと思いますが、近所付き合いが少なくなった最今では、難しいのでしょうか?


最近は、家でお弁当を作らず、運動場にピザの宅配を頼む親がいると週刊誌にあり、驚きました。

低血圧で、早起きは苦手な私でも、子供の遠足や運動会の日はいつもより早起きして、手間をかけたお弁当を作るのに。


子供と一緒にお昼ご飯を食べる学校では、近所のレストランに出かけて行く家族もいると、去年の運動会シーズンにテレビのワイドショーで取り上げられていました。


幼稚園から小、中学生のいる家庭の食卓の写真を集めた本がありましたが、お正月でもお節料理を作らず、それぞれが菓子パン等を食べて、出かける家庭も、何軒かあり、驚きました。


最近の若いお母さん達は、料理が嫌いな人が増えているのかな?と思いました。


運動会の話に戻ると、以前住んでいた家の裏は雑木林と池で、その向こう側に息子が通う小学校がありました。

運動会前には、練習している音楽やマイクを使って指導している先生の声が聞こえてくると、近所の友達が言っていたのを思い出しました。

先生の言葉使いがひどくて、録音して学校宛に送ろうか?と思うことがあるそうです。

一糸乱れぬ行進などを目指すからでしょうか?

なかなか言うことを聞かない子供達に、きちんとさせるのは、大変だとは思いますが、言葉遣いにも、気をつけてほしいと思いました。




funwaritoさんのブログ-脱原発うちわSH3E03590001.jpg

昨夜、今月の「脱原発ウォーク IN滋賀」に参加しました。


夕食用に「野菜炒め」と「茄子の田舎煮」を作ってから出かけました。


昨年5月から始めて、今回で15回目になります。

先月は、6時半でもまだ明るかったのに、今日はもう暮れて、暗くなってしまいました。

来月は、懐中電灯や携帯型ランプを持って来た方が良さそうです。

駅横広場で、主催者挨拶の後、来月私達のグループで主催する「ミニコンサート&映画上映会」のお知らせをしました。


女性ジャズヴォーカリストの歌と「シェーナウの想い」という映画を上映します。

ドイツ南西部、黒い森の中にある小さな町「シェーナウ」の住民グループが、「チェルノブイリ原発事故」をきっかけに「自然エネルギー社会を子ども達に」という想いから、ドイツ史上初の「市民の、市民による、市民のための」電力供給会社を誕生させるまでの軌跡を綴るドキュメンタリー映画です。

最近、県内あちこちで上映会が開催されているので、参加者数がちょっと心配です。

作ったばかりのチラシを配ったら、二人がチケットを買ってくれました(^_^)v。


10月6日に、「さいなら原発・びわこネットワーク設立一周年記念集会」として開催される報道写真家樋口健二さんの「隠された被曝労働の実態」という講演会についても、主催者から案内があり、「ストップ・ザ・もんじゅ」のメンバーから、福島原発4号機の使用済核燃料の危険性についての資料が配られました。


毎週木曜日の夕方、県庁前に座り込んでいる方達からも報告がありました。

残暑厳しい中で、日焼けしながら座り込み続けていますが、2階の知事室まで声が届くそうなので、嘉田知事に「ブれないで!」と呼びかけているそうです。


顔馴染みになった大津署のおまわりさん達の先導で出発し、「関西電力滋賀支店」前では、「金関行動」を終えて、残っていた人達と挨拶を交わし、琵琶湖畔まで歩きました。


写真は、参加してくれた友人からもらった手作り「うちわ」です。

プラカードより持ちやすく、暑い時はあおぎながら歩けるし、便利です。


昨夜は、彦根市内でも「脱原発・市民ウォーク」が実施されていたはずです。

彦根市立図書館前で、「志賀原発差し止め訴訟」で差し止めを命じた裁判官で、後に弁護士になられた井戸謙一さんのお話を聞いた後、出発し、「関電彦根支店」まで行進すると「あすのわ」お知らせメールが届いていましたo(^-^)o。


あちこちで、みんな頑張ってますV(^-^)V。







図書館から借りてきた「週刊金曜日」の記事から、


佐藤幸子さんという方が書いておられる「福島の空を見上げて」というシリーズの2回目、今年4月の「学校に行かなくてもいいよ」を紹介します。


昨年3月31日、「原発震災復興・福島会議」を3人で立ち上げた佐藤さんは、福島県教育委員会に「学校、幼稚園、保育園の空間線量を測り、ホットスポットを見つけて除染するまで、始業式、入学式、入園式を行わないようにしてほしい」という内容の要望書を提出しました。


驚くことに、福島県ではあの時点でガイガーカウンターさえ持っておらず、学校等の測定予定もなく、当然通常どおり新学期を迎え授業するつもりでいたのです。

要望を受けた県は、4月初めの3日間で測定しましたが、県内の約75%が放射線管理区域であるという結果を知り、愕然としました。


4月18日、「ただちに授業を中止し、子供達を避難させてから除染を行い、安全が確認出来てから再開させてほしい」と各市町村に進言書を提出。


翌日、国が出した結論は、年間被曝量20ミリーベルトでした。

中通り地区を避難させないための基準値だとすぐにわかり、本当にこの国は何を守ろうとしているのか、と怒りが爆発しました。


「病気になっても、医療が発達するから、ガンは治せるから大丈夫だよ、それより経済が立ちゆかなくなる方が大変な問題」と言った地元議員の話を聞いた時、子供の命より経済を優先するこの国を、根本から変える必要があると強く思いました。

戦後行ってきた教育の誤りがもたらした結果と言わざるをえません。


昨年3月13日、山形市に子供だけを避難させましたが、中学3年生になった娘は転校を拒み、一学期はまったく学校へ行きませんでした。


2学期、米沢に引っ越し、母子で一緒に生活することを条件に転校を了解してくれましたが、結局数日登校しただけで、また休んでいます。

娘にとって、この状況を受け入れたくないという意思表示のストライキをしているわけです。


私が娘に出した答えは「命を大切にしない文科省の指導要領の元で行う教育なら、学校へ行かなくていい、お母さんが学校を作るから」


今の日本人に欠けているのは「自分で考えて決断し行動する、そしてその結果に責任を取ること」だと今回の事故でつくづく感じました。


娘は娘なりに今回の放射能問題としっかり向き合い、自分の納得する答えを出していけると信じています。


と書かれた賢くて、しっかりしたお母さんに共感し、「あすのわ」仲間から誘われた「原発事故の責任をただす!福島原発告訴団」に加わる申し込みをして、今夜で15回目になった「脱原発・市民ウォークIN滋賀」に参加してきます。