先週末、TUTAYAで借りてきたDVDの返却日を、土曜日だったのに日曜日と勘違いしていました。 


追加料金が一日150円だったかな?レンタル料金が7泊8日で150円だったと思うから、2本分借りたのと同じかぁと思いました。


借りてはきたものの、平日はなかなか見る暇が無くて、日曜日の午後になって、やっと見終わりました。

映画「悪人」です。

心にズシンと残る映画でした。

それほど楽しくもなく、やりがいもない仕事を繰り返す毎日の中で、若い人達は、本当に愛せる人と巡り合うことを求めて、「出会い系サイト」にアクセスするんでしょうか?

なんか哀しい、せつない二人の物語でした。

心から大切に思う人、その幸せを願う人がいないから、行動が軽くなるということは、あるかもしれないと思いました。


妻夫木君は、ハンサムな好青年の役から脱皮し、演技力もついて、俳優として成長したと感じました。

ラストの哀しみを湛えた目が印象的でした。

この作品で、深津絵里さんは賞をもらったんでしたね。

妻夫木君の演技も、なかなかのものだと思いましたが。

原作を読んで、自ら希望した役だったとか。


NHK朝の「おひさま」で茂兄ちゃん役の永山君は、どことなく妻夫木君に雰囲気が似ていると思ったのですが、この映画に出ていたんですね。


TUTAYAは、夜12時まで開いているので、夕食後NHKの大河ドラマを視てから、返しに行くつもりでした。

夕食の時、いつものようにワインを用意して、一口飲んでから、気がつきました。

しまった!!

車でTUTAYAへ行こうと思っていたんでした(>_<)。

あ~、ついついいつもの癖で、飲んでしまった~(ToT)。

オットは、もちろん晩酌のビールを飲んでしまっています。


明日返却ということになり、もう一日分、延滞料金を払うことになってしまいました。



本田さんは、「技術は人のためにある」と考え、世間の人達が喜んで買ってくれる物を作るのが技術者の喜びで、誇りだと言っていたそうです。


これは「近江商人」の家訓「三方よし」(人が喜んでくれて、社会に役立てば、自分にも良くなる=お金も儲かる)に通じます。

自分だけ儲かればよいという経営者も増えたのが嘆かわしい今日この頃です。


“HONDA”は、原動機付き自転車とか“スーパー・カブ”とか庶民の暮らしに役立つ物を造り出したのでした。


アメリカが“マスキー法”を出した時は、苦労してCVCCエンジンを開発して、注目されました。


エンジンを水冷にするか空冷にするかで、若い技術者達と論争し、空冷を主張する本田さんに若い技術者は失望して、失踪してしまったことがあったそうです。


本田さんは、後日「水冷」の方が良いと理解して、そちらに決め、若い人達がどんどん成長していることを感じて、うれしかったそうです。


そして、その失踪した技術者が後に社長になったんだそうです。


仕事には厳しく、現場では、しょっちゅう工員さんを怒鳴り、スパナで殴ったりしたこともあるそうです。


引退後も、「名誉会長」等にはならず、「相談役」となり、社員には「オヤジ!」と呼ばれていた
そうです。


関係会社も一緒の運動会の時、「新しい社長も私も、いい加減で、ホンダはいい加減な奴が社長になることになってるから、危なくてしょうがない!みんなにしっかりしてもらわなきゃ!」と挨拶して、「いいぞぉー!オヤジ!」と社員から喝采を浴びていました。

「全部俺が決めるから、黙ってついて来い!」というトップより、社員達をやる気にさせるかもしれないと思いました。


これは、本田さんが亡くなった後、“ソニー”の井深さんが回想するNHKの特番で視た話です。


自分の告別式は、派手にはするな、自動車を造っている会社が渋滞の原因を作ってはいけないと遺言していたそうで、“HONDA”に入社した友達の息子さんも、この話を会社で聞いたそうです。


本田さんのお墓には、たしか「夢」という字と「人生を楽しませてくれて、ありがとう」と刻まれていた映像を見た記憶があります。


うちの息子が自動車会社に就職したいと言ったら、“トヨタ”じゃなく“ホンダ”にしなさいと言おうと思っていました。

一流企業だし、なかなか入れないかもしれないですね。息子は文科系だったし。


うちの車も“ホンダ”のを買おうと言いましたが、夫の柔道部の後輩が“マツダ”のディーラー経営者の息子で、退社して、そこで働いているから、彼から買ってやるからと、却下されたのでした。


今日は、「目刺し」のエピソードが有名な「行政改革」の元経団連会長土光敏夫さんです。



日曜日朝のテレビ「サンデー・フロントライン」で、甲子園球場の屋根に太陽光発電パネルがあると知りました。


自動車会社の“HONDA”が造ったんだそうです。


創立者で社長だった本田宗一郎さんの「技術は人のために」という特集でした。


激辛評論家佐高信さんが、本田さんのことをすごく褒めて書いてたので、知っているエピソードが多かったけれど、魅力ある人物で、立派な経営者です。


三重県の鈴鹿市に工場を造ったら、愛知県の挙母市が「豊田」市と名称を変えたように「ホンダ市」に変えましょうか�と市長が申し入れたそうですが、本田さんは「とんでもない!!」と断り、会社を私物化してはいけないと息子さんを入社させず、社名を「本田技研」としたのも後悔して、「ソニー」みたいにすれば良かったと友人の井深太さんに語ったそうです。


“トヨタ”も“パナソニック”も息子や娘婿、孫を社長にしていますね。


自分が苦労して創りあげたた物や獲得した地位は、我が子にそのまま引き渡したいと思うのが、“普通”の人ですが。


本田宗一郎さんのエピソードは、まだまだたくさんあります。