11日の「さいなら原発、びわこ集会」の記事にあった「福島の子供達の保養キャンプ」について、少し説明します。


放射能の少ない地域へ避難したくても、親の仕事や経済的事情、子供が友達と別れたくない!、とか部活動を離れたくない!と主張する等の理由で、福島にとどまる家族も多いですね。

そんな親子に春休みの一週間だけでも、放射能の少ない土地で、思い切り遊び、元気になってもらう「保養キャンプ」をしようと「あすのわ」の仲間達が実行委員会を作りました。


「チェルノブイリ原発事故」で被曝した子供達を日本に呼んで保養をしている野呂美加さんの講演会を昨年秋に主催し、「保養」の効果を知った「あすのわ」のお母さん達が企画したのです。


滋賀県北部のマキノ高原で、民宿を貸して下さる方があり、40人の親子が一週間キャンプをする計画を立て、募集したら、すぐいっぱいになったそうです。

「オーガニックマーケット」やバザーを計画して、資金を集めているところです。

新聞の「放射能汚染対策」特集にありましたが、“チェルノブイリ”原発事故被災地でも、「保養」に行った子供達はガンになる確率が減ったそうです。

汚染地を出て、汚染されていない物を食べると、放射性物質が妨げていた体内の遺伝子の修復速度が速くなり、新陳代謝が良くなるそうです。

子供の体内の放射性物質が、30日間の保養後、5~7割排出され、半分以下になることが確認されているとか。

だから、ウクライナとベラルーシでは、両国とも厳しい財政の下でも、子供の健康問題を国家的な優先課題としていて、国の事業として子供達を毎年汚染地の外に保養に出しているそうです。


福島原発の事故直後、政府は地元に確かな放射能拡散情報を速やかに伝え、子供達や妊婦さんだけでもいち早く避難させるべきでしたし、そのために惜しまず援助すべきです。

が、いっこうにしないので、各地でNPOやボランティアによる「保養」の取り組みが始まり、「あすのわ」でも企画しました。


頼りにならない親を持つと、子供がしっかりしてくるように、アテに出来ない政府を持つ国民は不幸の中で、お互いに出来ることをして支えあっています。


そんな政治家を選んできたのは国民ですが。自分で自分達の首を絞める結果にしている人達が多くて。

今回の震災と原発事故で、自分達の生活や将来に政治が大きく関わっていることを実感し、無関心ではいられなくなった市民達、特に若いお母さん達が動き出したことで、少しずつでも社会が変わっていくのではないでしょうか?


議会に請願書を出すなんて、これまでしたこともない体験を重ねて、鍛えられ、強くなった「あすのわ」のお母さん達を頼もしく感じます。


川田龍平さんが国会議員に立候補して、当選した時に「動けば、変わる!」と言っていましたが、それを実感することもあります。


もともと日本は先進国の中で教育にかける予算が少なく、公共事業にかける予算が多いと湯浅誠さんが言っていました。


子供を大切にしない国に、未来の繁栄は無いと思われます。


10万年も後の子孫達に危険な使用済核燃料を大量に残しても、原発を動かし、自分達の利益を守る道を突き進もうとするオジサンやオジイサン達が政界、財界、官庁にたくさんうごめいてますもんね。

その廃棄物の危険性がわかった時点で、原子力発電はあきらめ、やめておこうと考えるのがまともな人間だと私は思いますが、昨日の新聞に「かつて原発の建設・運転開始に際し、廃棄物処理の見通しが立っていなかったのに、人類の英知に期待して、いずれ運転中に安全な処理方法が見つかるだろうと見切り発車した経緯があります」と池上彰さんが書いていました。


傲慢でしたね。「原子力」は、人類にはコントロール不可能だと小林先生や小出先生も言われました。

18年くらい前、生協の環境政策を作る委員会のメンバーになったことから、環境問題の学習を始めた時、インディアンは7代先の子孫達のことを考えて、現在のことを決めるという文章に出会い、感心しましたが、今各国で権力を握っている人達となんという違いでしょう。インディアンは、そんな人達に征服されてしまったのかなぁ。


母親達は、世界中でただ一つの自分の命より大切な我が子の命と健康とその未来を守りたい!と願い、そのためなら今より不便な生活になっても、貧しくなっても平気!と思います。

原発をやめ、火力発電等にしたことで、電気料金が高くなったら、企業が海外に出て行ってしまい、経済が停滞するとオジサン達はよく言いますが、私達母親に言わせれば、「命あってのものだね!」です。

このあたりの価値観の違いは、なかなか埋まらず、夫婦喧嘩のタネにもなったりします。


先月、「あすのわ」主催でジャーナリスト守田敏也さんに「被災地現地報告」をしていただきましたが、講演後の交流会で、その話になりました。

「それは、なかなか難しい問題だけど、これまでずっと経済第一でやってきた結果、うまくいってないことがはっきりしているから、男達は偉そうなことは言えないんじゃないかな」と言われました。


先日、NHKでオランダの教育をルポしていました。子供が小さいうち、両親は週休3日とか4日を選択し、父親も子育てや教育にじっくり関わることが出来るシステムになっているそうです。

仕事の時間を減らしたら、収入は減るけれど、それよりも子供達と関わる時間、家族一緒にすごす時間を持つ方を選ぶとオランダの父親は言っていました。


お金や物をたくさん持つことを目指すより、みんなの命や心を大切にして、育んでいく社会にしたいです。


今回の震災と原発事故で、多くの人が自分にとって本当に大切なものはなんだったのか?本当の「幸福」とは何かを考えさせられたのではないかと思います。


大切なものを守るため、お母さん達は頑張ってます!




昨日、「東日本大震災」の一周年を前に、「大飯原発」3.4号機などの再稼動を止め、廃炉を実現するための、「さいなら原発・びわこ集会・パート2」が大津市民会館で開催されました。
 
 
私も友人達と参加しましたが、「あすのわ」の仲間がメールで報告してくれたので、コピーして送信します。
 
 
小林圭二さん(元京大原子炉実験所講師)が、「原発の運転再開に反対する根拠」と題して講演され、福井の原発が、加圧水型で、福島原発の沸騰水型とは異なり、原子炉内の水位が確認しにくく、いわゆる空焚きによる炉心熔融が起こりやすく、福島原発よりも危険性が高いこと。
 
メルトダウン・メルトスルーした福島原発で冷温停止などありえず、底の抜けたバケツに水をかけその温度を測って冷温などといっている。大事なことは、地下にある汚染水が海に流れ出ないように、遮水壁を建設することだ。しかし、10月着工といっていたのに、未だに進んでいない。
 
除染も放射能を移動させるだけで、何も役立たない。逆に放射能の濃縮を招くこともある。ストレステストも、テスト結果を判断する基準は無く、再稼動をもくろむためのものだ。
 
大飯原発を再稼動させてはならず、原発がなくても、電力供給に全く問題はないと結ばれた。
 
次に、2006年3月、金沢地裁で裁判長として、北陸電力に対し、地震対策の不備などを理由に志賀原発2号機の運転停止を命じる判決を下した井戸謙一さん(福井原発再稼動禁止仮処分裁判にかかわる弁護士) の報告がありました。
 
現在彦根市で弁護士活動を展開しておられる井戸弁護士は、福井原発再稼動の禁止の仮処分を求める裁判について、再稼動するなら福島の教訓を踏まえてからでないとダメだとする、極めて控えめな裁判だが、これは、再稼動の議論が高まるまでに、仮処分によって早い結論を求めようとした提訴の意図を話された。滋賀県民を中心とした168名の原告が、つまり立地県でない滋賀県民が提訴していることの意義と、4つの争点〔原発の老朽化・耐震問題・津波の想定の低さ(2m)・立地場所が傾斜地であり、深層崩壊が起これば原発はひとたまりも無い〕で争っていることを説明された。
また、週開けに提訴される大飯原発3.4号機再稼動を止める裁判について、現在は、再稼動は政治判断と地元了解によって進められようとしているが、法律的にそれを出来ないようにしようとするもの。つまり、法律的には、再稼動のためは、経産相が定期検査終了証を電力会社に交付する必要があるが、既に、安全設計審査指針(いわば基本設計に当たるもの)が短時間の電源喪失しか想定されていないた既に効力の無い指針になっている(安全委員会・斑目委員長ですら認めている)ため、それに基ずく技術基準(いわば詳細設計)も意味が無く、したがってそのような指針も基準も無い中で、定期検査終了証の交付は出来ないことから、短期間に、再稼動を法律的に止められる裁判だということでした。
 
集会後、友人とこの「裁判を支える会」に入りました。
 
最後に、福島の人たちが、20ミリシーベルトまで安全として20ミリを強制されていること、そのため疲れきっている状況や、不安を口にできない状況---不安を言えば「非国民」「非県民」扱いされる「戦前ではないか」と思われる状況---にあり、福島の子どもたちを放射能から少しでも遠ざけるための「びわこ1・.2・3キャンプ」(福島の親子を40人、3月26日~4月1日、マキノ町にむかえて、外でゆっくり楽しくすごしてもらう支援交流キャンプ)のような取り組みが大事だと、このような取り組みに対する支援を訴えられた。そして、今こそ日本が変わらねばならない、今が正念場だと、さらに強く訴えられた。
 
そのあと、さまざまな取り組みのリレートークや兵庫と京都の集会から駆け付けてくれた社民党の服部議員の国会ミニ報告、そして、「びわこ1・.2・3キャンプ」に取り組む実行委員会の支援・カンパ要請がありました。
 
集会決議と挨拶で集会は閉じられ、その後参加者150人で大津駅までデモし、大津市民に再稼動反対を訴えました。。
 
今日は、全国各地で大規模な集会やデモが行われていました。
 
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funwaritoさんのブログ-京都の陶器雛SH3E02200001.jpg

funwaritoさんのブログ-梅田さん作のお雛様SH3E02150001.jpg

funwaritoさんのブログ-杉岡さんからのお雛様SH3E02190001.jpg

2月初めから、原発関連の学習会等が続いて、忙しい日々を過ごしているうちに3月になってしまいました。


昨日は、「ひな祭り」でしたね。


我が家も、御雛様を飾っていました。


商売をしていた実家は、私が小さかった頃はそれほど豊かではなかったので、段飾りの御雛様等無く、母が実家から持って来た古ーいお内裏様があっただけでした。

小学六年生の時、同級生の家のひな祭りによばれたら、三姉妹の真ん中だった彼女の家の奥のお座敷には、7段飾りの立派な御雛様がありましたっけ。


その後、商売も軌道に乗って、少しずつ経済的にも余裕が出来てきた我が実家でしたが、私もそれほど大きなお雛様を欲しいとは思わなかったし、仕事と家事で毎日忙しい母も飾ったり、閉まったりに手間がかかる御雛様を買おうという気持ちも無く過ごし、結婚して出てきました。

娘が生まれていれば、御雛様を買おうという話が両親から出てきたと思いますが、残念ながら息子だけだったので、ケース入りの五月人形を買ってもらいましたが、御雛様はずっと無いままでした。


それで、毎年この季節にはなんとなく寂しい気がしていましたから、京都で小さな陶器の御雛様を買ってきました。


2番目の写真です。高さ10㌢ほどの小さなものですが、なんとなく華やかな気分が漂います。飾るのも、片付けるのも、あっという間です。

3番目は、生協で知り合った友人が作ってプレゼントしてくれたもの。フィルムケースに和紙です。
顔が描いてなかったので、私が描き入れました。虎は、寅年の時のミニ鏡餅の上に付いていたもの。私は寅年なので、飾っておきました。


1番上は、パッチワークを習っていた時に作ったタペストリーで、オーガンジーを貼って、透かしています。


3番目は、その教室で一緒だった友達が着物地で作ってプレゼントしてくれた御雛様です。台は後から私が作り、屏風も付け、我が家のミニ御雛様達を並べました。


「散らし寿司」に、「蛤のお吸い物」など作れば、更に気分も盛り上がったでしょうが、冷凍庫が一杯になり、賞味期限が近づいたものから食べる都合で、蟹の「しゃぶしゃぶ」になってしまいました。