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うちの庭の「さくらんぼ」の木に花が咲きました。

毎年、桜よりひと足早く咲き始め、近づくと、いい香りがします。


引っ越して来たばかりの頃に、生協の特別企画で苗木を購入し、大きめの植木鉢に植えて、当時小学生だった息子と何年後かに実が成るのを楽しみにしていました。

なかなか大きくならないので、夫が庭の隅に植え変えたら、グングン育ち、大きくなりました。


花は咲くのですが、市販のより小さくて、ちょっと酸っぱい実がほんの何粒か成るだけで、それも赤くなりかけると、鳥が飛んで来ては食べてしまいます。


夫がネットをかけますが、食べられる実は少しだけです。


「さくらんぼ」は2種類の木を授粉させないと実は成らないとか本にあったので、以前違う種類の苗を買って来て植木鉢に植えたのですが、そちらは枯れてしまいました(>_<)。


筆等で授粉させるように夫に言われましたが、この時期私は花粉症(T_T)で、出来るだけ外に出たくないので、なかなか出来ません。


花は、もう散り始めています。

その後、葉が茂ると、毛虫がいたりするので、気をつけないと。

洗濯物を干す時に触って、手が腫れたことがあります。


狭い庭には、自然に生えてきた柿の木もあり、渋柿だったので、下の方の実は干し柿にし、上の方の実は取らずにおいたら、鳥が飛んで来て啄んでいました。


野鳥のお腹を満たしてあげて、ちょっと善い事をしたような気分で、ありがとうございましたと、鳥が恩返しに小判でも持って来ればいいのになーんて思っていたら、糞を落として行ったのです。


おのれ!恩を仇で返すか!と思いました。

先週の日曜日、大津の三井寺で「あすのわ」の仲間達がマーケットを開きました。

春休み、福島の子供達に保養キャンプに来てもらうための資金作りです。

「オーガニック・マーケット」には、こだわりの食品を、「つながる、つながるマーケット」では、手作りの品物を販売することになり、出店者を募集しました。

私も友達と二人で出店を申し込みました。

私はニット小物を、友達は布小物や室内履き、手編みのスヌード等を用意しました。

出店料と売上の一部が「保養キャンプ」にカンパされます。


天気予報が「曇り時々雨」だったので、心配でした。


当日の朝、いつもの休日より早起きして、車に作品やシートを積み、友達の家に迎えに行ったところで雨が降り出しました(ToT)。

実行委員会からのお知らせでは、小雨決行と書いてありましたが、「雨の場合、出店者の判断で、連絡すれば取りやめ可」とあったので、テントは持ってないし、作品が濡れるのは嫌だったので、友達と相談して、出店を止めることにし、実行委員長に電話して、帰宅しました。


しばらく雨は降り続きましたが、午後からは止み、出かけて行った友達は、かなりお店が出ていて、お客さんも結構いたと言っていました。


こだわりの食品や手作り品を見て回ったり、買ったり出来なくて、残念(;_;)でした。

「オーガニック・マーケット」は、これから毎月第三日曜日に開催する予定なので、来月を楽しみにします。

「つながる、つながるマーケット」の方は、2~3ヶ月に1度の開催らしいですが、来月はやるそうです。

今月初めから、花粉症で頭も重く、いろんな事にやる気が出ない状態でしたが、昨日、県議会の傍聴に行って、出会った「あすのわ」の仲間に私達の作品を楽しみにしていたのに、残念だったわと言われ、うれしくて、作品を作る意欲が湧いてきました。


来月は、晴れるといいなぁ。



3月11日、大阪での集会に参加した「あすのわ」仲間から報告メールが届いていました。
 
 
飯舘村の長谷川さんのお話は、私も昨年夏に滋賀で聴きましたが、少しでも多くの人に知って欲しいので、(私の感想)も加えて、記事にします。
 
 
→3.11は、全国各地で脱原発を目指す取り組みが行なわれました。福島では、16,000人もの結集により福島県民大会が成功したようです。これは、全国集会の様相もありますが、やはり、原発に不安を言ったり、放射能の心配を行動に移すとき、村八分や「非国民」扱いされる状況を突破して、まさに勝ち取られたものと思います。
 
関西では、「さよなら原発3.11関西1万人行動」などが開催され、午前の中之島公会堂での被災地からの報告などの催しと、午後の3つのコースにデモコースを設定した取り組みなどがありました。
私は、午前の公会堂での催しから参加しましたので、その福島と福井の方の報告を伝えします。重要な提起がありました。
 
まず、福島・飯館村の酪農家(伊達市に避難中)の長谷川健一さんは、「原発事故が奪ったもの」と題して報告されました。
長谷川さんは、飯館村の前田地区の区長ですが、原発事故後の3月14日に40マイクロシーベルト(μsv)を村内で確認したが、村長に「誰にも言うな」と止められたという。しかし、「翌15日に区内のみんなを集めてすべての手に入れた情報を公開した。そして、子どもを外に出すな、大人は外出するならマスクをし、帰ったら着ているものを脱げ、換気扇はかけるななどと指示した。しかし、一番線量が高かった15日にみんなを集めたことには、今も後悔している。
当時、同心円で避難指示がなされたが、線量を知っていたので、飯館村を囲んでたんこぶのように描いてくれと報道記者に言ったが、報道されなかった。そのあと、御用学者が村に入ってきて、「大丈夫だ」といい続けた。村長も村民も安心させられていった。そして、その直後飯館村が計画的避難区域に指定されたら、御用学者は逃げた。村長は、データを公開するなと。結局、村民の避難は、8月になってしまった。
人は避難しなければならない、が、牛は動かすな、移動しないということとなった。だから廃業を決断せざるをえなかった。牛を殺すしかなかった。妻は泣いた。情けなかった。
長谷川さんは、残酷な写真ですがあえて見せますと、牛舎で餓死している多くの牛の写真を披露された。生きていた豚が牛の死骸を食べていた写真も。
 
その後、ある54歳の酪農家が自殺した。壁に、「原発さえなければ」と書き残して。
続いて、102歳のあるおじいちゃんが「俺がいたら足手まといになると」自殺した。92歳のおばあさんは、「墓に避難する」と自殺した。
 
除染は、400m四方で6億円かかるという。除染を村は20年かけてやるという。村の75%の山はどうか訪ねると、里山で、それも家から20mまでだという。放射能は浮遊もしている。除染してもまた汚染されることとなる。
村は、除染の方向1本だ。故郷へ帰りたいが、村を出ることを考えるべきだと思う。除染と、一方で村に帰らないという2本のレールで進めるべきだ。
 
自分の世代は戻っても、子どもや孫は戻れない。汚染されすぎた。自分たちが死んだら、村は廃村にするしかない。
ヒロシマ・ナガサキでも、被爆者差別があった。福島差別もある。飯館差別も。
差別が起きない社会づくりが大事だ。
そして、絶対風化させてはならない。『終息宣言・原発再稼動』・・・この国はどういう国なのか!と怒りをもって訴えられた。
 
(政府からの連絡が無かったため、避難が遅くなり、子供達を被曝させてしまったことがすごく悔やまれると言われました。
「“スピーディ”の存在を知らなかった」とか政府首脳陣は言ってましたね。すごい予算を使ったはずなのに!なんという宝の持ち腐れ!血税の無駄遣い!文科省が首相にすぐに知らせるべきでした!許せない、取り返しのつかない罪です!)
 
次に、福井・美浜町の松下照幸さんは、現地では原発があることの不安と原発が無くなることの不安がある。原発が無くてもやっていける提案が出来れば、やっていける。町長ともこのことで話をした。
 
国からの贈り物として、新幹線を敦賀まで伸ばすということと、中部縦貫道の延長だ。これらこそ、原発再稼動に向けた働きかけだ。大飯原発3.4号機には、熊川断層などが近くにあり、これら3つの断層を考慮して大飯原発の耐震を評価していく必要がある。
 
フクシマのあとでさえ、運動に誘うことは、現地では難しい。嫌がらせや恫喝があるからだ
原発立地している所に住む者に、原発を止めてくれというのは幻想だ。電気を使う者こそ原発の電気はいらないと言ってくれないと原発は止められない、と訴えられた。
 
午後は、剣先公園で集会があり、数千人集まっていたと思いますが、参加人数の発表は無かったです。集会後は、西梅田までデモをしました。大阪での全体数は、15,000人という報道があります。
 
それにしても、テレビなどを見てますと、反原発の集会デモの報道は少なかったように思います。震災のことはあれだけ流しているのに、反原発の行動は少ない。これは抑えているとしか思えません。
 
(翌日月曜日、朝のワイドショーでは、「モーニングバード!」だけが、福島郡山での集会と東電本社と国会議事堂を囲んだデモを映していました。)