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ふんわりすとへようこそ!

~*~ I'm happy because I'm happy ~* ~

先週の コンティニュアム・ムーヴメントの

zoomクラスで、

ちょっと試してみたことが あります。

 

 

最後のダイブの時間が 

半分以上  経過したあたりでのこと。

 

音と風が気になり、

そのとき 少し開いていた 部屋の窓を 

閉めたくなったのですが・・・

 

窓を閉める、という行為を

オープンアテンションと からめて

やってみよう、

と、思いつきました。

 

 

以前にも 書いたかもしれませんが、

コンティニュアムのオープンアテンションは、

サガプリヤワークのトレーニングの中で

よく行われる‘Yesのガイド瞑想’と、

通ずる部分が あります。

 

根っこの部分は同じだろうな。

 

 

その Yesのガイド瞑想の中には、

このようなパートが あるんです。

 

「方向は定めておくが

あえて その行動を起こすことはしない、

自然とそれが起こるのを 待つ」

 

いま 思い返してみると、

当時の私は

それを 全然 理解していませんでした。

 

カタチを 取り繕うことにばかり

一生懸命になっていたから。

 

いまとなっては 苦い思い出です。

 

 

一方、コンティニュアムのクラスでは、

シークエンスの練習やダイブを終えるときには、

先生から こんなふうに 声がかかります。

 

「いま、動きが出ているひとは、ゆっくりと、

その動きを おさめる方向へ 向けていきます。」

 

その言葉を合図に、

自分のペースで オープンアテンションを

終わらせ、元の位置に戻るのです。

 

 

ということは、その応用として・・・

 

「オープンアテンションの状態のまま、窓を閉める」

のも、可能なのではなかろうか?

 

「窓を閉める」という方向を定めることで、

‘わざわざ’ 窓へと向かっていくことなく、自然と

窓に近づいていく → 手を伸ばして 窓を閉める、

という一連の動作が起こり得る・・・

のではないだろうか?

 

と、考えたのです。

 

経験上、それには 相当の時間を要することが

想像できましたが、

いまの自分に それが どこまで 可能なのか、

ここで 試してみることにしたのでした。

 

 

結論から言うと、

残りのダイブの時間内で 窓を閉めることは

できませんでした。

 

「窓に近づく」つもりで 動くのではなく、

まず 優先するのは 

オープンアテンションでいること。

 

その中で、行動の矛先を ほんの少しだけ

突っついてみる。

 

その結果、自分は どうなるのだろうか?

いまの自分は、どうなんだろうか?

 

意図の方が強くなっていることに

気づいたときには、

まっさらな オープンアテンションに

立ち戻る。

 

ひと息、ひと呼吸、その繰り返し。

 

 

想定以上に、

意図する方向へ 自然と 傾いていくのには

時間がかかりました。

 

15分あまりを それに 費やしたものの、

窓に手を伸ばしかけたところで

先生から 声がかかり、ダイブの時間は 終了。

 

私は あきらめて、

いつもの動きで さっと窓を閉めて

画面の前に 戻りました。

 

 

これを やってみて わかったのは、

やはり コンティニュアムは

私の望む人生の在り方へと 

後押しをしてくれるものだった、

ということでした。

 

シークエンス+オープンアテンション

という 限られた時間は、

練習、リハーサルのようなもの。

 

その練習の中で 得たもの、

培われたものが、

じわじわと 実生活にも 及んでいくようです。

 

 

 

 

 

あの頃は理解できていなかった

大切なものに、

自分が 少しずつ 近づいていっているのを、

感じています。

 

 

ありがとうございます。

 

 

 

クローバーコンティニュアムのzoomクラスは、

4月から、水曜日の10:30~になりました。

ご興味のある方は、こちら からどうぞ。

 

 

 

 

ここ1ヶ月くらいでしょうか。

どうにも 調子が悪くて・・・。

 

いや、適切な表現が見つからなくて、

わかりやすく 「調子が悪い」

と言っているだけで、

なにか、どこかが 悪いわけでは

ないのです。

 

いろいろなモノが 剥がれ落ち、

隠れていた本音が

続々と 姿をあらわしてきているところ。

 

これまでの自分の習慣との違いに

戸惑っている、

馴染めずにいるのでしょう。

 

 

今朝、zoomクラスで

コンティニュアムをしているときにも、

どうにも 気持ちの悪い感じが

拭えずにいました。

 

真逆の2つの力が、自分の中で

互角に 引っ張り合っているのが、

気持ち悪い。

 

内側に向かおうとする力と

外側へ散っていこうとする力。

 

沈黙と不動を守ろうとする力と、

なにかを起こそうとせずにはいられない力。

 

そのときどきで あらわれる

さまざまな種類の 相反する2つの力が、

オープンアテンションの最中にも

めまぐるしく 変化していく。

 

どちらもが均等で 決着がつかないのが、

気持ち悪い。

 

 

 

 

 

でも きっと、その引っ張り合いは、

これまでも 常に 行われてきたこと

なのでしょうね。

 

これまでは、

相反する2つの力のうちの どちらかを、

外側の動機に合わせて

瞬時に、自動的に、選択していた。 

 

自分が そんなことをしているだなんて

気づきもしないほど、

ごくごく アタリマエのことだった。

 

あまりにも それが 自然に

行われていたものだから、

その2つの力の引っ張り合いを 

ここまで 体感することがなかっただけ

なのでしょう。

 

 

意図したわけではないけれど、

どうやら いまは、

外側と内側の動機、どちらに応えるかの

切替の最中のようです。

 

意志を持って 決めてしまえば、

プロセスは もっと 速く

進んでいくのでしょうけど。

 

その過程をも ぐだぐだと 楽しむのが

また 好きなんだもの、

多少 苦しくても、しかたがありません。

 

せっかくだから、

これも 存分に 味わっておこう

と 思います。

 

 

クローバーコンティニュアムのzoomクラス、

4月から、水曜日の10:30~になりました。

詳しくは、こちら

 

 

ありがとうございます。

 

 

 

もう何年も前のことなのですが、

友人と雑談をしているときに

「どうやって エネルギーを発散しているの?」

と 聞かれたことが ありました。

 

彼女は 体を動かすことが好きで

ダンスやスポーツなどで 発散している、

と。

 

一方の私は、運動が 好きではないし、

日々の生活の中で、特に 体を動かすようなことは

していない。

 

「なら、どうやって(発散)?」と、

不思議そうに 聞かれたのです。

 

 

うーん、

自分でも わかりませんでした。

 

というか、

「発散する」「発散する必要がある」

ということ自体に

あまり ピンときていませんでした。

 

発散、というと、「ストレス」という言葉が

連想されますが、

なんか、それとは 違うみたいだし。

 

結局 それに関しては うやむやになったまま

別の話題へと 流れていきました。

 

 

今日、ふと そのときのことを 思い出したんです。

 

あのとき 彼女が言っていた

(エネルギーを)「発散する」 という言葉。

 

それは、私にとっては

(エネルギーを)「逃がす」という言葉に

相当するのかもしれない、と。

 

私の場合、

意図的に 強く放出する、というよりも、

日常のなにげない行為を通して

じわじわと 排出していたのかもしれない、と。

 

 

自分の中にある

なんだか 得体のしれない 心地よくないものを

ここ数日、いえ、

波としては もっと長い期間に渡って

感じていたのだけれども。

 

「どうにも、キモチ悪い。

ちょっと お散歩に行ってこよう。」

 

そう 思い立ったときに、

「エネルギーを逃がす」 という言葉が

思い浮かんだのでした。

 

 

ただ それだけのことなんですけどね。

 

表現のしかた ひとつで

しっくり くる・こない、というのが

私には よくあることで。

 

なんか 自分で 妙に納得したのが 

嬉しくて、書いてみました。

 

 

ああ、ちなみに、

その、得体のしれない 心地よくない感じは、

お散歩しても 

逃げていくことは ありませんでした。

 

むしろ、もっと強くなった・・・。

 

ただ、お風呂に入りながら

じっと その感覚とともに いてみると、

その正体が わかりました。

 

私にとっては ちょっと感慨深いこと

でもありました。

 

それについては また後日、

気が向いたら 書くことにします。

(なんか 面倒な気もするので、書かないかも・笑)

 

 

ありがとうございます。

 

 

 

ここ2週間ほど、PCでの ある細かい作業を

集中的にやっていたせいか、

右の手首が痛くなりました。

 

知らず知らずのうちに

力が入りすぎていたのかもしれません。

 

 

買い物に出かけたついでに

湿布を買っておこうかな・・と 考えて、

私は はっとしました。

 

やだ、私。

ウインターグリーンの存在を

忘れてたわ!

 

 

湿布といえば、ウインターグリーン。

ウインターグリーンといえば、湿布?

 

ご存知の方は ご存知でしょうけど、

ウインターグリーンの強烈な あの香りは

湿布を連想させるんですよ。

 

 

なんで 思いつかなかったんだろう。

そうだ、そうだ。

ここは、ウインターグリーンさまだ!

 

私は 帰宅するなり、ウインターグリーンを

手首に 塗りたくりました。

 

そうよ、この:香り。

そして、じわじわと しみ込む、この

‘仕事してくれてる感じ’

 

 

「おぉ、入ってる、入ってる~♪」

という、この‘仕事してくれてる’感は、

単なる皮膚の反応にすぎないのでしょうけど。

 

これ、結構大事だと思っています。

 

「仕事してくれてるー!」と感じることで、

カラダが元の状態に戻るための道筋が整う、

というか、一直線に向かえるようになる、

と、思うのです。

 

たとえ‘気のせい’だとしても(笑)

 

この、「仕事してくれてる♪」って

自分が喜んでいる状態が、

プロセスを加速させてくれるんですよ。

 

・・・たぶん。

 

 

だから、精油を 使うときには

そのとき 自分で 心地よいと感じるもの、

「なんか、これ、合うかも?」と思うものを

選ぶようにしています。

 

(イヤだと感じる香りには、それはそれで 

使う意味が あるんですけどね☆)

 

 

 

 

ウインターグリーンを 使うのは

かなり久しぶりでしたが、

この 塗ったときの ‘仕事してくれてる感’

に 触れて、

そのパワーを 思い出しました。

 

痛いのに、なんか ヘンなんだけど、

ちょっと わくわくしています。

 

 

ありがとうございます。

 

 

 

 

花粉症について、ふと 思ったこと。

 

私は、ひどくはないのですが、

数年前から「たぶん 花粉症?」

のような状態です。

 

とはいえ、先月 眼科で

簡易アレルギー検査を受けたところ、

一般的な花粉には 

反応しなかったんですけどね。

 

 

先日、いつも飲んでいるハーブティを

買い足すときに、

花粉症用と思われるブレンドディーが

目についたので、それも 買ってみました。

 

このお店のハーブティーって、

即効性は感じないけれど、

体質改善的に じわじわと

‘そっち’(ブレンド目的)の方向へと

導いてくれるような体感。

 

だから、美味しく飲み続けているうちに

花粉症が気にならなくなったらいいな、

くらいの軽い気持ちで購入したのでした。

 

 

けれども、今朝 改めて

そのパッケージを見てみると、

「グスグスすーっとさせたいときに」

って 書いてある。

 

あれ?

これって、鼻づまりを改善する、ってこと?

 

 

私の症状は、くしゃみ、鼻水。

(外に出たときなど、軽く反応する程度)

 

いわゆる、‘排出系’

 

鼻づまりのような、‘内に溜めこむ系’

ではないんです。

 

 

そのとき、思ったのが、

「もしかして、花粉症の症状にも、

そのひとに必要な‘なにか’が あらわれているのかな」

ということ。

 

もちろん、外に出す系の症状、

内に溜めこむ系の症状、

その両方に悩まされている方が

圧倒的に多いのでしょうけどね。

 

 

ほら、お通じだって、

出ない=過去の出来事に執着して手放せないでいる

ゆるい=目の前のことに向き合えずに流してしまう

とかっていう傾向があるらしいし。

 

(もちろん、すべてが当てはまるわけではありませんよ!)

 

 

 

 

症状によって 自分の課題が見えてきたら、

おもしろいな。

 

考えてみたら、私、自分が不調のときは、

カラダの右半身、左半身、どちらか?

どんな感じがするのか? という観点から

自分の内面に対処することが 多いです。

 

男性性と女性性、どちらの問題なのか?

なにを訴えようとしているのか?

などなど。

 

 

花粉症にも、なにか  そういう傾向が

あるのかしら。

 

いろんな花粉症の方を 観察 

& 話を聴いてみたくなりました(笑)

 

 

ありがとうございます。