ライフワーク=職業とは 限らない、
というのは、よく言われています。
もう15年くらい前になりますが、
それに関連して 聞いた
「ただ祈ることをライフワークとしている人もいる」
という話を、最近 よく思い出します。
そのときは、「は?」と 思ったけれど。
(ワタシのライフワークはナンだろう?と
血眼になって探していた時期)
いまは、なんとなく わかるような気がします。
それもアリだな、と。
私は 祈っているわけではないんですけどね。
ありがとうございます。
ライフワーク=職業とは 限らない、
というのは、よく言われています。
もう15年くらい前になりますが、
それに関連して 聞いた
「ただ祈ることをライフワークとしている人もいる」
という話を、最近 よく思い出します。
そのときは、「は?」と 思ったけれど。
(ワタシのライフワークはナンだろう?と
血眼になって探していた時期)
いまは、なんとなく わかるような気がします。
それもアリだな、と。
私は 祈っているわけではないんですけどね。
ありがとうございます。
見惚れる、聞き惚れる、
とは よく目に(耳に)する表現ですが、
先日、‘居惚れる’という体験をしました。
コンティニュアム・ムーブメント zoom クラスの
ダイブの中でのことです。
先日も書いたように、
「ゴリラハミング」を行っている最中に
私は 少しばかり 重苦しい気分になっていたのですが、
そばにいた クリスタルが 自発的に!
ヒーリングしてくれたおかげで、
その後は クラスに集中できるように
なっていました。
ハミングとハミングとの間にできる、
息継ぎのための、ちょっとした時間。
私は、この隙間時間をも 味わうのが 好きで
わりと 多めに 時間を そこに
費やしてしまいがちなのですが、
このときは、その時間が、いつも以上に
素晴らしく 愛おしく 感じられました。
そして、ふと気づくと、
次のハミングへと移るのを忘れて
そこに 留まってしまっていたのです。
その時間、空間に
見惚れている、聞き惚れている。
とはいえ、目は閉じているし
とりたてて 音も聞こえるわけではない中、
ただ そこに居ることに 惚れている・・・
とでもいうのでしょうか。
‘居惚れている’。
このシークエンスのメイン動作
(があるとするならば)
その1つは、ハミングでしょう。
ハミングで生じる振動が
身体の、細胞の隅々にまで 及び、
私の 内になのか、外になのか、
あるいは その両方に、
そのような空間を
つくりだしたのかもしれません。
その時間に うっとりとしすぎて、
次のハミングへと移るのが ついつい 遅くなり、
結局、このシークエンスでは、
オープンアテンションへ たどりつくことなく
終わってしまいました。
でも、それでも 私は 満足でした。
シークエンスでありながら
オープンアテンションをも兼ねているような
時間だったから。
残念ながら、zoomクラスは
この回で いったん 終了となりました。
ふだん 月に1回ペースで 行われている
会場でのクラスと比べて
短い時間ではありましたが、
毎週 コンティニュアムに触れる機会が
あったことは、
私にとって、とても 大きかったです。
zoomクラスは、3月中旬くらいから、
今度は 時間と曜日を変えて
再開される、とのこと。
それまでは のんびりと 自分のペースで
コンティニュアムを 楽しんでいよう
と 思います。
今後の開催予定など
コンティニュアム・ムーブメントについて
詳しくは、こちら
ありがとうございます。
過去をぶら下げて の、続きです。
どんよりとした気分は、
いったん 短めのオープンアテンションを挟んだら
多少 リリースされたようで、
少し 気持ちが晴れました。
が、ふたたび ゴリラハミングを 始めると、
また どんより・・が 戻ってくる。
シークエンスから 思い出された
その出来事自体は、
もう25年も前の、しかも ずっと忘れていたような
些細なことです。
感情を 揺さぶられるようなものでも
ありません。
では いったい なぜ?
それでも、クラスは 進行中。
各自で シークエンスを練習する時間が 終わり、
先生の解説が始まりました。
そのとき、左前方のあたりから、
なにやら 私に呼びかけるような・・・
気配のようなものが、やってきたのです。
そこにあるのは、祭壇。
昨年、インド占星術の鑑定を受けたときに
「北東の方向に祭壇をつくると良い」との
アドバイスをいただき、
祭壇を つくったのですが・・・
(祭壇、というわりには ごちゃごちゃ感が・・・汗)
そこから、なにか やってくるのを 感じるのです。
んんん???
そちらに 目をやると、
私の気をひこうとしていたのは、
そこにある 水晶の六角柱でした。
(ジェネレーターっていうのでしょうか。)
この水晶は、我が家に来てから まだ
半年余りではあるけれど、
クリスタルを使う瞑想のときには
いちばん お世話になっている、石。
その彼女(たぶん女性だと思う)が、
一生懸命、「こっちを向いて!」と
私に 訴えているのでした。
えええ?
なに、これ・・・。
私、クリスタルから 具体的な なにかを 感じたのは
初めてだったので、驚きました。
(正直に言うと、ちょっと引いた。)
けれども、そういうのに 鈍感な私でも わかるほど
強力に 呼びかけてくるものですから、
よほどのことなのでしょう。
視線と上半身を そちらに 向けますと、
彼女は、なにやら 波動らしきものを
送ってくれていました。
心なしか、いつもよりも
透明度が増しているようにも
見えます。
素直に それを 受け取ったところ、
(すごい勢いで、送ってくるんだもん)
ほっとするような、ものすごく心地いいものが
伝わってきました。
あ、これが クリスタルヒーリング
っていうやつ?
でも、クリスタルが 媒体となるのではなく、
クリスタル自身が まさか 自発的に
ヒーリングをしてくれるだなんて。
そんなことがあるのでしょうか。
クラスの真っ最中でしたから、
彼女と 意識的に つながっていたのは
ほんの数秒のこと。
けれども、
どんよりとしていたものは 消えて
すごく楽になったのを、感じました。
ずっと そのままでいたいくらいでした。
物質にも意思がある、ということは、
日常生活の中でも
なんとなく 感じています。
また、クリスタルに さほど 興味がある
わけではないのに、
なぜか 15年くらい前から 不思議と
ご縁がありまして、
名前も ロクに 知らないまま、
いろいろ 集まってきちゃっているんですけど。
こんなふうに パワーを感じたのは、
初めてのことでした。
実は、昨年、ちゅぅちゃんのために
ペットのためのクリスタルヒーリング講座を
受講したのですが、
開催日の2週間くらい前に
ちゅぅちゃんが 旅立ってしまいました。
その後の応用講座では ペットロスについても扱う
とのことでしたので、引き続き
講義録画と資料は入手したものの、
覚悟がなくて、まだ きちんと 目を通せていません。
ただ、こうして 祭壇をつくって
クリスタルたちを 並べたり、
関連する瞑想会に 参加したりしているうちに、
意識していなくても、
クリスタルたちとも 少しずつ
仲良くなりつつあるのかもしれませんね。
そもそも、クリスタルヒーリング講座も、
コンティニュアムも、どちらも
動物自然療法協会さんの主催で
始まったものなので、
相性が良いのかもしれません。
とにかく、とても貴重な体験でした。
ありがとうございます。
今朝の コンティニュアム zoomクラスでは、
ゴリラハミング(と私が勝手に命名した)
シークエンスが、再び 登場しました。
ゴリラのような口元で ハミングをしながら
ゆっくりと 首を動かし、
顔の向きを変えていくものですが、
この一連の動きから、私は、
25年前のことを 思い出しました。
その動作から 思い起こされた、ある場所。
そのとき そこで 一緒にいた人物。
それに関連した、出来事。
それには イヤな思い出も 含まれていたため、
ちょっと どんよりとした気分に
なりましたが・・・
それと同時に、当時の私には わからなかった
その相手の気持ちが、
おぼろげながら 理解できたようにも、
思えました。
それは、いまの年齢になったからこそ 得られた、
ひとつの発見だったのかもしれません。
そして、もうひとつ わかったのは、
私たちの身体には
自分で 把握している以上の いろいろなものが
蓄積されているのだ、
ということ。
たとえば、香りは 記憶と直結している、
というのは よく言われているけれど、
それは 匂いに限ったことではないのでしょう。
今回は 動作でしたが、それ以外にも いろいろ
思いもつかないようなところに、
過去をぶら下げて、
私たちは 生きているのだろうな・・・
ということに、気づいたのでした。
これを きっかけとして、
今朝は また これまでにない 不思議な体験も
したのですが、
それについては、また 後日、
気が向いたら 書くことにします。
コンティニュアム・ムーブメントについて
詳しくは、こちら
ありがとうございます。
ひとりの人間の中に
男性性・女性性という 別の人格が 存在し、
まるで ひとつ屋根の下
結婚生活を送っているかのように、
ひとつの身体を 共有して 生きている。
男性性と女性性に関する ワークに
親しんできたせいか、
私は、コンティニュアムの中でも、
男性性・女性性 それぞれの動向を
感じています。
コンティニュアムを 通して
現在の 彼らの立ち位置や傾向を
知ることも、多いです。
昨年末あたりでしょうか。
オープンアテンション中、
身体の右側が やけに 積極的に
動くようになっていることに、
気づきました。
そして それと同時に、
私の男性性側が 新しい世界へと
一歩 踏み出したことを、
感じました。
ここ数ヶ月の自分の状態と
先日体験した オープンアテンションから、
男性性・女性性 それぞれの望む 生き方
のようなものが、見えてきています。
これまでにも なんとなく
感じてはいたけれど、
オープンアテンション中の 自分の movement
によって、改めて 確認した、
という感じでしょうか。
男性性の望んでいるのは、
これまでに 私が経験してきた人生の中でも
なじみのある流儀。
その分、安心感は あるし、
ある程度の適性もあるし、
それに向けて進んでいる その最中は
楽しくもあるけれど、
いまとなっては 現実的ではないように
感じています。
一方で、女性性の望みは、
これまでにも 自然と やっていた部分も
あるのかもしれないものの、
意識的に それを選択するのは 厳しい、
結構 怖い、新しい方法。
その断片は 見えているのに、
そんなやり方で 本当に 生きていけるとは、
信じきれない。
それでも、ものすごく、惹かれている。
すでに 抗えずにいる。
ひとつの身体で
双方の希望を 実現するのは、
難しいな。
でも、いまの段階では、どちらか 一方に絞って、
選ばれなかった方のやる気を削ぐようなことは
したくないな。
両立できるような、なにか良い方法は
ないだろうか。
次から次へ ぐるぐると
たくさんのものが 出てきては、
通り過ぎていきます。
先日の オープンアテンション 第2章での
movement は、
私が 難しく 感じていた 女性性の望む 生き方を
身体が 先行して やって見せてくれている
ようにも、感じられました。
いまの私にできるのは、
どちらをも容認していること
なのかもしれません。
身体が 生き方を 教えてくれている。
コンティニュアムを やっていると、
そんなふうに 感じることが、
よくあります。
コンティニュアム・ムーブメントについて
詳しくは、こちら
ありがとうございます。