草野球が終われば、オタク小学生の出番! | ふんわりしずかに…

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時間も場所も、自分からもちょっとだけ離れて…今、ここにくつろぎましょう。

 

子どもの頃から勉強ができない僕でしたけど、友達を楽しませることはできていた……と思います(笑)。

僕は運動も音痴でした。昭和40年代はジャイアンツの王・長嶋全盛時代で、小学生はほぼ全員家の近所の広場で野球をしていました。僕は父とキャッチボールをした経験がないこともあったと思いますけれども、野球もアウト! でした。

グローブを手にはめるとそれだけで緊張して、とてもボールをキャッチできません。バッドも同じく、あんな細いバットに球が当たるはずもなく(笑)。走るのも遅かったのですが、それは必要はありませんでした。塁に出ることがなかったので(笑)。こうなるとみんなのプレイを見てるしかありませんよね(笑)。

 

しか~し! 野球が終わると、僕の出番が現れます。

幼いころから僕はゲームが大好きで、コツコツ買い集めていました。ゲームと言ってもテレビゲームやコンピュータゲームではなく、人生ゲームやバンカースといった持ち駒を前に進める盤ゲーム、パチンコ、野球盤、魚雷戦ゲームなど実物の玉を弾く、一連のボードゲームたちです。昭和30,40年代生まれの人なら、どれも名前を聞いただけでワクワクしてしまうゲームですよね。

僕の部屋の押し入れにはゲームが重ねてしまってありました。野球が終わると、何人かがウチへやって来て、輪になってゲームで遊ぶんですね。

 

野球だけだったら疎外感を持っていたかもしれない僕でしたけど、この時間は「みんなといっしょに遊んでる。楽しい。みんなが僕の持ってるゲームで楽しんでくれてる」という充実感を持てていたと思います。

 

『少年ジャンプ』も創刊直後から買い始め、マンガの単行本も集めていた僕は、やがてみんなに読ませてあげるようになりました。思えば我が家はゲームセンターと、漫画喫茶のようなものだったんでしょうね。

 

あなたは今日、どんな1日を過ごしていますか。

気分はいかがですか?

幸せな人、特別なことはなにもない人、苦しい人もいるでしょう。 

 

ゲームもマンガも、サブカルチャーから今や日本を代表するカルチャーとなりました。僕は「オタク」の走りだったのだと思います。真っ黒に日焼けして健康的で快活な友達を目に、ちょっと肩身が狭い思いもしていたオタク小学生(笑)。運動は苦手で仲間に入れなくても、オタクが僕を救ってくれたのです。

さて、みなさんは子ども時代、そして大人になった今、どんなものを楽しみ、癒され、時には心身ともに救われていますか?

好きなこと、楽しいことをしているときは時間が過ぎるのが早いですよね。楽しんだ後はひと息ついて、今ここにくつろぎましょう。

 

ふんわり静かに・・・。