「共感」こそ、21世紀を生きる私たちのキーワード | ふんわりしずかに…

ふんわりしずかに…

時間も場所も、自分からもちょっとだけ離れて…今、ここにくつろぎましょう。

今回は久しぶりにアダム・スミス大先生にご登場いただきましょう。

先生は僕に真の幸福やお金と私たちの関係を決定づけてくれただけでなく、もう1つとても大きなことを確信させてくれました。それは21世紀を生きる私たちに一番大切なものではないか、と40代の僕が考えていた、人間のある感覚でした。

 

「人間がどんなに利己的なものと想定されうるにしても、あきらかに人間の本性の中には何か別の原理があり、それによって人間は他人の運不運に関心をもち、他人の幸福を――それを見る喜びの他には何も引き出さないにもかかわらず――自分にとって必要なものだと感じるのである」

 

いい悪いは置いておいて、強大な自我やエゴを持つ私たちですけれども、他人の運・不運に関心を持ち、それを見つめる性質が人にはあるとアダム・スミスは言います。

 他人と自分を見比べては幸福度合いを測るのが私たち、と前に書きました。これは本性と呼ぶしかないものなんですね。ただし、ポイントは以下の部分にあります。

 

「われわれが他の人々の悲しみを想像することによって自分も悲しくなることがしばしばあることは明白であり、証明するのに何も挙げる必要はないであろう」

 

他人の運・不運に関心をもち、眺めてしまう私たちは当然悲しみ、苦しむ人の姿を見ることになります。そのとき自分も悲しい気持ちになり、手を差し伸べて助けてあげたくなるのです。

動物にはない、この「共感」能力を、生まれながらにして持っているのが私たち人間であるとアダム・スミスは書いています。

 

たとえ知らない人でも喜んでいる人がいれば共に喜び、悲しんでいれば共に悲しむ。

人間だけが持ち得る共感能力こそ、私たちの最大の力です。キリスト教の愛、仏教の慈悲もここから来ていると言えそうですね。

 

他人の喜怒哀楽と気持ちを同じにする「共感」。

僕はこの感覚こそ資本主義に代わる、21世紀の人間が生きる道と考えています。そして

アダム・スミスは共感による幸福の追求を、『富国論』の重要な命題「成員の圧倒的大部分が貧困で惨めであるような社会は、繁栄した幸福な社会ではありえない」として結んだのです。

 

あなたは今日、どんな1日を過ごしていますか。

気分はいかがですか?

幸せな人、特別なことはなにもない人、苦しい人もいるでしょう。 

 

世界は今も貧困にあえぐ人であふれています。危険と背中合わせの日常を暮らす人もいます。この状況において、共感能力を持つ私たちが真の幸福にあることはできません。この世にはまだ不幸が多すぎるのです。

この視点でもう一度、足元を見つめてみましょう。すると自分の幸不幸がちょっとだけ小さくなるのがわかります。そして私たちの真の姿である愛に帰り、他者に手を差し伸べる、それが難しければせめて心を共にしましょう。

私たちは生み、育て、守り抜く愛。

今、ここにくつろいでください。

 

 

 ふんわり静かに・・・。