そのさらに1年前、
2021年夏にも妹&甥っ子は一時帰国していました。
たしか、
元々はさらにその1年前・2020年に一時帰国を予定していて…
ご存じの通り、2020年はまさにコロナ禍が始まった年
2018年に両親と私とでオランダを訪問した以来だったから、
甥っ子も成長真っただ中だったし、
妹としては、年をとってきた両親に唯一の孫を会わせたい一心で
お互いに相当楽しみにしていた一時帰国…
それがコロナ禍で白紙となり
しかも当時は収束の見込みがまったく立たない状況。
2020年は仕方ないとしても、
日本でもワクチン接種が始まった2021年は少しずつ人の移動が増えつつあって…
あと、1年遅れで開催された東京オリンピックもあり。
煩雑な準備を頑張って、なんとか一時帰国してきた妹親子。
往路は関西空港へ到着、空港近くのホテルでの待期期間を過ごし(関西に住むお友達がホテルに差し入れ持って来てくれたらしい←スマホで連絡とりつつ、ホテルの部屋と地上で手を振り合ったとか…せつない時代でしたね
)
ホテルでの待期期間が終わると、津山から両親が車で迎えに来て、それこそ一度もサービスエリアにも寄らずに実家へ帰ったとか!(真面目過ぎる…)
で、実家でも基本、両親以外とは接触せず、外出も最小限で過ごし
(両親も近隣との接触を避け自主隔離してたという徹底ぶり←母は元・医療関係者)
オランダへの復路は羽田発ということで、
この日は岡山空港から羽田空港へ飛んできた妹親子と数時間だけ会えることになりました
(妹親子は羽田発の深夜便に乗るので、一緒に過ごせるのはそれまでの間です)
8月のお盆明け。
午前11時前に到着する妹親子を出迎えるため、羽田空港第2ターミナルの到着ロビーにスタンバイ。

2021年8月はご覧の通りガラガラ…
妹親子は岡山発のANAで到着。

この時期、国内線はまあまあ運航してたけど、国際線は欠航だらけでした(最後の方に写真あり)
お互いマスク姿で久しぶりの再会。
で、さっそくお茶しに空港内のカフェへ。
ガラガラな空港内にも関わらず、営業してくれているお店に感謝
クリスピードーナツへ

注文する私と甥っ子を妹が撮影↑
みんなで自撮り

なにかと変顔したがるお年頃…(当時4歳)

男の子だし、動き回って目が離せないので大変だったけど、
次の年を考えると全然まだ可愛いもんだった(笑)

謎の青い牛と共に↑
実家の母が「子供用に」と用意していた鬼滅の柄のマスクを
ちゃんと着けてくれてるのが偉いぞ!
(次の年はマスクがやや小さそうだった
←成長期)

2021年夏は、空港内もあらゆる施設がクローズしてて
子どもを遊ばせる場所がホント無かった

時期が時期だけに、空港を出て遊びに行くのも避けたいし…(そもそも遊ぶようなところは休業中っぽい)
せっかく時間があるのに、これ以上時間を潰せない…という状況を
お金で解決
ホテルのデイユース

(夕方、ちょうど「おかあさんといっしょ」やってた
)
翌年、宿泊することになる
羽田エクセルホテル東急を利用しました


何か飲んでる↑
確か、値段はまあまあしたけど(え?宿泊じゃないのにこんなに取るの!?て思った記憶)
背に腹は代えられぬ
大人もベッドの上でゴロゴロ休憩できたし、これはこれで正解でした。
(子連れにとって、あちこちクローズしまくりの空港ではホント時間が全然潰せない

)
日が暮れてきたので、展望デッキにも来てみました。

双眼鏡代くらい出してあげるのに、コロナ禍だから使用中止になってた

それでも覗こうとする健気な甥っ子。
このサイズの甥っ子も可愛かったなぁ~

その後、第3ターミナル内をうろつくも…
ご覧の通りガラガラ…
※おそらく午後7~8時頃です
結構クローズしてるお店も多かったかと。
もしくは超・時短営業とか。
写真も撮り放題です

午後7時過ぎのチェックインカウンターもこんなですよ
その後も子供が遊べるところを求めてさすらうも、ことごとくクローズ

せめて写真を撮る…

アイスを食べさせる…
写真を撮る…
私が甥っ子を後ろから抱えて撮る…
甥っ子を持ち上げる…
これは低いのでOK

午後8時頃
いよいよチェックイン。
(この時はANA便でした)
ねーねー、ホントに人がいないんですけど


だってこの時、国際線の運航はこんな感じ。

ほとんど欠航

この少ない運航便にも果たしてどれだけの人が乗るのか…??
ホント、空港にひと気が無かったんですよね…
こっちの案内板には妹たちが乗る便が表示されています。
日本語表記。

妹たちが乗る便は
午前0時10分発のANAフランクフルト行きです。
ちょっと遅れるみたいだけど

出国する妹たちを見送り、私もリムジンバスで自宅へ帰ります。
バス乗り場へ向かう途中、空港内を少し散策。
オリンピック開催中だったので、こんなコーナーもあり。

オリンピックの選手や関係者をお迎えするため??
こんな素敵な装飾もありました


なんとこれ、すべて折り鶴で表現されているんです


以上、コロナ禍真っただ中の羽田空港の様子でした
つくづく、異常な状態だったな…と思います。
写真はありませんが、第2ターミナルだったかな?
食事をしようとレストラン街に行ってみたら、一応お店は営業してるんだけど空港利用客はほとんどいなくて、空港勤務の方々が主に利用している感じでした。
決してこの業界だけではないでしょうが、
航空会社や空港関係者、そして旅行会社の方など、本当にこの状況をよく切り抜けられたなと思います。
当時私はエッセンシャルワーカーだったので、時給のパートとはいえ、仕事は通常勤務かむしろ忙しいくらい。
家族も含め絶対感染できない・周りも感染させられないという猛烈なプレッシャーの中、心身ともにかなりしんどい状態で仕事していましたが、それと引き換えに収入を得られ続けたのも大きかったのだと、今では思えます。
今の仕事だったら真っ先に仕事無くなって収入途絶えてたわ

それだけ、社会により必要とされている職業に就いていたのだということですね…
当時はコロナ禍での移動に対して批判的な意見もある中、ひっそりと行動していましたが…
これも大切な思い出として記録しておきたいと思います。
あ、両親含め、妹親子も私もお陰様でこの時は感染しませんでした

(確か私は職場の優先接種でワクチン2回打った後でした)
もう二度とこんな状況が起きませんように…
ではまた。