こんにちは。
先日、義父が亡くなりました。
92歳でした。
このたび、無事に見送ることができましたのでご報告させていただきます。
普段はほぼ明るいネタを投稿しているこのブログですが、
日記代わりとして、最期を迎えるまでの経緯を書き記しておこうと思います。
多少、記憶違いや医療的に見ればおかしな表現もあるかもしれませんが、ざっくりとしたメモとしてなので突っ込みはご容赦ください
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先月、呼吸状態が悪くなり、入居施設から病院へ救急搬送された義父。
5月にレビー小体型認知症と診断されたのですが、その特徴でもある「嚥下機能の低下」が顕著になり…口からの食事ができなくなっていました。
口から食べ物を入れても、食道を通って胃まで送り込むことができず、気管に入って誤嚥性肺炎になるリスクが高い…ということで、胃ろう(胃に直接、液状の食べ物を入れる)という提案がなされ、それは結局「延命治療」になってしまうので家族としては迷っていたところ。
で、どこまで話が通じるのかわからないけど義父と話して決めよう、ということで今月初め、義兄も一緒にフン太と入院中の義父に会いに行くことにしました。
ここまでは以前のブログにも書いていたと思いますが…
実は、その当日の午前中に病院からフン太へ連絡があり
義父の便に大量の血が混じっているとのこと。
いわゆる鮮血ではなく血が混じった黒い便(タール便)…ということで、胃または腸(特に上部消化管)からの出血が疑われ、しかも貧血を起こしているので出血し続けているであろう状態だそうで。
輸血をしてもらいつつ、翌日に胃カメラ検査をすることになりました。
で、午後に病院を訪れた義兄・フン太・私。
義父は輸血を開始したところで、スヤスヤお休み中でした
なので…起こすのも忍びなく
というか、起こしたところで雰囲気的には会話はできなさそうな感じでした…。
謎の出血という事態になったこともあり、この日は胃ろう云々という話よりは出血の原因をいかに突き止めるかという話で終わりました。
(ちなみに、胃カメラ検査すれば、胃ろうを造れる状態かどうかはある程度わかるとのことでした)
で、翌日。
フン太へ主治医の先生から連絡がありました。
胃カメラ検査の結果、十二指腸潰瘍が発見されたとのこと。
前日より4単位の輸血をしているが、貧血指数が改善されず輸血した分がそのまま出血しているようだと。
(正直、この辺のことが死因に関わってくるのです)
まずは抗潰瘍剤の投与を開始、
現状の水分補給の抹消点滴では身体がもたないので、鼠径部から高カロリーの中心静脈点滴に加え、出血を補う輸血も量を増やして行い、経過を見るとのことでした。
数日後の朝、主治医の先生からフン太へ再度連絡がありました。
輸血により数値は改善されてきているが、再度の下血により数値がまた下がる…という状況。
再輸血と内視鏡検査を実施すると。
救急搬送の原因となった肺炎の方は栄養点滴で改善されたそうで、主治医が消化器外科の先生へ変更となりました。
約2時間後、その消化器外科の先生からフン太へ連絡があり、
これから内視鏡検査をします、十二指腸からの出血が止まらないとかなり危険な状況とのこと…。
検査後、再度先生からフン太へ連絡あり、
内視鏡検査の結果、1箇所から激しい出血があり、内視鏡で止血処置をしたとのこと。
ひとまず出血は止まったそうです。
で、その日の夕方にフン太と義兄が先生の話を聞きに行って来ました。
その時の説明はいったん置いといて。
2日後の早朝。
自宅でフン太とスヤスヤ寝ていたら…午前5時前に家の電話が鳴っている???
誰か留守電に吹き込んでる???
でも起き上がることができずスヤ~←ダメ嫁
てしてたらすぐにまた電話が鳴り、今度はフン太が電話のあるリビングへ慌てて行きました。
案の定、義父の入院する病院からでした。
血圧が測れないくらい低下しており、心拍も弱くなってきているとのこと。
至急、病院まで来てください、何分くらいで来られますか?今から30~40分ですか、間に合わない場合も考えられますのでご承知おきください、みたいなことを看護師さんから言われ…速攻自宅を出発しました。
義兄とも連絡を取り合い、都内に住む義兄家族よりは我が家の方が確実に先に到着するので逐一連絡を入れながら…
病院へ到着すると
義父の状態はいったん落ち着いたそうで
よかったぁ~
コロナが恐い時期ですのでね、フン太と私と交代でビニールガウンや不織布のキャップを着けさせられ1人ずつ義父のベッドへ行きました。
義父は酸素マスクを着けてだいぶつらそうに呼吸していましたが、心肺は正常値になっておりとりあえず安心しました。
とはいえ、本当に一時は危険な状態だったらしく、同じく呼び出された主治医の先生も到着し、合流した義兄も一緒に説明を聞きました。
十二指腸潰瘍は2箇所あり、最初の内視鏡では止血剤をピュッピュッと噴射?して出血を止めることができた…のですが、その後また便への出血が見られたので再度内視鏡で覗いてみると潰瘍部分が血管むき出しになっていたので、クリップで血管を挟んで止める処置をしたそうです。
ただ、出血を止めることはできても、これまでの出血量が多いので、いくら輸血をしても必要な成分は足りておらず、しかも自分の血液が自分の身体を敵とみなして攻撃する現象が起こる可能性が今後あります…いわゆる「出血性ショック」というやつです。
「出血性ショック」を起こすと体中の臓器(心臓・肺・腎臓・肝臓など)が機能しなくなる「多臓器不全」となり、そうなるともう手の施しようはありません。
と言われました。
身体が酸性に傾いている、という話もありましたね…。
つまり、もう長くはないということであり、今後もいつ急変するかわからない。
とはいえ、今はいったん状態が落ち着いており、コロナのこともあり我々家族がいつまでも病院にいるわけにもいかない
ということで、午前7時頃にいったん解散となりました
あとになってみれば、この時に病院が呼び出してくれたおかげで少なくともフン太・義兄・私は生きている義父に会うことができたのです。(話はできる状態じゃなかったけど)
で、フン太はそのまま再度の呼び出しに備え、会社は休みを取り自宅待機。
私は職場が自宅から近いので、いったん帰宅してから仕事に行きました(少しだけ遅刻させてもらったけど)。
たぶん状態が悪化するのは夜中だろうと、ある意味不吉な予感を覚えつつ仕事をしていましたが、幸いにも日中の呼び出しは無く。
普段通りに自宅で夕食を済ませ、お風呂に入り、「今日は朝早かったから、早く寝よう」としていた午後10時過ぎ…
フン太のスマホが鳴りだしました。
当然、病院からです。
義父が再び危ない状態になったらしく…
朝に駆けつけたばかりですからね、予行演習済みですからね、
朝の半分の時間で自宅を出発することができました。
電話を受けてから30分弱で病院へ到着できましたが、
義父の最期には間に合いませんでした。
病院からの電話の後、すぐだったそうです。
到着時、ナースステーションへ声をかけると、朝とは違い私とフン太それぞれにビニールガウンと帽子・ビニール手袋を看護師さんが渡してくれました。
物品が不足しているこのご時世に、1人1セットずつですからね…その時点で嫌な予感はしました
で、やっぱり1人ずつしか病室には入れないということで、先にフン太が案内され…
出てきて「間に合わんかった」とのこと。
義父は心肺停止の状態でした。
機械の表示が全部一直線なの。
医師が死亡確認するまではその状態のままらしく、当直医の先生は救急で処置中だったため、正味1時間くらいそのままだったのかな?
顔や首すじあたりを触らせてもらいましたが、もう冷たかったです。
(後で義兄に言われた話だと、朝さわった時点でかなり体温は低かったとのことですが…)
やっぱり顔を見ちゃうとね、涙が流れ出るわけです。
いたたまれなくなってフン太の元へ行き、その後、実家の母へ泣きながら電話…
母からも「いい人だったのに残念じゃなぁ。あんたも可愛がってもらようったのになぁ。」と煽られまた号泣する私…。
実家への報告の電話が終わり、ふと我に返ると、
都内に住む義兄が到着するまでは、ここにいるのは私とフン太の2人だけ。
お父さんのそばに付いといてあげんと!
ということで私がお父さんのそばで体をさすり続けておりました。(今さらだけど…)
ここ3ヶ月ほどは認知症が進み、まともに会話できてなかったけど(そもそもホームはコロナのせいで面会禁止になりほとんど会えてなかったけど)、もう話をしたりできないんだなぁ…と思うと涙が止まらない。
本当に優しいお父さんで、可愛がってもらってたんです。
淋しくてたまらんなぁ…。
私たちが到着して1時間近くたった頃でしょうか、救急対応が終わった医師の先生が来られ、死亡の確認と死因の説明をされました。(医師が死亡確認した時刻が死亡時刻となる)
その時も1人しかベッドのそばに行かせてもらえない為、フン太が行きました。
同じ頃、義兄も到着。
みんな間に合わなかったけど、今朝会えててよかったねという話になりました。
義兄は「朝、もう頑張らなくていいよ、て声掛けたの聞こえたのかな?」と言っていました。(呼吸がかなり苦しそうだったので、見ていてつらかったらしい)
そして…涙が乾くまもなく、葬儀屋さんとのやり取りが始まるわけです。
夜中1時に病院前で葬儀屋との熱い交渉…
まさかまさかの展開でした
長くなったので次回に続きます
↑義父の火葬を行った横浜市北部斎場
(最近の火葬場は混んでいるんですね…数日先まで予約が取れません)
つづく。