次回2022年7月17日 10:00~11:30

に開催予定の哲学カフェin夙川ですが、

テーマが未定でした。

 

「人はほんとうに自由がほしいのだろうか?」

といったテーマ案が

メッセージで届いております。

 

そこで、標題のとおり

「あなたがほしいのは、

どんな自由?」

としました。

 

エーリッヒ・フロムの

『自由からの逃走』では

自由の重荷に耐えられず、

権威に服従する近代人

が描かれていました。

 

「~への自由」と「~からの自由」

という概念も割と有名でしょう。

 

自由がほしい

と言いながら、

それは単に無責任でいたい

という態度の表明にすぎないのではないか

と感じさせられることもあります。

 

とはいえ、

服従する側も

服従する相手は自由に選びたい

かもしれません。

 

自由を手放してもよい相手は

自分で自由に選びたい

という逆説的な状態です。

 

まあ、

自由について

気楽に話しあえる機会

とお考えいただいて、

気軽にご参加ください。

 

 

吉本隆明の

『追悼私記』にあった

大原富枝という名前。

 

さっそく

『アブラハムの幕舎』

を読んでみました。

 

昔、イエスの方舟と名乗る集団があって、

メディアで報道合戦がおこなわれていた記憶

があります。

 

そのイエスの方舟を背景にした小説です。

 

なんといっても

主人公田沢衿子の心理描写

が、すごい。

 

すごく丁寧。

 

小説はあまり読みませんので、

大げさなのかもしれませんが、

すごいと感じ、

一気に読んでしまいました。

 

田沢衿子が

目の前にいるかのよう

です。

 

この小説にも

こんな一文がありました。

 

「イエスが現代に生き返られたとしたら、

クリスチャンだけにはなりたくない、

と思われるだろう、

と何かに書いていた外国の作家がいたことを、

田沢衿子は思い出していた。」

 

イエスが現れたら困るクリスチャン。

クリスチャンになりたくないイエス。

 

人は自分に都合のいいことだけ

信じたいのかも。

本日2022年6月12日 10:00~11:30、

第67回の哲学カフェin夙川を開催しました。

 

参加者は運営人を含めて

14名。

 

初めての方がお二人いらっしゃいました。

うちおひとりは学生さんで、

つい最近までカナダ留学なさってたとのこと。

 

さらに

すっごく久しぶりに参加してくださった方がお二人、

顔をみせてくださいました。

お元気そうで、

なによりでした。

 

今日のテーマは

「対等であるとはどういうことか?」

 

たいへん盛りあがりましたが、

私が二日酔いでして、

具体的な発言内容を書く元気がなく、

後日思いだしましたら、

書き加えていくことにします。

 

※2022.6.13追記

ちょっと元気になりましたので、

書き足します。

 

平等と対等の異同について

いくつか議論が出たように記憶しています。

 

平等は

客観的に測定可能な側面を

含んでいる。

つまり、ある状態が

客観的にどれぐらい平等か

が判断できる。

 

一方、

対等はAさんとBさんという

具体的な関係において

AさんなりBさんなりが感じとることがら

である。

 

AとBの関係を観察する第三者が

両者の関係は対等でないと言おうと、

AとBがそれぞれ「相手は対等にみてくれている」

と感じるのなら、

それは対等ということになる。

 

ということは

AはBとの関係が対等と感じていても、

BはAとの関係を対等とは感じず、

「Aに軽くみられている」

などと感じている場合もありうる。

 

といった話が出たように記憶しています。

 

ほかには

対等の本質として

信頼の有無、あるいは程度や

「誰が決めるのか」という点などが

話題になりました。

 

次回は

2022年7月17日 10:00~11:30

開催予定です。

※予約不要。

 

場所はいつもの

阪急夙川駅前「洋麺亭 さんれも」

です。

 

次回のテーマは未定です。

これから考えます。

 

すみません。