本作の原題は「草木人間」。
「人間」は「じんかん」と読むそうで。
「山川草木とともに生きる」
といったイメージでしょうか。
というのも
本作の底流には
仏教的世界観・人生観
があるように感じるからです。
自然とともに生きていた母子。
でも、ちょっとしたスキャンダルで
母は共同体から追放されます。
そして母は
マルチ商法にはまっていきます。
母は容姿からして一変します。
そして
「これが自分がしたかった生き方だ!」
「今まで人から見下され、蔑まれていきてきた。
だれも自分を尊重などしてくれなかった!
でも、今は違う!
みんなに尊敬され、認められている!」
と息子に語ります。
洗脳から目を覚まさせようとする息子に対して
「だまされていようが、
今ほんとうに楽しいのよ!
なんでそれを邪魔するの!」
と母はいっこうに耳を貸しません。
マルチ商法にはまっている人びとは、
この母親のように
「周囲から認められていない!
正当に評価されていない!
にせものの人びとばかりに囲まれて
生きてきた。
でも、ここにはほんとうの家族がいる!」
と集会で叫びます。
いかに人を洗脳するか、
その技術を具体的に描いているところ
に本作のひとつの特徴があるでしょう。
もうひとつの特徴は
「自分は何者なのか?」
「自分はどう生きていけばいいのか?」
「自分の価値を認めてくれる人が
どこかにいるのではないか?」
「現状から脱出させてくれる、
絶対に正しい生き方があるのではないか?」
などなど
現在の多くの日本人がかかえる(ように私には思える)悩み
が、現代中国にも広がっていること
を感じさせてくれるところ
にあります。
本作は、
このような悩みを解決する道は
「自然」にある、
と考えているようです。
私はそのような主張を否定するつもりは
ありませんが、
「自然」に「絶対的正しさ」を見出す人びとも
集団化し、組織化し、
ときには独善的にふるまうことがあるのを思い起こすと、
マルチ商法のような詐欺集団ではないとはいえ、
狂信的になりうるなぁ
と思います。
ちょうど
『批評回帰宣言』(先崎彰容著、ミネルヴァ書房)
を読んでいる最中に
本作を観たので、
上のような感想をもった
のでしょう。
共産主義革命も、
戦争も、テロも、
自己啓発セミナーのようなマルチ商法も、
同じ力から生まれてくる。
「みじめな現状から救い出してくれる
絶対に正しいものへの欲望」
という力から。
本作を観ながら
そんなことを考えました。
なかなかおもしろい映画でしたよ。