1年半ほどお休みしていましたが、

哲学カフェin夙川を再開する予定を

立てています。

 

場所はいつもの

阪急夙川駅前「洋麺亭 さんれも」

です。

 

「さんれも」さんの許可は

とりました。

 

再会時期は

夙川の花見客もいなくなる、

4月下旬ころの予定です。

※具体的な日時は

決定次第、お知らせします。

 

テーマは

その場で決めます。

 

つきましては、

その場で決めたテーマなら、

どんなテーマでも関心をもって

話し合いに参加する意思がおありの方のみ

ご参加くだされば

と思います。

 

 

五味太郎の絵本を

何冊か読んだことがあります。

 

五味太郎は

絵本作家です。

 

古本屋で

『絵本をよんでみる』

と遭遇し、

買ってみました。

 

五味太郎が

他人が書いた絵本を読みます。

 

たとえば

『うさこちゃんとうみ』

 

うさこちゃんと聞いても

ピンとこないかもしれません。

 

ミッフィーです。

 

この絵本の出だしは

こうなっています。

 

あるひ とうさんの ふわふわさんが

「きょうは さきゅうや かいのある

おおきな うみに いくんだよ。

いきたいひと だあれ?」と いいました。

 

五味太郎は

ミッフィーのおとうさんの名前が

「ふわふわさん」であることとかもふれますが、

一番注目するのは

「いきたいひと だあれ?」

の部分です。

 

子どものミッフィーが

応えます。

 

「あたし あたしが いくわ!」

 

このやりとりだけで

二時間はボーっと楽しめる

と五味太郎は言います。

 

インタビューしている編集者は

「十五分ほど……」

と、おずおず返答します。

 

「その差は人生の経験の差でしょう。

君もこれから経験を積めば

二時間になります。」

と答える五味太郎。

 

私は2秒くらいしか……

すみません、

見栄を張りました、

とくになんとも感じることなく、

読み過ごすことでしょう。

 

でも、

そんなことはどうでもいいのです。

 

この先、私も経験を積めば、

五味太郎のように

ミッフィーとおとうさんの

ちょっとしたやりとりにも

二時間ボーっとなれるかもしれない

のです。

 

何歳になろうが

そんなこと関係なく

二時間ボーっとなれる希望

を抱かせてくれる、

それこそ

五味太郎

なのです。

 

五味太郎のように

なるために

これからも

いくつになっても

あらたな経験を、

何の変哲もない経験も、

積んでいければなぁ……。

 

五味というぐらいですから、

私にはなんの味わいも感じられないことにも

五つの味わいを味わっているのでしょう。

 

くやしくて、

でも五味太郎のようになりたくて、

麻婆豆腐に七味をぶっかけて

食べてやりました。

 

情けなさが

ひとしおです。

 

 

本作の原題は「草木人間」。

「人間」は「じんかん」と読むそうで。

 

「山川草木とともに生きる」

といったイメージでしょうか。

 

というのも

本作の底流には

仏教的世界観・人生観

があるように感じるからです。

 

自然とともに生きていた母子。

 

でも、ちょっとしたスキャンダルで

母は共同体から追放されます。

 

そして母は

マルチ商法にはまっていきます。

 

母は容姿からして一変します。

そして

「これが自分がしたかった生き方だ!」

「今まで人から見下され、蔑まれていきてきた。

だれも自分を尊重などしてくれなかった!

でも、今は違う!

みんなに尊敬され、認められている!」

と息子に語ります。

 

洗脳から目を覚まさせようとする息子に対して

「だまされていようが、

今ほんとうに楽しいのよ!

なんでそれを邪魔するの!」

と母はいっこうに耳を貸しません。

 

マルチ商法にはまっている人びとは、

この母親のように

「周囲から認められていない!

正当に評価されていない!

にせものの人びとばかりに囲まれて

生きてきた。

でも、ここにはほんとうの家族がいる!」

と集会で叫びます。

 

いかに人を洗脳するか、

その技術を具体的に描いているところ

に本作のひとつの特徴があるでしょう。

 

もうひとつの特徴は

「自分は何者なのか?」

「自分はどう生きていけばいいのか?」

「自分の価値を認めてくれる人が

どこかにいるのではないか?」

「現状から脱出させてくれる、

絶対に正しい生き方があるのではないか?」

などなど

現在の多くの日本人がかかえる(ように私には思える)悩み

が、現代中国にも広がっていること

を感じさせてくれるところ

にあります。

 

本作は、

このような悩みを解決する道は

「自然」にある、

と考えているようです。

 

私はそのような主張を否定するつもりは

ありませんが、

「自然」に「絶対的正しさ」を見出す人びとも

集団化し、組織化し、

ときには独善的にふるまうことがあるのを思い起こすと、

マルチ商法のような詐欺集団ではないとはいえ、

狂信的になりうるなぁ

と思います。

 

ちょうど

『批評回帰宣言』(先崎彰容著、ミネルヴァ書房)

を読んでいる最中に

本作を観たので、

上のような感想をもった

のでしょう。

 

共産主義革命も、

戦争も、テロも、

自己啓発セミナーのようなマルチ商法も、

同じ力から生まれてくる。

 

「みじめな現状から救い出してくれる

絶対に正しいものへの欲望」

という力から。

 

本作を観ながら

そんなことを考えました。

 

なかなかおもしろい映画でしたよ。