第42回哲学カフェin夙川開催/メモ

テーマ:
昨日2019年1月13日(日)10:00~12:00、
第42回哲学カフェin夙川を開催しました。

今回は、いつも報告メモを書く運営人が所用で欠席しましたので、
参加していた運営人からのレポートを以下に掲載します。

1月13日 
第42回 15人参加

「人間嫌いとはどういうことか?」というテーマでした。
 まず、それぞれ「人間嫌い」についてイメージについて話し合いました。
 「人間嫌い」といっても、「特定の人だけが嫌い」というように考える場合もあれば、「あるグループやカテゴリーに属する人が嫌い」「人間全般が苦手」というふうに、イメージはそれぞれ違います。
 一対一のコミュニケーションは好きですが、グループになると苦手と感じる人もいました。
 インドに旅行に行ったとき、何回か痛い目に合わされて、インド人を嫌いになったこともあるが、よく考えてみると、インド人もいろいろなので、無条件に一括して扱うのは良くないという経験談。
 「人間嫌い」と「動物嫌い」とはどう違うのか?という質問から、議論が深まりました。
 「人間」が世間一般、社会、コミュニティ、会社、大衆などを指し、「人間嫌い」とは、人間そのものを嫌うより、社会において、個々人の個性や意見より、集団を最優先にし、皆空気を読まなければならないという厳しい規範を嫌うという意味で解釈している人もありました。
 近年、地域社会やコミュニティの重要性が提唱されているが、地域の防災プロジェクトに参加して、ほかのメンバーの嫌なところを見て人間嫌いになった、というエピソードもありました。
 また、地域移住を推奨するために、地域社会はお互いに助け合い、おすそ分けをするなどのいいイメージがメディアで取り上げられているが、実際移住してみると、地域社会の嫌な面が見られて、かならずしも快く受け入れているわけでもない現実を見たという話。
 社会には建前と本音があり、新たに参加する人には特にそのルールがわかりにくいため、発言や参加を躊躇してしまい、「人間嫌い」につながるのでないか。
 「人間嫌い」の反対は「人間好き」なのかという疑問については、ほとんどの人は好きではなく、「好きと嫌いの中間」に位置するのではないかという意見がありました。
 「人間嫌い」という人はピュア(純粋)で観察力が高いという印象を持っている人もいます。「人間好き」を自称する人よりも人間やものごとを考えているのではないかという意見もありました。そもそも、「人間好き」と「人間嫌い」は表と裏の関係ではないか。
 最後に「人間嫌い」とどのように付き合っていけばいいのかについて、参加者が自らの経験を交えて話し合い、大変参考になりました。

以上が第42回のレポートです。

職場や学校で「私は人間嫌い」と発言すると、
それを聞いたひとたちが
「この人はわたしたちとつき合いたくないんだ」
と判断するおそれがあるので、
しがらみのない哲学カフェでこそ話題にできる
哲学カフェにぴったりのテーマだったようです。

次回は2019年2月17日、10:00~12:00に開催予定です。

場所は、阪急夙川駅前「洋麺亭 さんれも」。

テーマは「「うそ」の豊かさ」です。
周囲の環境に紛れるようにからだの色や形を変えることで生き延びてきた生き物たちがいます。
擬態と呼ばれる現象です。
たとえば、ナナフシという虫は木の枝そっくりです。
いわばナナフシはからだ全体でうそをついているのです。
けれど、うそをつくことにかけて人間を超える生き物はいないのではないでしょうか。
「うそはいけない」「うそつきはドロボーのはじまり」などなど、うそをなくそうとするのが人間ならば、
うそを使って生き延びたり、生活を彩ったりするのも人間でしょう。
たとえば、映画やテレビドラマも、すべてうそといえばうそです。
でも、そのうそが人生の真実を描いている、ともいわれます。
うそを話題にすると、つい
「正しい/正しくない」「役にたつ/たたない」「意味がある/ない」
といった尺度でうそについて論じがちです。
できれば、そういう尺度をいったん保留にして、
「うそ」の豊かさについて話し合えたらと思います。

  
 

第41回 哲学カフェin夙川開催/メモ

テーマ:
本日2018年11月25日(日)、10:00~12:00、
第41回哲学カフェin夙川を開催しました。
本年最後の開催でした。

参加者は14名、うち初参加の方が3名いらっしゃいました。
ひさしぶりにご参加くださった方もおられます。
いつでも気軽に気が向いたらご参加いただけるように、
オープンな雰囲気を保ちたいと思っています。

今回のテーマは
「続けるために必要なこととは?」
でした。

この哲学カフェは2014年11月から始まりましたので、
丸4年が経ったことになります。
4年間続けるなかで、
「もうダメかも……」
「やめた方がいいかも……」
と思うこともじつはありました。
でも、ご参加いただけた人たちのおかげで
4年間なんとか続けることができました。
そういうこともありまして、あらためて
「続けるには、どういうことが必要なのだろう?」
と考え直したいと思い、今回のテーマとなりました。

「続ける」を考えることは「やめる」を考えることでもある、
といったような趣旨説明から始まり、
おひとりずつ今回のテーマに関することを
ひとことずつ話していただき、
進行役を決め、話し合いが始まりました。

続けるには好奇心が一番大事ではないか?

続けることが美徳といわれることが多いけれど、
ほんとうに美徳なのだろうか?

続けるには目的と目標の違いを認識し、
目的をはっきり設定することが大切ではないか?
(たとえば、高校で野球をしている人は、
甲子園に出ることを目標としているだろうけれど、
その目的はなにかについて考えていない、
といった話が例として出されました。)

自分はとくに目的もなく生きているのだけれど、
それはダメなのか?という反論もありました。

続けることが大切だといわれるけれど、
一度始めたら習慣化して、
なんとなく惰性で続けているだけという人がいる。
そういう人はいったんそれをやめてみて、
ほんとうにそれを自分は続けたいのか?
と自問自答して、
「続けたい」という答えが出てから続ける、
というふうにした方が主体的に続けることになり、
それがよいのではないか?

年賀状をある人に出し続けているが、
出す意味がわからなくなり、
どうしたらやめることができるだろうか?

そのほか、
家が永く続くことを願ってさまざまな努力と工夫をしてきた民衆の話。

「この仕事を続けてきたが、違う仕事の方が天職ではないか?」と考えて転職を何度か続けてきたという話。

などなど、今日もたくさんのことが話題にあがりました。

最後の30分間は、
「この哲学カフェを今後も続けていくうえで、どういうことをしていけばいいでしょう?」
という問いかけをしました。
これについてもいろいろと貴重なご意見をいただきました。
ケチで申し訳ありませんが、
それらのご意見は私の宝物とさせていただき、
ここに書くのは控えたいと思います。

次回は
2019年1月13日(日)10:00~12:00、
場所はもちろん
阪急夙川駅前「洋麺亭 さんれも」
です。

次回のテーマは
「人間嫌いとはどういうことか?」
です。

たまたま今日の話し合いで「人間嫌い」ということばが出てきたこともありまして、
しかも、どうも「人間嫌い」ということばの理解の仕方がそれぞれでけっこう違っているようでしたので、年の初めから「人間嫌い」について話しあいたいと思います。

みなさま、良いお年を!








第40回哲学カフェin夙川開催/メモ

テーマ:
本日2018年10月21日(日)、10:00~12:00、
第40回哲学カフェin夙川を開催しました。

行楽日和の、おでかけにはいい天気にもかかわらず、
11名の方にご参加いただけました。

今日は初参加の方がいらっしゃいませんでしたので、
飲み物がそろったら、すぐに本題に入りました。

今日のテーマは
「「考えない」について考える」
でした。

よその哲学カフェでは
「考える」についてよく考えるので、
「考えない」について考えてはどうか、
と発案された方が前回いらしたので、
このテーマとなりました。

・「考えられない」という状態と比べて「考えない」は主体的に考えようとしないという点で積極性を感じるという意見。
・考えているときにはひとつのことだけ考えているので、「他のことは考えない」という状態になっているという指摘。
・考えないときには、なにかを感じているときではないか、というふうに、「感じる」とか「感覚」との関連性を指摘する意見。
・「闇が深い」ために、その闇については考えない、考えたくない人がいて、もし考えてしまうと絶望的になってしまう、と語る人の話。
・暇になると、いろんなことを考えすぎたり、怖いことを考えたりしそうなので、毎日忙しくしようとスケジュールをいっぱい入れてしまう人の話。
・考えないのは「休憩のため」ではないか、という指摘。
・俗に言う「指示待ち」の人びとこそ、なにも考えない人たちなのではないか、という不安についての話。
・AIが普及するとますます考えない人が増えるのではないか、というこれも不安について。
・組織の指示に黙々としたがって、規則を守ること以外なにも考えずにユダヤ人をガス室に送り込んでいたアドルフ・アイヒマンのエピソード。
・それとの関連でハンナ・アーレントが主張したことについて。
・そして、日本を含むいろんな国の役人もアイヒマンと同じ状況に陥っているという指摘。
・意識的にはなにも考えないようにしても、無意識・潜在意識のレベルではなにかを考えつづけているのではないか、という意見。
・考えすぎることの問題について(うつになったり強迫神経症になったり、堂々めぐりに陥っている状態など)。
・戦後日本の占領軍が使った統治の方法(日本国民に娯楽を与え、それ以外のこと、とくに政治について考えないように水路づけた、など)について。

などなど、今日もテーマに関するさまざまなことがらについて話し合えたように思います(「考える=善/考えない=悪」という前提の問い直しはできませんでした)。

次回は
2018年11月25日(日)、10:00~12:00の予定です。

テーマは
「続けるために必要なこととは?」
です。

どんなことでも続けることに意味があるとまでは言えないでしょうが、
この哲学カフェを含め、続けることに意味を見出そうとすることがらはたくさんあると思います。
世界でも「持続可能な開発」はどうすれば実現できるかが議論されています。
そんな大きなことがらでなくてもよいので、
具体的になにかを続けるためには、どんなことが必要か、について話し合えたらと思います。