本屋さんで
何かおもしろそうな本はないかと
物色していて見つけたのが、
藤野寛『「人生は可笑しい」をめぐる哲学ノート
ネーゲルとの対話』(さくら舎、2025)。
本書がまあまあおもしろかったので
(えらそうに、すみません)
トマス・ネーゲルの『どこでもないところからの眺め』(春秋社、2009)
を買おうと、本屋へ行くと、
あの『哲学者とオオカミ』の著者
マーク・ローランズの新著が
棚に並んでいました。
今回のタイトルは
『犬は生まれながらにして哲学者である』(青土社、2026)。
今回はオオカミではなく、
イヌとの対比で
人や哲学についての議論が
進んでいきます。
人の最大の特徴として
反省(リフレクション、reflection)
をローランズは挙げます。
反省する人は
自分を中心にして生きる自分と
反省の対象としての自分に
分裂しています。
「吟味のない人生は生きるに値しない」
と言ったのは、
ソクラテスですが、
吟味(反省)するのは
何も哲学者だけではありません。
ごくふつうの人も
反省します。
反省というと
「なんであんなこと、言ってしまったのか……」
などと、
後悔や自己批判することのように
思われてしまいますが、
ここで言う反省は、
もっと広い意味です。
外部の視点で自分を捉えること
です。
外部の視点は
想像上の視点です。
想像上の他者からの視点
と言った方が
ピンとくるかもしれません。
この外部の視点を持つおかげで
人は社会生活を送ることが
できます。
他の人の目に
自分の姿がどう見えているかを
気にしながら生活する。
ほぼすべての人が
そのように気にしながら
生活する。
それによって
ある程度秩序のある社会生活が
成り立っている。
外部の視線、他者の目
を各メンバーが想像できるようになることは
社会が成り立つための必要条件である。
社会学をはじめとして、
そういう説明がなされてきました。
ですから、
外部の視点で自分を見て、
反省をくり返すことは
何も否定的なことでは
ありません。
でも、ローランズは
その否定的な側面に
着目します。
反省も吟味もしないイヌは
人のように
分裂していない。
だからイヌは
自分の本性にしたがって
充実した、幸福な生を送っている。
そういうイヌの生に
ローランズは
憧れのまなざしを向けます。
楽園で生きるイヌ。
楽園を追い出された人。
本書の巻頭のエピグラムに
ジョン・ミルトンの『失楽園』からの一節
が掲げられているのは、
楽園で生きるイヌの幸福を
際立たせるためでもあるのでしょう。
『哲学者とオオカミ』の調子とは
異なる雰囲気を感じました。
これまで一緒に生活してきたイヌたちの思い出
を語る部分が多く、
「こん畜生!」と叫ぶ哲学者の
また別の側面が
本書からは感じとられます。
社会を作ることでしか
生き延びることのできない人類には
反省の能力は不可欠です。
でも、その代償として
本性を失い、
認識する自分と認識される自分に分裂し、
自由という名の、根拠なしの生を
生きざるをえなくなりました。
その宿命を嘆きながらも
受け入れて生きていくしかない。
そんなふうに述べるローランズに
老いを感じるでしょうか。
じっさい、本書のあちこちで
ローランズは自分の老いに言及します。
でも、
こういう老いはいいなぁと、
私は感じています。
ちなみに、
本書も
藤野さんの『「人生は可笑しい」を……』も
ネーゲルの『どこでもない……』も
内部の視点(主観)と外部の視点(客観)を
テーマにしており、
しかも認識論を越えて、
生き方にまで踏み込んで考えている
という共通点があります。
そのことに
今、気づきました。
ネーゲルは
でも、まだ読み終えて
いませんが。